第47話 級友たちがうるさいです。

「よー、結城ぃ! 例のカテキョとはどうなんだよ、カテキョとは」


 昼休みの事だった。

 同じクラスの男子・佐々岡雄太が俺に絡んできやがった。

 佐々岡は野球部で長身の爽やかイケメン。ノリがよくて爽やかで面白くて……割と良い奴だ。部活を引退してから髪を伸ばし始め、野球部という印象はもうあまりない。ただノリがよくて面白くて、ちょっとたまに悪ノリがうざい友達、といったところだろうか。イケメンで性格も良い方ではあるが、野球の成績は芳しくなかったようで、三年でレギュラー入りができなかった時点で野球に見切りをつけ、部活を辞めた。

 佐々岡は購買で買ったパンを机の上に広げ、俺をニヤニヤと見てきていた。


「……うるせーな、何もねーよ。つかお前、声でけーから」


 俺は苛々しながらも、適当に返す。

 今、ちょっとだけ学校では俺の周囲が面倒になってきつつある。というのも、あの祭りの夜……帰りに俺が先生と手を繋いで歩いていたのを、この佐々岡に目撃されていたのである。というか、あの自転車で追い越していった二人組のうちのひとりが佐々岡だったのだ。

 まだあれが家庭教師の先生である事は正確にはバレていない。大学生っぽい浴衣美人が俺と手を繋いでいた、というのはバレしまっていた。正直に全て話すと、面倒な事になるのは目に見えていたので、知らぬ存ぜぬ見間違いだ、で通していた。

 しかし、つい最近──油断していた俺が一番悪いのだけれど──俺が先生からのLIMEでニヤついていた時、このバカ野郎は、俺からスマホを奪い取りそのやり取りを見やがったのだ。別に内容自体は漫画『鬼神の刃』の感想や勉強の進捗についてしかなく、怪しいものは無い(それはそれで悲しい)。ただ、やり取りしている相手が『三枝結月(先生)』と書いてあって、しかも俺が塾からカテキョに切り替えたというのは事前に伝えていたので(しかもそれを機に成績も上がっているので)、そこから推察されてしまったのだ。洞察力の高い奴め。


「え、なに? 結城くん、家庭教師と付き合ってるの?」


 恋人の双葉明日香から手作り愛妻弁当を受け取った神崎勇也が、佐々岡と俺の席まで来て訊いた。一学期の半ばから──即ち佐々岡が部活を辞めてから──この二人とこのクラスでは絡むようになっていた。今では昼休みや休み時間を彼らと過ごす事が多い。そこにたまに神崎の彼女・双葉明日香が加わる事もあるけれど、基本はこの三人だ。


「そうなんだぜ、神崎。こいつ、カテキョと夏祭りで手ぇ繋いでてさー、それがまた美人で」

「うっせーな、だから違うって言ってんだろ」


 付き合ってねーよ、しかもそれ以降何もイベントが発生してねーよ、と叫びたくなったのをすんでのところで抑える。


「へえ? なるほどねえ?」


 神崎が悪戯な笑みを浮かべている。

 くそ。こいつには特に知られたくなかったんだよ。佐々岡以上に察しがいいし、頭も良い。何だか色々弱みを握られそうなのだ。

 ──というより。神崎にあまり知られたくなかったのは、そっちが理由ではない。

 神崎は一年の頃、家庭教師に恋をしていた。しかし、昨年から同じ学年の双葉明日香と交際している──これらから、その恋が上手く行かなかった事は察せられる。具体的にどうなったかの結末について詳しくは知らないが、無暗に人の失恋を想起させるような事も言いたくなかったのだ。


「なるほど。それが結城くんの『頑張らなきゃいけない理由』ってわけだ? 最近成績すごく上がってるもんね」

「ぐっ」


 くそ……こっちは気を利かせて話さなかったっていうのに。


「ほーら! やっぱカテキョじゃねえか!」


 神崎の言葉を受け、佐々岡が鬼の首を取ったかのように言う。大丈夫、まだ大丈夫。俺は首を斬られても太陽の光さえ浴びなければ──って、ダメだ。今普通に昼だから即死だ。


「からかっちゃダメだよ、佐々岡くん。これはこれで、結構大変なんだから」


 神崎が佐々岡を窘めるように言った。


「なんだよ、神崎。えらく結城の肩を持つじゃねーか」

「まあ、ね。色々大変なのわかるからさ」


 神崎は教室の一角の女子グループを穏やかな瞳で眺めながら、続けた。そのグループの中に恋人の双葉明日香がいる。彼女はクラスメイト達と談笑しつつ、神崎の視線に気付くとにっこりと笑って、小さく手を振っていた。くそ、ラブラブかよ。

 一方の神崎は、顔で笑顔を作って微笑みかけつつ、小さく、ほんとに誰にも聞こえないくらい小さく、溜め息を吐いていた。


「人に言えないし、向こうもこっちにはわからない悩みが色々あるだろうし。万が一他の誰かに知られたらクビにされちゃうかもしれないし、自分は自分で年下なのが歯がゆくて、背伸びしても全然届かないし、年上の男全員に劣ってるように感じるし、ね」


 言い終えてから、神崎はくすっと諦めたように笑って、俺を見た。


(同じ、だったんだ……)


 神崎のその言葉は衝撃的だった。

 俺から見れば、神崎はある意味、憧れてしまうような男だ。イケメンで頭脳明晰、ギターも弾けて優しくて面倒見も良い、完全無欠のモテ男。それが俺の神崎の印象だったのだが、そんな彼ですら、年上の家庭教師を想っていた頃は、俺と同じように悩んでいたのだ。

 今彼が一瞬見せた諦観のこもった笑みこそ、『君もそうなんでしょ』という彼からの無言の問いかけだった。


「おうおう、なんだよ神崎。やたらと詳しそうじゃねえか」


 佐々岡も神崎の言いぶりから何かを察したようで、面白そうに口角を上げた。神崎が家庭教師の大学生に好意を抱いていたのは、一年時に同じクラスだった俺と他の友人達のみで、三年から仲良くなった佐々岡はその事を知らないのだ。


「まあね。結城くんには前に言った事あるんだけど、僕も昔、家庭教師に恋していた時期があったからさ。気持ちはよくわかるんだよ」


 あんまり言わないでよ、と苦笑して付け足した。


「なんだと!? あの双葉明日香と付き合っておきながら、何て野郎だ!」


 初耳だった神崎の過去話に食ってかかる佐々岡。佐々岡のタイプは双葉明日香らしいので、彼からすれば神崎は羨ましくて堪らないのだろう。


「明日香と付き合う前の話だよ……あと、明日香がいる前でその話しないでね。その事を知ってはいるけど、気分の良い話じゃないだろうし」


 神崎が有無を言わさぬような圧力を無言で佐々岡にかけた。

 彼らは彼らで、色んな障害を乗り越えて付き合ってるんだな、とその一言を聞いて、なんとなく察した。

 佐々岡は、「わ、わかったよ」と神崎の迫力にたじろいでいる。


「……なあ、神崎」

「なんだい?」

「劣等感に苛まれて焦燥感に襲われてる時……どうすればいいんだ?」


 俺は──もう自白してしまっているようなものだけれど──つい訊いてしまった。

 彼がどう乗り越えたのか、興味があったのだ。


「さあ……? どうしようもないんじゃない? 結局僕もその壁は乗り越えられなかったし」


 今となってはそれでよかったと思ってるけど、と恋人の横顔を眺め、神崎は付け足した。


「でも、まあ一つだけ言える事は……もし、少しでも脈ありだと思うなら、早めに気持ちは伝えた方がいいよ」

「え?」

「タイミングが合わなければ……一生気持ちを伝えるタイミングを失うかもしれないからね」


 どこか遠い目をして、彼は溜め息を吐いた。

 その表情を見て、俺と佐々岡は言葉を失った。同い年で、何でも持っている男とは思えないほど……神崎の言葉には、哀愁が漂っていたのだ。

 彼は気持ちを伝えきれなかったのだろうか。それとも、返事をもらえなかったのだろうか。それは、わからない。きっと気軽に訊いて良い事でもないだろう。ただ、彼の言葉には重みがあった。


「あ、そうだ。一つだけできるアドバイスがあるとすれば、あれかな。高校生の武器を活かすって事かな?」


 神崎は、自分が暗い気持ちになりそうなのをきっと払拭したかったのだろう。少しからかうような、明るいテンションでそう切り出した。


「え、なに!?」


 俺もそれを察して、興味深そうに訊いてみた。実際、興味はある。


「高校生のイベントに呼べるって事。それは大学生にも社会人にもできない。僕らの特権ってわけだ」

「イベント?」

「来月にそれっぽいのあるでしょ?」


 神崎は、にやりと笑って、教室の後ろにある紙を指差した。

 そこには、文化祭と書いてある。俺達のクラスは、ハーブティー喫茶を教室で開く予定だそうだ。女子が手作りクッキーとハーブティーを作って、あとは俺達が色々内装とかを作るらしい。女子の中に園芸部の部長がいるから、その知識と部長権限で部で育てたハーブを使うそうだ。


「おお、いいねえ! カテキョ呼んじゃえばいいじゃん! 俺も見たいし」


 佐々岡も乗り気だが、ふざけるなと怒鳴りたい。何でお前に見せる為に先生を呼ばなきゃいけないんだ。


「ま、それはともかくとして……僕らにとって最後の文化祭なわけだし、どうせなら、良い想い出作らないと。そう思わない?」


 神崎は悪戯な笑みを作って言った。

 ただ……そっか。文化祭なら、来てくれるかもしれない。

 佐々岡やクラスの連中に先生を見られるのは嫌だけれど……今のところ、それくらいしか思いつかないし。


(でも、文化祭、かぁ……俺があんまり乗り気じゃないんだよな)


 小さく溜め息を吐いて、『文化祭』の文字を睨みつけた。

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