第48話 何か不安そうにしている先生と偶然会いました。
その日の帰り道、母さんからミセドのドーナツを買ってきてほしいとの指令が出たので、駅前に寄った。遠回りになるし、本当は行きたくなかったのだけれど、母さんの要望は無視すると何かしらで手痛い反撃を食らう。俺には選択肢がなかった。
指定されたドーナツと自分の欲しいものを購入し(多めに買ってやった)、家に帰ろうとしていた時である。
(あっ……)
駅の改札で、先生を見掛けた。大学からの帰りのようで、彼女は一人だった。
だが、いつもと様子が違って、見るからに元気がない。しゅんとしていて肩を落とし、とぼとぼと歩いている。あんな先生を見た事がなかった。
「……先生?」
気付いた時には、声を掛けていた。あんな風にしょんぼりしている先生を放っておく事など、できるはずがなかった。
「え!? あっ……湊くん」
先生が驚いて顔を上げて、こちらを凝視する。
すると、どうしてだろうか。今まで不安そうにしていたその表情がどんどん和らいでいって、安堵の色へと染めて行く。
そして、いつものように優しい笑みを浮かべて、「今帰り?」と首を傾げた。
「はい。母さんにドーナツ買って来いって言われて」
手元にある紙箱を見せて苦笑いを見せると、先生も眉根を寄せて困ったように笑っていた。そこにはいつもの彼女がいて、さっきまでのしょげていた雰囲気は消え去っていた。
「それよりも、どうしたんですか?」
「え? 何が?」
「今、先生すっごく落ち込んでましたよね?」
訊くと、彼女は「あっ……」と声を漏らして、視線を泳がせた。
「何かあったんですか?」
「大した事じゃないから。それに、もう大丈夫だし……だから、気に──」
「しますよ」
大方彼女が言いそうな言葉はわかっていたので、遮ってやった。
「あんな顔してる先生見たの初めてだったので、気にするに決まってるじゃないですか」
「そんなに表情に出てたかな……?」
「表情っていうより、もう体中の穴という穴から溢れ出てましたよ」
冗談っぽく言うと、彼女もくすっと笑って「そんなに毛穴広くありません~」と言い返してきた。
よかった。少し元気が出たみたいだ。
「……歩きながら話しましょうか。近くまで送っていきます」
「え、そんなの悪いよ。それだと湊くんが遠回りになっちゃう」
「また先生の事だから、一人になったら絡まれるでしょ?」
「そんな事……ある、のかな」
徐々に声が小さくなり、また先生の表情が沈んでいく。どうやら、そっち方面で何かしらあった事は間違いないらしい。
結局そのまま、駅の近くにある公園に来た。先生がそこに立ち寄りたいと言ったからだ。立ち話もなんだし、先生の様子から見てもちゃんと話しを聞いた方が良さそうなので、ちょうど良い申し出だった。
先生はこの公園に来たのは随分久しぶりらしく「懐かしい」と言っていた。小学生の頃、ここで遊んだ記憶があるそうだ。そういえば、俺もここで昔誰かと遊んだ記憶があるのだけれど……誰だったかな。確か女の子、だったと思う。でも、それが誰かまでは想い出せなかった。
ふと横を見ると、先生が懐かしそうに微笑みながら、公園を見渡していた。
彼女の横顔を見た時──変な感覚に一瞬だけ陥った。先生の横顔が、一瞬小さな女の子と被ったのだ。
「……どうしたの?」
惚けていると、先生が首を傾げていた。慌てて「なんでもないです」と目頭を押さえ、首を横に振る。勉強のし過ぎで疲れているのかもしれない。
公園の自販機でコーヒーを買って渡してやると、彼女は「ありがとう」とそれを受け取った。
「それで……何があったんですか?」
公園の隅っこにあったベンチに二人で腰かけ、缶コーヒーのプルトップを開けてから訊いた。先生はホットのコーヒー缶で暖を取るように、缶を両手で包み込んでいる。
もう季節は十一月。外で話すには、少し寒かったかもしれない。
「えっと……夏祭りの時に話しかけてきた人達の事、覚えてる?」
「ああ、はい。先生と同じ大学の人ですよね」
あいつらか、と心の中で舌打ちする。俺にとっては気に入らない連中だった。彼女に声を掛けてくるというのも気に入らないが、何よりあんなに頭が悪そうなのに明大で、俺よりも先生に近い場所にいる、というのが気に入らなかった。自分が子供であるという劣等感を、嫌でも感じさせられるのだ。
「今日学校で、あの男の人達に声を掛けられて」
「ナンパされた、とか?」
「それとはちょっと違うと思うんだけど……」
先生は少し話すのを躊躇しながらも、ぽつりぽつりと話し出した。
話を要約すると、こうだ。
大学で祭りの時に会った男達に会って、声を掛けられた。その男達は学生のスナップ写真やインタビュー記事を上げるメディアを運営していて、是非先生にそれに出て欲しいとお願いしてきたそうだ。その時は前回守ってくれた女性の西川さんとやらはいなくて、あの男達しかいなかったらしい。
そういうのは興味ないので、と先生も断っていたのだが、彼女ほどの上玉は滅多にいない。男達も引き下がらなかった。ギャラ代わりにご飯でも飲みでも奢るだの、連絡を教えて欲しいだの、と色々条件を出してくれたそうだ。
先生は気付いてないみたいだけれど、半分メディアの為で半分ナンパの為だろう。本当に屑野郎共だ。
「その時にね……その、服とか髪とか、可愛い可愛いってあの人達に褒められたんだけど……私、それが凄く気持ち悪く感じちゃって」
逃げちゃった、とくしゅっと笑った。
彼女はその時、その男達に褒められた事で、何故か急にぞわっと嫌悪感を抱いてしまったのだと言う。いや、恐かった、という表現の方が正しいのかもしれない。それで、特に何かされたわけでもないのに、相手にそんな気持ちを抱いてしまった事に対して、落ち込んでいたそうだ。
「今までそういう事言われても、全然気にならなかったのに、何でだろうって──」
先生がこちらを見て、俺と目が合った時である。彼女は唐突に言葉を止めて、俺を見つめた。そして、何かに気付いたような表情をしたかと思うと、いきなり赤面して、慌てて顔を伏せた。
「え、どうしたんですか?」
「な、何でもない! 何でもないよ。気にしないで。どうしていきなりあんな風に感じちゃったんだろうなーって、不思議に思っただけだから」
いきなり恥ずかしそうな表情をされてしまって、困惑せざるを得ない。でも、訊いても教えてくれそうになかった。
今の言葉や表情からだけでは、意味を察する事ができない自分が腹立たしい。
(もうちょっと俺にも人の心を読める能力があればいいのにな)
ふと、神崎勇也の洞察力や察しの良さを羨ましく思うのだった。
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