第46話 ご褒美がなくなってわかったもの。

「すごい、B判定! 滑り止めはA判定だし……湊くん、どんどん成績上がってる」


 先生がまるで自分の事のように嬉しそうに、模試の結果を眺めていた。


「先生が優秀だからですよ」

「謙遜しないの。週二回程度の授業だけで成績上がるわけないでしょ? 湊くんがしっかり勉強してる証拠だよ」


 彼女はいつになく上機嫌だった。

 そう……あの夏祭りの日から、もう二か月が経っていた。受験勉強で追われた夏休みは一瞬で終わり、九月は流れるように過ぎていった。

 あの日以降〝ご褒美〟を封印しているので、B判定を取っても何もない。A判定になっても、もちろん何もない。でも、そんなものがなくたって、成績は上げないといけないものであって……〝ご褒美〟がなければやる気が出ない、という意識では、結局成績など上がるわけがないのだ。

 時間の経過を早く感じるようになったのは、この〝ご褒美〟がなくなったから、というのも大きいように思う。というのも、〝ご褒美〟がなくなって以降、俺と先生の関係は六月以前の健全な家庭教師と生徒の関係に戻っていたからだ。LIMEでたまに連絡は取り合うものの、どこかに出掛けたり、先生の家に行ったりする事もなくなっていた。


(あんな事……言わなきゃよかった)


 にこにこしている先生の口元──その瑞々しい唇──を見て、心の中で嘆息する。

 元カレのトラウマの話を聞いて、俺はそいつと違って、しっかりと先生の気持ちを思いやれる男になろう──あの夜、俺はりんご飴を舐めながら、そう決意した。しかし、それ以降の先生があまりにも普通過ぎて、思わず拍子抜けしてしまう。

 そう、彼女はあまりに普通なのだ。この部屋や新宿の路地裏、先生の部屋や神社の裏で散々しまくった口付けが実は白昼夢だったのではないかと思えてくるくらい、先生は普通に接してくる。


「なんだか、嬉しいな」


 先生がにこやかに微笑むのを見てきゅんとなる反面、ここ最近の先生に少し違和感を覚えていた。

 確かに先生は普通だ。それはまるで〝ご褒美〟の関係がある前の関係のようだった。しかし、一つだけ明確に変わった事がある。

 ──先生は、俺を褒めなくなったのだ。

 前までなら、成績が上がったり、難しい問題を解けたら『えらい』とか『よくできたね』と結構な割合で褒めてくれていた。

 でも、あのお祭りの日以降、正確に言うと、俺が〝ご褒美〟を放棄した時から、彼女は俺を褒めなくなっていたのだ。どうして彼女が褒めなくなったのか、彼女の本音が汲み取れない。だからと言っても『何で褒めてくれないんですか』とは訊けない。


(もしかして、ご褒美与えなくても成績上がってるからそんなに嬉しそうなのかな……)


 そうなると、やっぱりどうして先生が俺のキス──しかも彼女にとってもファーストキス──を受け入れてくれたのか、ますますわからなくなってくる。

 あの瑞々しい唇に何度も触れて、その手を握って、その細い肩を抱き締めたあの夏祭りの夜は、何だったのだろうか。むしろ夢だと言われた方が、まだすっきりする気がした。


「……どうしたの?」


 先生が俺の視線に気付いて、首を傾げた。


「いえ、何でもないです」


 俺は小さく嘆息してから、問題集に視線を戻した。

 やっぱり〝ご褒美〟がなかったら、もう俺を男として見る理由もないのかもしれない──そんな事を、思うのだった。

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