第49話 女心がわからなすぎますが、上手い事誘えました。

「とにかく、そんな奴がいるなら、もう大学で一人にならないで下さい。聡子さんと一緒に過ごすとか」

「それは無理かな……私、結構一人で受けてる講義も多いから」


 先生が言わんとしている事もわかってはいるつもりだ。

 大学は授業の仕様が高校と大きく異なる。高校は同じクラスの生徒とは同じ時間割で授業を受けるが、大学は時間割を自分で決める。誰かと時間割を決める事もあるが、どうしても受けたい授業があった場合などは、必然的に一人になる事も多いそうだ。それは前回のオープンキャンパスでわかってはいたけれど、でも、そういう事情を聞くと、一人でいて欲しくない。

 ──俺が一緒にいてやれたらいいのに。

 そんな言葉が脳裏を過ぎるが、今の俺ではどうしようもない。ここでも、高校生という自分の限界を感じる。俺は、先生を守ってやる事すらできないのだ。

 それにしても、褒められるのが嫌、か……その発想はなかったな──って、ちょっと待て。


「あの、先生……そういえば俺も、先生の服とか髪の事、結構褒めちゃってましたけど……あれもその、嫌でしたか?」


 そう、服や髪型などは俺も褒めてしまった事がある。何ならシャンプーの香りまで褒めてしまっている。

 俺としては神崎のアドバイス通りに色々褒めるところを探して自分の本心で言っていたつもりなのだけれど……こうして、女性によっては嫌悪感を持つ人もいるのだ。だとしたら、完全に神崎のアドバイスが裏目に出ていた事になる。

 だが、それは神崎を責めるべき事柄でもない。人によって基準が異なるのに、何も考えていなかった俺が悪いのだ。


「あの、だったらすみませんでした! そういうつもりで言ってたんじゃなくて──」

「待って、嫌じゃない! 全然……嫌じゃないから」


 先生が俺の謝罪を慌てて否定した。


「湊くんから褒められるのは、その、嬉しいから。嘘でもいいから、褒めて欲しい、かも……」


 ぼそぼそと言ってから、顔を赤くして、恥ずかしそうに視線を逸らす。後半など、ほとんど聞き取れないくらい小さな声だった。

 その言葉に、俺の心臓がどきんと高鳴った。いきなりそんな事を言われて、すぐ「そうですか、じゃあ褒めます」と対応できるほど、経験豊富ではない。何と返して良いかわからなくて、黙り込むしかなかった。

 それから、暫く沈黙が訪れた。秋の終わりを告げる木枯らしの中、枯れ木の下にあるベンチで、俺達は互いに視線を空に泳がせていた。公園で遊ぶ子供達の声が聞こえてくるけれど、そんな声よりも自分の心臓の音の方が大きくて、先生に聞かれてないかと不安になってくる。

 でも、さっき彼女が言った事は、一つだけ訂正しておかなければいけない事がある。少し勇気がいるけども、コーヒーをぐびっと飲んで何とか自分を奮い立たせた。


「先生」

「ん?」

「俺、嘘やお世辞で、先生を褒めた事なんて、一度もないです」

「え……?」


 先生がぽかんとした顔をして、俺を見ていた。

 頬が一気に熱くなって、彼女の方を見れない。俺は慌てて視線を公園で遊ぶ子供達へと向ける。


「やっぱり、湊くんって女の子の事扱い慣れてるよね……」


 暫くそうしていると、先生が横からじぃっとこちらを見ながら言った。


「はぁ!? どこがですか!?」


 この天然女子大生はとんでもない事を言う。一体俺のどこにそんな要素があるのだというのだ。こっちはいつもあたふたとしているのに。


「だって、女の子の事褒め慣れてるし、嬉しい事すぐ言ってくれるし……そういうとこ見ると、女の子の扱い慣れてるなぁって」


 からかっているようでもなく、不安そうな顔で言っている。

 どうやら、本気でそう思われているらしい。ひどい誤解だ。


「待って下さい、それすっごい誤解してますよ? 全然そんな事ないですから。学校でも女子からバカにされてますし」

「えー? ほんとかなぁ。実は、学校ではチャラかったりして」

「だから、違いますって! チャラいどころか、仲の良い女友達もいませんから!」

「じゃあ、今度確かめに行っていい?」


 先生が唐突に悪戯げな笑みを作った。


「……はい?」

「文化祭、もうすぐでしょ? お母さんから聞いちゃった」

「え!?」

「ついでに言うと、代わりに行って湊くんの事見てきてって頼まれちゃってたりして」


 先生はくすくす笑って、俺を見ている。俺の困惑っぷりを見て面白がっているらしい。

 そういえば、母さんは昨年も一昨年も文化祭に来たがったが、全身全霊を懸けて拒否した。自分では行けないとわかったのはいいが、今度は代わりに先生を刺客として差し向けようと考えたようだ。

 全く、何て母親だ。だが、これは考えようによっては助かったのかもしれない。こっちから切り出す必要がなくなったので、むしろ好機と言えなくもない。


「先生は、その……来たい、ですか? 文化祭」


 恐る恐る訊いてみると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「うん……行きたい。湊くんの学校も見てみたいな」


 その時先生が見せてくれた笑みは、照れてはいるものの、とても柔らかくて暖かかった。見ているだけで、初冬の寒さなど吹き飛ばしてしまうくらいに。


「寒くなってきたし、帰ろっか? 私はもう大丈夫だから」

「ほんとですか? 無理してません?」

「ほんとだってば。湊くんの御蔭だよ……ありがとう」


 駅で見せていた陰鬱な表情などもはや微塵もなく、先生は綺麗な笑顔を浮かべていた。

 この笑顔をずっと見ているには……どうすればいいのだろう。今のまま関係を続けるのか、それとも、想いを伝えるのか。いや、それ以前に、俺はいつまでこの想いを自分の中で留める事ができるのだろうか。

 夏祭りのあの日から、もう三か月近く経っている。その間、俺達の間にはご褒美もない。何なら、触れてすらいない。今も先生に触れたくて堪らないし、抱き締めたい。でも……それが許される関係ではない。


 ──先生、俺、もう我慢できないよ……。


 胸が軋んで、どうしようもなく切ない気持ちに襲われていた。 

 今のままの関係を続けるのか、それとも壊れる事を覚悟で気持ちを伝えるのか……その判断の良し悪しが、できない。

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