第2話

 運転手は「新堂しんどうと申します」と言葉少なに名乗った。視界の悪い中、危なげないハンドル捌きで田舎道を進んでいく。

 慣れた様子でくつろぐ少女は鈴木すずきという姓を名乗り、「ありふれた苗字ですが」ところころ笑った。

 こちらも名乗るのが礼儀だろう。

「僕のことは、勅使河原てしがわらと呼んでください」

「素敵なお名前ですね。何か、特別な由来が?」

「いえ、何の変哲もない家ですよ」

 道中で聞いた話によれば、鈴木さんの父は実業家として海外で活躍中、彼女も生活の拠点をそちらに持っているのだという。

 夜の駅舎に一人でいた見知らぬ男に、声を掛ける……警戒心が薄過ぎるのではと思ったが、そういった交流が当然の土地なのかもしれない。

 鈴木さんは、懐かしむような口調で言った。

「今回は、久方振りの帰国で……。せっかくですから、ここの別荘にも来てみたいと思ったんです」

 こんな天候の日に当たるとは運が悪いな、と思わないでもないが、それを口にするのも無粋だろう。

 

 快適な車の旅を続けること十数分。

「ああ……懐かしい! ここは変わらないわね、新堂」

「左様でございますね、お嬢様」

 広く突き出した玄関の庇、新堂さんの運転する車はそのすぐ脇に寸分の狂いもなく滑り込んだ。鈴木さんは優雅な仕草で扉を開け、滑るように降り立つ。使用人の手を待たないのは、それだけ興奮しているからだろうか。僕も彼女の後に続いて玄関ポーチへと降り、別荘の姿を見上げた。

 視界の悪い中でも、旧い時代の華族の邸宅を思わせる、瀟洒な洋館と分かる。

 感嘆の吐息を漏らした僕に、鈴木さんが嬉しそうに微笑んだ。

「では、入りましょうか。……あら?」

 手品のように取り出した古めかしい鍵を扉の鍵穴に差し込み、しばらく金具の擦れる音をさせた後で、少女はその端正な顔を顰める。

「……錆び付いているのかしら。勅使河原さん、ちょっと手伝っていただけません?」

 鍵を受け取り、扉に改めて宛がう。何度か力を入れてみたところ、鈍い解錠音が聞こえた。扉を押すと、軋んだ音を立てながら開く。乾いた空気が流れ出し、僕らはほっと息を付いた。

「少しお待ち下さいね」

 先に屋内に入った鈴木さんが、壁際で手を動かす気配がした。僅かな明滅を伴いながら、明かりが灯る。

「何分、古いものですから……反って落ち着かないかも知れませんが」

「いえ、そのようなことは」

 無人駅で一夜を明かさねばならなかったかも知れないのだ。文句を言ってはバチが当たる。僕の口振りがおかしかったのか、彼女は小さく笑った。

 明るい場所で改めて見ると、その美しさがより際立って浮かび上がる。少女から乙女へと孵化する刹那、幼さと艶やかさが絶妙な平衡を保つ容姿。大人びた所作に紫紺のワンピースを違和感なく身に纏い、両手のグローブが高貴さを醸し出している。

「ええと、確かここが……ああ、違いました」

 頬に人差し指を当て、考え考え歩く少女。何度か間違った扉を開けては照れ笑いする彼女にほだされ、最後に辿り着いたのは食堂らしき一室だった。高い天井にはシャンデリアが吊り下げられ、ランプを模した電球が煌々と輝く。

「素敵なところですね」

「気に入っていただけたようで、嬉しいです」

 彼女は、向かい合わせになる椅子の一方を勧めてくれた。

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