第26話 スケッチブックの少女

”ううん・・・うまく描けないや・・”

少女は、スケッチブックを睨んでいた。

水彩絵の具を使って描いたその絵。

しかし、少女には気に入らないのであった。


「こんにちわ、お姉さん」

「こんにちわ」

山崎純子は交差点にやってきた。

3月のとある土曜日。

ここにはすでに何回か来ている。

少年とは顔なじみになっていた。

「ホワイトデーをかなり過ぎちゃったけど、バレンタインデーのお返しを渡すね」

少年は、純子にリュックサックから包みを取り出して渡した。

「あ・・ありがとう」

すでに季節は3月下旬。

確かにホワイトデーは過ぎていた。

純子はバレンタインデー以降、ここに来ていなかったのである。

「こちらこそ、バレンタインデーにチョコレートをもらって嬉しかったからね。ありがとう」

少年はニッコリと笑った。

”相変わらず綺麗な目をしている・・・”

純子は思った。


「今日はどうしたの?」

少年は純子に聞いた。

純子はスケッチブックと画材を持っている。

「そうだ・・ちょっと見てほしいんだけど・・」

純子は少年の隣に寄って、スケッチブックを開いた。

そこには、咲き始めの桜を描いた水彩画が描かれている。

「さっき、駅の向こうの公園で書いていたんだけど、ピンとこなくて・・」

「へえ・・きれいだけど、ピンとこないって?」

「なんか、平面的と言うか・・」

純子は、自分の描いた絵がなにか平面的な感じがしたのだ。

いままで、静物画を描いて来たりしたが春になったので風景画に挑戦してみようと思った。

そこで、桜を書いてみたのだが・・何かが違う。

何が違うんだろう・・・

と悩んでいた。


もちろん、明日になったら学校で美術部の先輩や先生にアドバイスを聞くことはできるかもしれない。

だけれど、なんとなくこの少年に聞いてみたくなったのだ。

「ふうん・・なるほどね・・・」

少年は絵を見ている。

そして、純子を見てニカッと笑った。


「以前、葛飾応為の話をしたっけ?」

「うん、それで絵を書いてみようと思ったんだ」

「”夜桜美人図”って絵があるの知ってる?」

『夜桜美人図』

愛知県の美術館にある絵だ。

純子は実物を見たことはないが、ネットで見たことがあった。

夜に浮かび上がる赤い着物を着た女性が印象的な絵だった。

「うん、ネットで見たよ」

その絵の桜についての話かと思った。

なるほど、参考になるかもしれない。

ところが、少年は桜ではないところを話してきた。

「その絵の空には星が描かれているんだよ」

「星?まぁ・・夜の絵だからね」

「その星・・よく見ると白だけではなく赤や青などいろいろな色で描かれているんだよ」

「え?」

意外な話である。

純子は実物を見てはいないが・・

「桜の花ってピンクで描いているよね?」

「うん・・・」

「でも、近づいて花を見てご覧?赤や緑や・・花はいろんな色をしているよ。もちろん蕾もあるし、影になったところも色は違うしね」


純子は、ハッとなった。

「あ・・ありがと、ちょっと行ってくる」



さっきの公園に来る。

桜の木に近づいてみてみる。

確かに、花びらには赤やピンクや白。

蕾には茶色や緑。

影になった部分はピンクでも違う色。

いろんな色があった。

そこまで、いままで純子には見えていなかった。

桜の木からちょっと離れて見てみる。


いままで、純子は見えていなかった。

いろんな色が溢れている。


スケッチブックを開き、今度はいろんな色を使って絵を描き始めた。

まだ、色の使い方にいろいろ工夫を覚えないといけない。

だけども、もう純子の目にはたくさんの色が飛び込んでくるようになったのだ。





そういえば、少年はかつて言っていた。

人は一人ひとり違うと・・


純子は人混みが苦手であった。

人混みでは、みんな同じに見える。


でも、少年の目にはみんな違って見えるんだ・・・



次の日の日曜。

純子はまた少年のもとにやってきた。

「こんにちわ、お姉さん」

「こんにちわ」

するとおもむろに、純子は少年の横の路上に座ってスケッチブックを開いて、鉛筆で絵を描き始めた。

「え・・・と、お姉さん?直接地面に座ると冷えちゃうよ?」

とまどう少年。

「ん・・そうかも・・」

それでも、描くのをやめない純子。

「え・・・。向こうの100円ショップに折りたたみの椅子を売ってると思うけど・・」

「ん・・・買ってくる」

純子は走って行く。しばらくして折りたたみ椅子を持ってきて、それに座り描き始める。

純子の描いているのは街を行く人の人物画。

いわゆるクロッキーと呼ばれるスケッチである。

純子は、人物画を描いてみたくなったのだ。


その日から、毎週末。

純子は手すりに座る少年の下でスケッチブックを開いて絵を描くようになったのである。


街では、交差点の名物であった少年と、新たに増えたスケッチブックの少女の噂

が広まっていったのであった。




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