第14話 心筋梗塞になりそうです。

 紀伊国屋書店を目指して、先生と新宿通りを歩く。先生は今日、午前中にゼミの教授の手伝いをしていて、それで遅くなってしまったのだと言っていた。わざわざ教授が日曜日に生徒を呼び出すのか? と疑問にも思ったが、ゼミや大学の事なんてさっぱりわからない俺は、そうなんですね、としか言えない。

 通りを先生と並んで歩いているだけで、男達からの視線が凄く集まってくる。まず先生に視線が行って、その次に横を歩いている男はどんな野郎なんだ、と確認するように見られるのだ。

 俺は先生の横に並んでいて……彼氏に見えるのだろうか。

 ちらりと横を見ると、彼女は周囲の視線に気付いている様子もなく、教授の面倒な要望の文句を楽しそうに話していた。


(彼氏には……見えないだろうなぁ。せいぜい弟がいいところだ)


 俺は小さく溜め息を吐いて、いつもとは違う横顔を眺めていた。

 こんな綺麗な人の横に並んで対等な存在だと思えるほど、自惚れられる人生を送っていなかった。

 そもそも、高校生と大学生が、対等なはずないのだ。

 改めてそれを自覚して、沈み込むのだった。


◇◇◇


 紀伊国屋書店に着くと、俺達は参考書フロアに向かった。先生が「懐かしいなぁ」と言いながら微笑み、とことこと目的の場所に向かっていく。


「ちょっと探してくるから、待ってて」

「はい」


 先生はそのままふらふらと奥へと進んでいったので、身近にあった棚から適当に古文の参考書を開いた。

 それから何冊かぱらぱら見ていても先生が戻ってこないので、彼女が向かった方へと行ってみると……必死に手を伸ばして、棚の上の方にある本を取ろうとしていた。


(なにそれ……めちゃくちゃ可愛いんですけど)


 先生も背が低いわけではないのだけれど、さすがに一番上の棚には惜しくも届きそうにない。梯子なりお立ち台なりを探してくればいいものを、何とか一生懸命取ろうとしているその様はあまりに愛しかった。

 その仕草をもう少し眺めていたい気もしたけれど、俺は先生の後ろからひょいと腕を伸ばして、その参考書を取ってあげた。


「この緑色の本ですよね?」

「あっ……」

「えっ……?」


 先生の方を見ると、もう少しでキスしてしまいそうなくらい、彼女の顔が近くにあった。

 お互い、少し沈黙のまま見つめ合って、胸がドキドキ高鳴っていくのがわかった。ポニーテールの先生とこんなに接近して何もするなって、これ拷問だろ。


「あ、えと、そう! これ使ってたの。わかりやすくておすすめだよ? ほら」


 先生は気まずさを振り払うかのように俺の手から参考書を取ると、ページを開いて見せてきた。「ああ、ここ何回もやったなぁ」と呟きながらページをめくる先生の手元なんて全く見ていなくて、彼女の横顔にただ視線を釘付けにされていた。


「えっと……な、なに?」


 俺の視線に気付いて、彼女はちらりと横目でこちらを見てから、恥ずかしそうに目を逸らした。


「あ、いや……その髪型、凄い可愛いなって」

「ほ、ほんと? ちょっと幼いかな、とも思ったんだけど……」

「いえ、全然そんな事ないです! すごく似合ってます。よくポニテするんですか?」


 そう訊くと、彼女は参考書で口元を隠してから、首をふるふると横に振った。


「え、普段はしないんですか?」


 先生はこくりと頷いて、


「今日、湊くんと一緒に歩くから……お洒落した方がいいかなって」


 上目を遣ってこちらをちらりと見て、また視線を逸らすのだった。


「~~~──ッ!」


 ダメだ。この人のこの天然は心臓に悪い。動脈と静脈が正常に機能しなくなって、心筋梗塞になってしまう。


「え、ちょっと湊くん、どうしたの!?」


 心臓のあたりを押さえて屈みこんでしまった俺を、先生が心配して顔を覗き込んでくる。


「な、何でもありません! これ買ってきます!」


 言葉が出なくて悶え死にそうになったのを誤魔化して、先生から参考書をぶん捕ると、そのままレジへと走った。

 これが天然じゃなかったら、何だっていうんだよ。

 勘弁してくれ。こんな事され続けたら、本当に勘違いしてしまう。

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