第3話 本当は一目惚れでした。
一か月前、ゴールデンウイークが明けて最初の週、学校から家に帰って自室に入ったら、いきなり見知らぬ女性が座っていて「おかえり」と言ってくれた。一方、家庭教師が来る事をさっぱり忘れていた俺は、時間が止まってしまったかのように、彼女をぽかんと眺めていた。
あまりに綺麗で、清楚で、おしとやかで……でも、可愛らしい雰囲気もあって。ああ、これが俺の理想としている女性なんだな、って思わされてしまった。今まで『好きなタイプは?』と訊かれてもぱっと答えられなかったけども、今なら『先生がタイプ』とはっきり言える。それくらい、彼女は俺の理想的な容姿をしていた。
ただ、部屋にそんな人がいるなんて思っていなかった俺は、意識が戻ってくるや否や階下に降りて、母さんに「なんか女の人がいるんだけど!?」と怒鳴り込んだものだ。
母さんは「昨日、『明日から家庭教師の先生が来る』って言ったでしょ?」と呆れ顔だった。ゲームをしながら聞いていたので、聞き流していたのだ。完全に俺の過失である。
それから、部屋に戻って自己紹介をし合って、進路や目標、現在の成績などの確認をした。
俺、
まだ進路なんて進学以外に何も決まってないのだけれど、とりあえず文系科目の模試の成績を上げるところに目標を設定した。先生も理系より文系科目の方が得意だと言っていたからだ。
先生は、母親の友人だかの紹介で、正式に家庭教師派遣会社から派遣されてきているわけではない。
「私も家庭教師自体は初めてだから、気になる事とかわかりにくいところとかあったら、何でも言ってね。湊くんが一番やりやすいようにしていきたいから」
先生は眉根を寄せて、困ったように笑って、そう言ってくれた。
経緯を聞いてみたところ、どうやら発端は母さんが俺の成績の事を友人に話した事だそうだ。それからその友達から先生に連絡が行って、あれよあれよという間に家庭教師の話が決まってしまったらしい。
「無理してるなら、引き受けなくてもよかったのに……どうせ母さん達が勝手に決めたんでしょ?」
「ううん、違うの。ちょうど私も、家庭教師の仕事しようかなって考えてたところだったから、渡りに船っていうか。だから、私の方こそ勉強させてね」
先生は柔らかく笑みを作って、そう言ってくれた。
それが事実なのかどうなのかはわからないけれど、こうして俺が遠慮しなくて良いように空気を作ってくれるあたり、彼女は本当に大人で思いやりがあるんだな、と思えた。それが彼女に対する第一印象だった。
◇◇◇
それから授業を数回受けて、その間に模試を受けたのだけれど、その結果があまりに悪かった。
気合を入れ過ぎたのか、空回りしたのか……先生に良いところを見せようと意識し過ぎたのがダメだったのは、自分でもわかっている。
それで落ち込んでいたところで出たのが、『ご褒美』案件だった。もちろん、これも俺から言い出したのではない。先生が自分から言い出したのだ。
『うーん……じゃあ次の模試で七割超えてたら、先生が湊くんにご褒美あげる!』
その後慌てて、私にできない事は禁止だよ、と付け加えていたけれども。
きっと落ち込んでいた俺を励ます為に咄嗟に出た言葉だったのだと思う。それに、もしかすると七割は無理だろうけど、それでやる気が出るなら、と思って言ってくれただけかもしれない。
そう、本当にただそれだけのものだった。本当によくある口約束。ただの口約束だったのだ。
(まさか、本当に受け入れられるなんて、思ってもなかった)
キスしたいだなんてお願い、認められるとも思っていなかった。ワンチャンいけるかな、くらいの悪戯心というか、九割くらいは『何言ってるの、もう』と少し怒らせるくらいのつもりで言ったお願いだった。それで、少しでも俺を恋愛対象として見てくれるのなら御の字。そう思ってお願いしたのに、まさかそのお願い事が叶って、ご褒美をもらってしまっている。
信じられない光景が目前に広がり、そして彼女の存在を肌と唇、そして舌を通して感じていた。
そこには現実感がなくて、その代わりに幸福感に満たされた時間だけがあった。
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