五品目 連々と続くもの

「ご迷惑おかけしました」

 交番の前で深々と頭を下げる男性と、その男性に背中を押されて、半ば強制的に頭を下げる高校生くらいの茶髪の男子。

 男性の名は一之瀬京吾、少年の名は一之瀬連。京吾は連の伯父にあたる。連の両親は彼が産まれてくる前に離婚。母親は出産後に亡くなった。

 その後、彼を引き取った京吾は、夫婦そろって本当の両親のように接し、高校まで育てた。だが、頭のどこかで「自分の子ではない」と言うのがあってか、彼に対して強く言うことができず、そして彼も、自分の出自を直接聞いたわけでなくとも何となく知り、それでいつしかぐれるようになった。

 夜中に平気で外に出歩き、高校へ行ってもほとんど授業には出席しない。いつもなんとか引っ掛かるように進級して、そのまま高校三年にまでなった。

 ただ惰性で日々を行き、行くように仕向けられているから高校へ行き、舐められたりバカにされたりしたくないから進級はできるようにする。そんなフラフラとした生活を送っていたある夏の日、今回の事件が起きた。

 他校の生徒に暴行を振るったと連絡が入ったのは、夜の10時を少し回った頃だった。連が手を出したと聞いて慌てて京吾は交番へ駆けつけた。

 警察の方は事情を聴いた上で喧嘩両成敗と言うことで双方を指導し、保護者へ連絡を入れたという。


「なぁ、連。何があった?」

「……別に」

「お前から手を出したのか?」

「……」

 会話が続かず、二人は無言のまま家に戻った。

 リビングに入ると、京吾の妻、三重が食卓の椅子に座って待っていた。

「あなた、連」

「ただいま。すまない遅くなって」

「……」

 京吾は、見てほしいものがあると言って連を何とか椅子に座らせる。

「何?」

 連の質問には直接答えず、京吾はビデオデッキを操作して何かを再生する。

「連が、18歳になる頃に見せてほしいって、君を産んだお母さん、晴子から言われてたんだ」

 画面に映し出されたのは、病室のベッドの上だろうか、院内服の上から春色のカーディガンを羽織り、痩せた顔で微笑む女性の姿。連にとって、写真でしか見たことがない、母親の姿。

「連。18歳になったんだね、おめでとう。恐らく見ることはできないけど、立派に、元気に育ってることだろうね」

 初めて聞いた母親の声。穏やかで、彼女の名の通り晴れた春のような温かい声。

「彼女ができて、それを京吾兄さんに紹介して……、私みたいに、可愛くて、明るい子で……」

 時々声が詰まる母。連も思わずつられて涙をこぼす。それでも、目に焼き付けるように画面を見続けた。

「高校に入ったら学ランかな。それともブレザーとか? 大学も行くんだろうね、それから社会人になって、スーツ姿、見たかった」

 ついに涙があふれ、カメラから一瞬、顔を隠す母。少しして手で顔を拭いカメラに向き直るが、それでも零れてやまない。

「連、連。あなたの、『連』って言う名前には、良い出会い、良い運命があなたに繋がって、結び付きますように、そして、人を支え、支えられながらも逞しく元気に生きてほしいっていう意味で付けたのよ。あなたは一人じゃない。みんなの思いが連に繋がってる。そして連からも、他の人に繋がっているのよ。だから、いつか寂しくなったり、自暴自棄になったりした時、思い出して。みんながいる。お母さんも、そばにいるからね?」

 動画が終わり、停止した。京吾自身、これで何かが急に変わるとは期待していなかった。そもそも、本来の見せるタイミングは彼の誕生日の10月。もう少し先のことだ。けれども、今見せなければと、ある種の焦りのようなものがあって動画を再生した。

 連は涙を拭って無言のまま立ち上がる。キッチンへ行きグラスを手に取ると、水を出して一口、あおるように飲んだ。


 昨夜、あれから結局彼は一言も話さず自分の部屋へ行ってしまった。京吾と三重はその日の夜はほとんど眠ることができず朝を迎えた。

 朝ご飯と昨日の連の夕飯を食卓に並べていると、リビングへと静かに連が顔を出した。

「あぁ、おはよう」

「おはよう、連」

「……おはよう」

 久しぶりに連の口から挨拶が返ってきた。少なくともこの数年はほとんど聞かれなかっただろうと京吾たちは思い、思わず顔を見合わせた。

 連はトボトボと歩いて食卓の自分の席に着くと、身体を揺らしただけのような、それほどまでに小さくぺこりと頭を下げてご飯を食べ始めた。

 驚いてしばらくじっと彼の様子を見ていた二人だったが、怪しまれて機嫌を損ねられても敵わないと慌てて目線を逸らした。

 すると、直後彼がポツリと言葉を漏らした。

「あの日、同じクラスの女子が、他校の奴らに絡まれてたんだ……」

 連の頭の中で、その時のことが再生された。

「何とか女の子は逃がせたんだけど、そのまま囲まれて……俺、自暴自棄になってて、取り敢えず高校を卒業出来たらいいやって感じだったんだけど、でも退学だけは避けたくて、我慢したんだけど、このままじゃやられると思ったら」

 気が付くと連の頬を涙がつたっていた。

「あいつらは俺が先に殴ってきたって言ってたけど、僕は先に殴ってない。それどころか殴ってもない」


 あの日、連はクラスの女の子を逃がした後そこにいた四人の生徒に囲まれていた。もうそれはリンチだった。四方向から殴る蹴るの暴行の嵐。だが、それでも手を出さなかった。

 飛んできたパンチや足を受け止めたり、相手の腹へ飛びこんだりして押し出すように彼はその四人の男子を追い返そうとした。

 偶然そこを通りかかった人間が通報し、警官が到着した時、その場で立っていたのが連だった。他の連中は連に投げ飛ばされたときに各々でぶつかったりしてそのまま伸びていたのだ。


「分かってるよ。晴子と、俺と、三重、俺たちの子だ。そんな奴が、人様を一方的に殴って怪我させるなんて、そんなことするはずないじゃないか」

 そっと京吾は連を抱き寄せ、頭を撫でた。京吾の腕の中、その日初めて連は声を上げて泣いた。


 それからしばらく経ったある日。リビングに連が入ってきた。

「伯父さん、伯母さん。俺……T大に行きたいんだ」

「え、T大?」

「K大と並ぶ大学じゃないか」

「もっと勉強してみたくて、あと、母親に自慢したいから。まぁ、今からじゃ厳しいし、そもそも、二人にまた迷惑かけることになるんだけど……」

「いいじゃないか」

 何を言われるか不安で仕方がなかった連だが、そんな気持ちを見透かしてか、京吾が話を遮るように口を開いた。

 驚いて顔を上げると、京吾と三重、二人の嬉しそうな顔があった。

「やってみないと分からないじゃない」

「そうだよ。やってみな、連」

「……ありがとう」

 連は照れ臭そうに笑いながら鞄を下ろした。不思議そうに見ていると、彼は鞄の中からパンフレットを取り出した。

「実は、返事聞く前にもう願書は手に入れてた」

「なんだそれ」

 久しぶりに京吾たちの前で歯を見せて笑う連。その後ろからひょっこりと連と同い年くらいの一人の女の子が顔を出す。

「あら、桜ちゃん」

「こんにちは。気になってついてきたんです」

 彼女は水島桜。あの日連が助けた同じクラスの少女だ。わざわざ家を訪ねて、お礼を言いに来たことがきっかけで、それから親しくなり、よく遊びに来るような仲になった。

「桜ちゃんは進路、決まったの?」

 京吾が質問すると、桜は意味ありげに連を見てニヤリと笑って見せた。

「なに、俺がどうかしたの」

「私もT大に行くんです。それも、もうAOで決まってるんです」

「はぁ?」

 まさかのカミングアウトに連は口を開けて固まった。だが、他の三人はとても嬉しそうに、和やかに笑っている。

「はは、同じ大学に行くのか。面白い未来のお嫁さんじゃないか」

「連をこれからもよろしくね?」

「はい、お義父さん、お義母さん」

「なんだよそれ……」

 机の上にパンフレットを置きながらしょげてみせる連。桜が手を合わせて謝る。

「もう、ごめん。この通り(汗)」

「冗談」

 連はパンフレットを開いて願書のページを出すと、小さく呼吸をした。過去の自分と、ぐれていた自分と決別するように、彼はキリトリ線に沿って願書を切り離した。

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