第13話 無自覚天然小悪魔ですか。

 日曜日、新宿駅の東口交番前で先生を待つ。日曜日だし、時間帯もお昼を少し過ぎた頃なのも相まって、交番前は人でごった返していた。


(うわ……こんなに人いたら先生の事見つけられないかも)


 時計を見てみると、まだ待ち合わせには一〇分ほど余裕があるので、交番前のガードレールに腰を降ろした。

 太陽光が当たって、暑い。汗がたらりと首筋を伝ったので、慌ててハンドタオルで汗をぬぐった。せっかく先生と会うのに、汗だくで臭いと思われたら最悪だ。

 梅雨の合間に見えた太陽を睨みつけてから、俺は鞄の中に入れた小型の制汗スプレーを取り出して、ぶしゃーっと服の中に吹きかける。


(それにしても……もう七月か)


 スマホの日付を見て、はあ、と溜め息を吐いた。

 受験が刻一刻と迫っているし、何より来週から一学期の期末テストだ。一般入試一択の俺は今更期末の勉強をするつもりはないけれど、それでもテストは嫌なものだ。ただでさえ模試ばかりでテスト続きだというのに、学校でもテストとは、一体どれだけ受験生をテスト漬けにすればいいのだ。

 テストと言えば、先生も再来週から前期試験だと言っていた。その為、来週と再来週は家庭教師の授業もお休みとなっている。もしかすると、先生が今日わざわざ参考書選びに付き合ってくれるのも、それが理由なのかもしれない。


(あれ……まだかな)


 時計を見ると、待ち合わせ時刻の一三時を過ぎていた。

 本当なら最寄りの桜ヶ丘駅で待ち合わせてもよかったのだが、先生が午前中は用事があるらしく、新宿駅の東口交番前で待ち合わせる事になったのだ。

 目的地は、新宿の紀伊国屋書店。東京の書店の中でも比較的大きな部類に入る本屋だ。池袋のジュンク堂でもよかったのだけれど、わざわざ新宿で乗り換えるのも面倒だし、置いてあるものはさして変わらないだろう、という判断で紀伊国屋になった。

 もう少し遅れるようなら、俺だけ先に紀伊国屋に行っててもいいんだけどな……そんな事を考えながらスマホを見ていた時である。


「湊くん、ごめんっ。遅くなっちゃった!」


 先生の声が前から聞こえて、顔を上げると……そこには、俺の大好きな人がいた。

 先生はいつもの大人っぽいオフィスカジュアルな服装とは違って、淡い色のシフォンワンピース(オフショルダー)にサンダルだ。しかも髪をポニーテールに結んでいる。


(うっわ……嘘だろ!? ポニテ、可愛い過ぎ……ッ)


 掛けるべき言葉はたくさんあるはずなのに、普段と違う可愛らしい彼女を見て、思わず言葉を失ってしまった。

 先生の周りだけ、光が放たれているようにキラキラして見えるのは、きっと俺の勘違いではないはずだ。よく周囲を見てみると、周りの男は絶対に先生に一瞬視線を奪われている。中には振り返って二度見している人もいた。


(先生、いつもこんなに視線浴びてるんだ……本人、どう思ってるんだろう? ナンパとか凄いされてるんだろうなぁ)


 先生は息を整えながら、首を傾げている。どうやら、遅れそうだったから走ってきてくれたらしい。こういうところを見て、優しいなぁ、と思うのだった。先生の為なら、きっと二時間でも三時間でも待ててしまうのだけれど。


「お、怒った? ごめんね、前の用事が片付かなくて……」

「あ、いや、全然怒ってないですよ! ほんとに俺もさっき来たところなんで」


 俺がぽかんと呆けていたのを別の意味で受け取られてしまったようだ。見惚れて言葉を失っていただけ、とはさすがに言えない


「にしても、これだけ人多いのによく俺の事見つけられましたね」

「え? どうして?」

「どうしてって……俺、目立たないし、特徴もないから」

「そうかな?」

「え?」

「だって、すぐ見つけられたよ?」


 きょとんと不思議そうに先生は首を傾げる。

 不意の言葉に、思わずどきっとさせられて、胸を抱えてしゃがみこみたくなった。

 ──ああ、もう! だから何なんだよ、あんたのそれは小悪魔なのか天然なのか、どっちなんだ。絶対大学で男に勘違いさせまくってるだろ、あんた!

 そんな不満を心の中でぶちまけた。ただ、こんな攻撃を故意的にされていてはこっちの心臓が持たない。これは確認してみる必要があった。


「……先生、それわざとですか?」

「え?」


 俺の問いに、不思議そうにまたきょとんと首を傾げている。

 ダメだ、これ天然だ。前のご褒美発言の時も思ったけど、完全に天然が入っている。危なっかしすぎるだろ。こんな子にひとり暮らしさせて良いんですか、親御さん。


「いえ、何でもないです……行きましょうか」


 そろそろ周りの男どもの視線も鬱陶しいし、と心の中で付け加える。

 先生は相変わらず不思議そうにしていたけど、どうやら周りの男どものやらしい視線にも全く気付いていないらしい。連中は彼女の顔だけでなくて、うなじや大きく実った果実を一度は見ていたのだ。


(この人、本当に大丈夫なのか?)


 年上で大人のはずなのだけれど、この無警戒っぷりには諸々心配になってくる俺であった……。

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