第3話

 こんなものしかありませんが、と彼女が出してくれたのは一瓶の赤ワインだった。新堂さんが荷物に入れておいたものだという。

 嬉々としてワイングラスを出す彼女に年齢を問うのも憚られて、気付いた時には乾杯していた。慣れないことでうっかりワイングラスを取り落としかけ、苦笑いで誤魔化したのは余談である。

 滅多にない経験に興奮しているのか眠気を感じず、丑三つ時を過ぎてなお、彼女と僕は話し込んでいた。彼女はなかなかに博識でもあるようで、語る言葉は含蓄を感じさせるものだった。

 窓の外では、益々勢いを増す風と雨が強く木々を打ち付け、耳障りな音が木霊している。時折輝くのは雷だろうか。

 深紅の液体が揺れ、少女の色素の薄い茶の瞳を液面に映し出した。


 話は、やがて各地の高級別荘地に現れるという窃盗犯の話へと移った。

「なんでも、この数カ月で、何軒ものお宅が被害に遭われているとか」

 切り出したのは僕のほうで、鈴木さんは「恐ろしい話です」と小さく零した。

「僕なんかを、別荘に入れて良かったんですか。それこそ、僕がその盗賊かも知れないのに」

「まさか」

 ころころ笑う彼女に合わせて笑いつつ、僕は続けた。

「すみません、不安がらせるような話を。今日会う予定だった友人から、よく聞かされていたものですから……」

 ふと思い出した素振りで、付け加える。

「そうそう。こんな話もありました——どうも、その盗賊は『男女の二人組』らしい、と」

 彼女は、ワイングラスをゆっくりとした仕草でテーブルに置いた。

「『男女の二人組』ですか……もしや、夜中に逢引をされている若いお二人を、窃盗犯と勘違いしたのかも」

 これはまた、古風な言葉が出てきたものだ。

「ここも、気を付けた方が宜しいでしょう。これだけの邸宅だ、お値打ちのある物も少なくないのでは」

 この食堂に来るまでの間にも、安くはないと分かる絵画などが何点も視界に入っていた。

「そうですね……。実は、次に来るのがいつになるか分かりませんし、新堂に任せて、できるものは運び出そうと思っていたのです」

「そうでしたか。それなら安心ですね」

 たしかに、同乗させてもらった車には広いスペースがあった。帰りは僕を乗せる必要もないし、少なくない荷物が載せられるだろう。


 そこで、僕は相方に電話をしておかねばならないことに思い至った。場所をどう伝えたものか……まあ、それはあちらがうまくやるだろう。

 スマートフォンを取り出し、少し手間取りながら画面を点けると、通信圏外を示す印が表示されていた。

「圏外か……」

「もしよろしければ、この家の電話がありますけれど」

「すみません。ありがたくお借りします」

 必要な番号は暗記するようにしている。電話は、問題なく繋がった。

庄司しょうじか。僕だ」

「……お前、どこにいるんだ」

「そう不機嫌な声を出すなよ、連絡が遅れたのには理由がある」

 端的に事情を説明すると、こんなことを言われた。

「それで、可愛らしいお嬢さんと楽しくお喋りしたと」

「今回限りになるか分からないからね」

「……首尾良くやれ」

 やり取りを続けて、翌朝の迎えを確約させる。

 通話を終えて戻ると、ちょうど新堂さんが食堂にやってくるところだった。

 僕に一礼し、彼は鈴木さんに話しかける。

「お嬢様、そろそろお休みになられませんと」

「……ああ、もうこんな時間」

 壁に掛かった時計を見上げて、彼女は少し寂しげに頷いた。

「勅使河原様。客間のご用意をしておりますので」

「すみません、何から何まで」

 僕の感謝の言葉に、新堂さんは落ち着いた所作で首を左右に振った。

 扉に手を掛けた鈴木さんが、こちらを振り返る。

「お名残惜しいのですが……それでは」

「ええ……僕もです。おやすみなさい」

 僕の言葉に、少女はふわりと微笑んだ。

「……おやすみなさい、良い夢を」

 彼女の背を見送った後、新堂さんに案内されるまま、僕も食堂を後にした。

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