第16話 伊藤 かなえ

ごめんなさい。

今回はハッピーエンドではないです。


◇◇◇◇

「今日も来ないわね。」

喫茶店の中で、独り言を言ってしまう。

あの常連は毎日、いつも決まって窓際の席でミルクティを飲む。

しかし、急に来なくなった。

”私も含めて、もう年だしね・・”

この街は若者の街と思われているが、昔から住んでいる人々もいるのだ。

だが・・そんな人々もだんだんと減ってきてはいるのだが。


----


「こんにちわ、お姉さん」

「いやだわ、お姉さんなんて年じゃないわよ。」


いつものように交差点の近くの手すりに座る少年。


その少年に声をかけたのは、近くで老舗の喫茶店をしている岸野 佳織。

67歳 独身。

その佳織に”おばあさん”でも”奥さん”でもなく、お姉さんと声をかけるあたり、さすが処世術を心得ているとしか言いようがない。


「どうしたの?声をかけてくれるなんて珍しいんじゃない?」

「いやね、あなただったら知ってるかと思って・・」

困ったように話す。

「うち、喫茶店やっているでしょ? そこにいつも来るさんっていう常連さんがいるんだけど・・」

「かなえさん? あぁ、あの人のことかな?」

この近所に住んでいると思われる、時々通る女性。老婆と言っていい年齢の女性。

「それがね、ここ一週間ほど見てないのよ。あんただったら、ここを通った時に見てるかと思ってね。どう?最近見てない?」

「そういえば、最近は見ていないなぁ。でも、2週間以上みていないかも。」

「おや・・そうかい・・ちょっと心配だねえ。」

「おうちは知ってるの?行ってみたら?」

「行ってみたんだけど、お留守みたいでねぇ・・呼び鈴鳴らしても返事がないのよ。」

「ふうん・・・」

「警察に相談したほうが良いのかしらねえ。」

「ここ、お巡りさんも通るから今度言っておこうか?」

「そうね、お願いできるかしら。」


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その日、かなえは家にいた。

伊藤 かなえ。裏路地に入ってしばらく先に住んでいる72歳の女性。


彼女は一人で寝室の布団の中に横になっていた。

もう起き上がる元気は無い。

体中に痛みがありほとんど眠ることができていない。

しかし・・その痛みも麻痺してきたのか、感じなくなってきていた。


”あぁ・・そろそろかしらね”


かなえは、伴侶に先立たれてすでに10年。子供は授からなかった。

知っている親戚もほとんど死んでしまった。

今は、孤独な一人暮らし。


もう、外は夜。部屋の中は暗くなっている。


このまま、孤独に死んでいくのか・・・

その覚悟はしていた。

”佳織さんは心配してるかな?”

毎日通った喫茶店の女性にことをふと思った。

心配させまいと、痛む体を鞭打って通い続けたが・・・

もう、起き上がることはおろか寝がえりを打つこともできない。


ふと、かなえは枕元に誰かいることに気が付いた。

目だけを動かして、そちらを見る。


枕元には・・少年が座っていた。


”だれ?”

と声を出そうとしたけど、もう声も出せなかった。

よく見ると、いつも交差点のところにいた少年。

鳶色の瞳でじっと見つめてくる。

その少年は聞いてきた。

”かなえさん、大丈夫?”

”大丈夫じゃないけど、仕方ないね。”

”そう・・・”

声で会話してはいなかった。でも、思うだけで会話が成立していた。

”あんたは・・死神?それとも天使様かい?”

”・・・どちらでもないよ”

”どちらでもいいさ・・もう、私は助からないんだろう?”

”・・・・”

”そうか・・まぁ幸せな人生だったかもね。”

”幸せだった?”

”そうだね、大好きの主人と暮らせたし。生まれ育ったこの家で死んでいくことができるし”

”そうなんだ、この家で生まれ育ったんだ”

”そうだよ・・・私はね・・”


そうして、かなえは話し始めた。

この家で育ったこと。大好きな両親。小学生・・中学生・・高校性・・

たくさんの友達・・やがて就職した先で出会った男性。

その男性と結婚し、幸せな生活。

かなえが、いままでどんな生き方をしてきたか・・・すべてを伝えていた。


それは、さながら・・・死ぬ前の走馬灯。


かなえは、ふと少年を見る。

少年は涙を流していた。

”私のために泣いてくれているのかい?”

”はい・・・それに・・

”それに?”

”私の大好きな親友・・・彼女ももうすぐ死んでしまうので・・”

”そうかい・・じゃあ、その人の話も聞いてあげないといけないよ”

”はい・・”


”なんだか・・聞いてもらって、気が楽になったよ。とても幸せな気分・・”

かなえは、若返ったような気になった。

まるで、少女の時のよう・・

・・・あの世では、大好きなあの人に会えるかしらね。

”本当に幸せだった。聞いてくれてありがとう”

このまま、死んでいけるのか。こんな気分で死ぬのならいいかもしれない。


”ごめんなさい、謝らないといけないです”

”謝る?”

”呼んでしまっているので・・”


遠くから聞こえてきた、救急車の音。

やがて玄関から扉を開けようとする音が聞こえる。


気が付くといつの間にか少年はいなくなっていた。


----


「こんにちわ、佳織さん」

「こんにちわ」


数日がたっていた。


「この間、救急車が来てたね。かなえさんだったみたいだね。」

「そうだったの・・でも、残念ながら・・ね」


その夜。消防署へのからの通報でかなえの家に救急車が出動。

病院に搬送した時には、まだ意識はあった。

驚いた佳織も病院に行った。

しかし残念ながら・・・その夜、かなえは永眠した。

もともと、全身をガンに侵されていたらしい。


「最後に会えたのが救いだわ。」

「残念だったね」

佳織はため息をついて言う。

「この街に昔からいる人間がまた減ってしまったわね・・」

みんな年老いていく。来るのはよそからくる若い人ばかり。

「佳織さんはまだ若いから大丈夫だよ」

キシシと笑って少年は言う。

「何言ってんの」

少年の背中をはたいた。

「そういえば・・」

「なに?」

「かなえさん・・亡くなる寸前に、天使に会った・・・って言ってたわね」

おそらく、もうろうとする意識の中で、うわごとのように言った言葉。

「じゃあ、天国に行けたのかな」

「なるほどね、私も死ぬときは天使に会いたいわね」

「まだまだ、ずっと先だと思うよ」

「はいはい」

佳織は笑って、少年を見て・・ぎょっとした。

街行く人々を見る少年の目は涙を浮かべ、とても・・とても悲しげだったのだ。

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