第22話 先生の友達に絡まれました。

 八月中旬、もう気付けば夏休みも残り半分となっていた。

 家庭教師の合間、俺は死に物狂いで勉強をして、それなりに自分でも力がついてきてるんじゃないかと思えてきた気がする。

 頑張っている意欲が、ただ先生に認められたい、先生と一緒の大学に行きたい、という不純なものしかないのだけれど……それが勉強のモチベーションになっているのであれば、間違いではないはずだ。

 少なくとも、塾に通ったままでは絶対にここまで勉強していなかった。いや、先生が家庭教師をしてくれていなかったら……きっと、俺はここまで頑張れなかったと思う。

 好きな女の子の為というのは、思春期の男子には頑張る理由になるはずなのである。


(えっと……タワーの一階に集合、だよな)


 時刻は一三時前。先生とはお茶の水キャンパスのタワー棟一階ホールで待ち合わせする事になっていた。

 イベントスタッフでもないのに、在学生が高校生とオープンキャンパス一緒に回るって恥ずかしくないのかな。


(先生の友達とかもいるんだろうし……緊張するな)


 キャンパスに入る前に深呼吸をしようと、大きく息を吸ったところ──


「あ、湊くん!」


 いきなり後ろから先生の声がした。


「──げほっ、げほっ!」

「えっ、湊くん、どうしたの? 風邪?」

「い、いえ、違います。ちょっと気管にゴミが入って……」


 息を吐き出す前に声を掛けられて息が詰まった、とは言えなかった。

 振り返ると、そこにはシャツの上にロングカーディガンを羽織って、しっとりと清楚で大人っぽい先生がいた。普段のオフィスカジュアルとも違って、大学生、という感じだ。ハーフアップの髪型も相まって、余計にそう感じる。

 俺、普通にシャツにジーンズだけど……変じゃないかな。


「あ、はい。プログラムもらってきたよ」


 そんな俺の気も知らないで、先生はにこにこと嬉しそうに、プログラムが記載された紙を手渡してくれた。


「ロビーで資料配布されてるから、まずはそれもらいにいこっか」

「はい」


 そのまま先生に促されるまま建物の中に入って、配布物をもらうために列に並ぶ。わざわざ一緒に並ばなくていいのに、先生まで並んで俺の話相手をしてくれていた。


「どこの学部が見たい?」


 配布資料を受け取ると、先生はオープンキャンパスのカリキュラム用紙を見ながら訊いてきた。

 あ、結構時間がバラバラなんだな。上手い事回らないと、時間を持て余しそうだ。


「えっと、教育学部と文学部と……法学部、は無理そうだしなぁ」

「興味があるなら見た方がいいよ。受ける受けないを決めるならもっと後でいいと思うし」

「じゃあ、法学部も見たいです」

「それじゃあ、まず文学部から回った方が──」

「あ、結月ー!」


 先生と話していると、明るい女の子がこちらによって声をかけてきた。

 明るめの茶髪で如何にもキラキラ女子大生、という感じだ。ちょっと俺は苦手な感じの子なのだけれど……結月って呼んでるし、先生の友達っぽい。


「ちょっとちょっと、これが噂のカテキョの子!? え、チョー可愛いじゃん!!」

「か、かわ……ッ!?」


 何だか凄くショッキングな事を言われた気がする。

 可愛い……俺って可愛いの、か……?


「結月、全然外見についても教えてくれないし、写真も見せてくれないしさぁ。もっと陰キャっぽい男子なのかと思ってたのに、こんなに可愛い年下男子とイチャついてるなんて……けしからん!」


 何だか、その友達が俺をびっと指差して先生に食いついている。

 可愛い年下男子って……やっぱりそう見られるのかな。ちょっとショックだ。でも、先生、友達に俺の事話してたのか。何て話してるのかな。聞きたいけど、聞いたらショックを受けそうだ。


「ちょっと聡美さとみ、湊くん引いてるから。落ち着いて」

「湊くんって言うんだ!? あたし、結月と同じ学部の二年で椎田聡美しいださとみ!」

「は、はぁ……結城湊ゆうきみなとです」

「よろしくね、湊くん!」


 聡美さんが手を差し出してくるので、その手を取って握手する。

 うわ、なんかこの人も良い匂いするし……このぐいぐいくる親しみ易さも高校生にはない感じだ。大学生になると女子も変わるのだろうか。


「ああっ、可愛い! この初々しい感じ、大学生にはないよねー!」


 椎田聡美さんという人は、キラキラ目を輝かせて俺を見ている。向こうは向こうで似たような事を考えていたらしい。

 いやいや、というか、高校生男子なんて今日そこら中にいるでしょうに。それに……悪気はないのはわかっているのだけれど、ひとつひとつの言葉が傷つく。いや、悪気がないから余計に傷つくのだ。


「ええー、結月ずるいなぁ。あたしも一緒にオープンキャンパス回っていい?」

「だーめ。聡美は学スタでしょ?」

「うっ、バレたか……」

「バレるよ。学スタでもないのに聡美がオープンキャンパスに大学来るわけないじゃない」


 先生は呆れたように聡美さんに言った。

 学スタとは、学生スタッフの事だ。オープンキャンパスのサポートをするスタッフさんらしい。よく見れば、腕にスタッフの腕章をぶら下げている。


「え、じゃあ湊くん、LIME交換しよ~?」

「え、いや……」

「そういうのもダーメ!」


 ぐいっと迫ってくる聡美さんから、先生が庇うように俺の前に立った。


「ええ、もうっ! 結月ちゃん厳しい! そうやって年下男子を自分だけのものにしちゃって! ツバメ飼うつもりなんでしょ!」

「つ、ツバメ!? あのね、せっかく湊くんがうちの大学に興味持ってくれてるのに、イメージ下げるような事しないでよ! ほら、カリキュラム始まっちゃうから、行こ?」

「は、はあ……」


 先生がぴーぴー騒ぐ聡美さんを無視して、俺の手を取ってエスカレーターへと進んで行く。


(あっ……)


 俺と先生の間に繋がれた手を見て、思考が一瞬停止した。

 先生と今、初めて手を繋いでいる。その事実を認識して、胸が高鳴った。


「楽しんできてねー!」


 聡美さんは、俺と先生の背中に向けて、そんな言葉を投げかけている。

 きっと悪気とか一切なくて、明るくて面白い人なんだろうな、というのはこの一連の出来事でわかった。ただ、ノリが良すぎて疲れる。


「ごめんね……悪い子じゃないんだけど、ちょっと空気読めない子で……」


 エスカレーターに乗ると、先生が溜め息を吐いた。


「あ、いえ、大丈夫です……」


 心ここにあらずと言った様子でそう応えつつ、繋がれた手をどきどきしながら見ていると、


「あっ……ご、ごめん!」


 先生がそれに気づいて、慌てて手を離した。顔を上気させている。


「いえ……」

「えっと、文学部だよねッ。じゃあ、五階までこのままエスカレーターで上がっちゃおっか!」


 先生は照れた顔を隠すためなのか、少しいつもよりテンションが高めでそう言った。

 手、離さなくてもいいのにな。せめて、エスカレーター上がり切るくらいまでは。

 次、手を繋げるのはいつになるんだろうか。

 俺はエスカレーターで先生の後姿を眺めながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。

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