第21話 久しぶりに会ったらキュン死しそうでした。

 七月末、先生の前期テスト期間が終わって、ようやく待ちに待った授業が再開された。

 俺も先生も既に夏休みに入っている。だが、今年は夏休みだからと言ってだらけるわけにはいかない。受験生にとって夏休みは天王山。ここでしっかり勉強できるか否かで変わってくる。

 そんなわけで、気合を入れつつにやけないように久しぶりの授業を頑張っているのだが……横から視線を感じて、全然集中できない。

 ちらりと横を見ると、先生と目が合って、先生が慌てて目を逸らす。これが今日、既に何回か起こっている。

 もしかして、何かついてる? それとも、今日俺臭い? それか部屋が臭う? 或いは変なもの部屋に置いてあるっけ?

 そんな疑問符が頭に浮かんで、横目で周囲をチェックしたりこっそり自分の臭いを嗅いでみているが、何も変なところが見つけられない。

 次、目が合ったら訊こう──そう思った矢先に視線を感じて、同時にばっと先生の方を振り向くと、先生があわあわとしてから不自然に視線を逸らした。


「えっと……なんですか?」

「え、な、なんでもないよ!?」

「いや、だって先生さっきからずっと俺の方見てるじゃないですか」

「み、見てない、見てないから!」


 顔を真っ赤にして否定している。いや、見てたから何回も目が合ってるんでしょうが。


「もしかして、俺、臭いますか? それなら着替えてきますけど……」

「違うの、そうじゃなくて……」

「なんですか? さすがにそれだけ見られると集中できないっていうか」

「うん……勉強の邪魔してごめんね」


 先生はまだ頬を染めたまま、俯いてしまった。


「その、一か月近く会ってなかったから、久しぶりだなって思って。髪も少し伸びたなーって……」


 今度は俺の顔が熱くなる番だった。

 だから、そういう事言われると勘違いするんだって、恋愛経験がない男は! 本当、勘弁してくれ。


「そ、そんな事言うなら、先生だってシャンプー替えてるじゃないですか!」

「え!?」


 今度は先生がバッと顔を上げて、驚いた顔でこちらを見ている。顔が赤い。


「き、気付いてたんだ……」

「いや、まあ室内なんで」


 おそらくだけれど、先生は香水の類はつけていない。いつも良い匂いはしているが、それは柔らかい香りで、少なくとも香水のような強い匂いは発していない。柔軟剤かシャンプーの香りだろう。

 でも、今日は柔らかい香りに混じって、甘い香りが存在感を際立たせていた。その香りは先生の髪が揺れた時にふわりと香ってくるので、おそらく、シャンプーの香りだと推測したのだけれど、どうやら正解だったようだ。これも神崎のアドバイスがなければ、気付かなかっただろう。


「その……どう?」

「え?」

「匂い、嫌いじゃない?」

「えっと……凄い萌えました」


 視線を逸らして、ちょっと茶化したような単語を選んだ。

 何だか凄く変な空気になってきている気がするので、冗談っぽいコメントの方が良いかと思ったのだ。

 しかし、先生は何も言葉を発さない。


「いや、先生、無反応は──って、え!?」


 ちらりと横を見ると、そこには目を大きく見開いて、顔を真っ赤にした先生がいた。今にも何かが零れ落ちそうなくらい瞳が潤んでいて、可愛らしい。見ている方が恥ずかしくなって、俺は咄嗟に彼女から目を逸らした。


「い、いや! そこは何かツッコんでくれないと、俺がただの変態みたいっていうか……そのッ」


 やばい、今の先生、死ぬほど可愛かった。いや、これ俺ミスってるじゃないか。何か余計変な空気にしちゃってる。


「あ、そ、そうだったんだ。えっと、ごめんね? 気付かなかった……私、ツッコミのセンスないから」


 先生が慌てて苦笑して場を取り繕うとしているが、もう何だかダメだ。こっちはこっちで心臓が早鐘のように鳴っているし、取り繕えない。

 先生も毛先をいじって俯いてしまっている。


「でも、そっか。冗談だったんだ……」


 くしゅっと先生が笑って、呟いた。


「え?」

「私も、湊くんが萌えてくれたらいいなって思って替えたから……」


 今度は俺が顔をバッと上げて、先生を凝視する番だった。

 それは、冗談なのか。冗談じゃないのか。どっちなんだ。

 ああ、本当だ。確かに冗談っぽく言ってくれないと、本当に冗談かどうか全然判断がつかない。

 これってどっちなんだ、冗談なの? 冗談じゃないの?


「じょ、冗談じゃ……ないです!」


 我慢できなくなって、俺の方がそう強く断言していた。


「え!?」

「冗談じゃなくて……本当に、萌えました」

「え、あっ、そ、そうなんだ……その、あ、ありがとう」

「ど、どういたしまして」


 そんなよくわからない会話をして、視線も合わせられなくなって、再び沈黙。

 だめだ。俺はだめだったよ、神崎……お前みたいに相手を喜ばせられないよ。それどころか地雷踏んでこの沈黙だよ……。

 く、くそ。こうなったら……あれしかない!


「あー、そ、そ、そうだったぁ! 言うの忘れてたぁっ!」


 俺はさも自然なように切り出したつもりだったが、いざ声に出してみると酷い棒読みだった。


「え、な、何を!?」


 先生がびくっとこっちを見る。が、視線はどこか少しだけずらされている……ような気がする。


「模試の結果、さっき出てて……アプリで見れるんですけど、それ先生に見せるの忘れてて……」


 言いながら、スマホを取り出してアプリを開く。

 ああ、もう。俺ほんと演技下手だなぁ。


「あ、ああ! 模試、模試ね。うん、見たい」


 先生もやや安心したような──少しがっかりしたように見えたのはきっと俺の妄想だ──顔をして、微笑んだ。

 俺はとりあえず該当のページを開いて、先生にスマホを渡した。最近は模試の結果もアプリで完結するところが増えているのだ。


「あっ、志望校……」


 先生がそのページを見て、少しだけ驚いたように目を見開いていた。

 彼女の視線の先には、明治中央大学・教育学部の文字。


「あ、えっと……すみません、別に内緒にしてたわけじゃないんですけど……先生の大学も、受験してみようかなって」


 慌てて言い訳を言う。

 何が『先生の大学も』だ。おもいっきり第一志望にそこを入れておいて、言い訳も糞もないだろう。あなたと同じ大学に行きたいですと言っているようなものだ。


(変に思われてないかな……)


 そう思って横目でちらりと先生の顔を盗み見ると、そのディスプレイを眺めて「そうなんだ……」と呟いた先生は、とても嬉しそうだった。

 その笑顔で、また俺の心臓は高鳴ってしまう。


「あ。でも、D判定……」

「うっ」


 そう、肝心の成績は、明大オールD判定。合格圏内は程遠い。


「これだと難しいから……もっと、頑張らなきゃね。私も頑張るから、ここから伸ばしていこ?」

「……はい」


 優しくそう言ってくれる先生に、俺は下を向いて頷くしかない。

 くそ、最後が全然締まらないじゃないか。かっこ悪い……。

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