第7話 アレッサンドロ

夕方近く。

交差点近くの路上で、道行く人に声をかける初老の男性がいた。

「Ciao! Sai parlare italiano?」

声をかけられて人はぎょっとして、避けるように足早に過ぎ去っていく。

無理もない。

英語ができる人も少ない中、英語以外の言葉で話しかけられても対応できる人は殆どいない。

その男性は、ため息を付いて肩をすくめた。交差点の方に歩いてきて、手すりにもたれかかる。

ふんっと鼻を鳴らし眉をしかめる。

すると、男性の隣で手すりに座っている少年もため息を付いた。

やれやれといった感じで肩をすくめる。

そしてしかたないなあ・・という感じで、男性に話しかけた。

「Ciao amico. che le succede?」

あまりに突然に流暢な母国語で少年に話しかけられたので、その男性はびっくりして飛び上がった。


その男性の名はテオと言うそうだ。

イタリアから着たばかりらしい。


『いやあ、良かったよ。この国ではイタリア語がわかる人がいなくて困ってたよ』

『日本人はイタリア料理は好きだけど、イタリア語はほとんど通じませんよ。』

『まったく、困ったもんだ。』

『で、どうしたんです?』

『そうそう・・聞きたかったのは・・』

ニヤリと笑って聞いてきた。

『このへんで、うまいイタリア料理を食わせる店はないか?』


少年は鳶色の瞳で、じっと男性を見たあと、こう答えた。

『見ての通り僕はガキだから行ったことはないけど、向こうの路地を入ってすぐ左のレストランがいいらしいよ』

『ほう、それはいいことを聞いた。今から行ってみよう。』

『あと、道を聞くなら通りを渡ったところに交番があるからソッチのほうがいいと思うよ。』

『いやいや、イタリア語がわかる少年がいたので助かった。また会おう!チャオ!』

『チャオ!』


男性が去ったあと、少年はため息を付いた。

周囲の人々は少年を信じられないものを見るような目で見ている。

”だから嫌だったんだ”

この日本では中学生くらいの少年が外国語をペラペラ話すのはすごく目立つことであった。


ーーーー

レストラン「レガーロ」に入ってきた客を見て、オーナー兼シェフのアレッサンドロは驚愕した。

『お・・・親父?日本に来てたのか?』

『よお!アレッサンドロ。久しぶりだな』

ウェイトレス姿の、妻である早苗も驚いていた。

『お・・お義父様。お久しぶりです。』

大学でイタリア語を学んだ早苗は、イタリア旅行に行ったときにアレッサンドロと出会った。

そして、早苗を追って日本に来たアレッサンドロ。

イタリアレストランで働いた後に、ようやく独立して店を持ったばかりであった。

『さっき、そこの交差点である少年に会ってな。ここらでうまいイタリア料理の店を聞いたらここだって教えてくれたんだ。やっぱりアレッサンドロの店だったか!』

そして豪快に笑う。

アレッサンドロは苦笑いした。

実は・・店はあまり繁盛していない。

今もまだ夕方とはいえ客はいない。

『まぁ、親父。ごちそうするから食べていってくれよ。』

『おう、期待してるぞ!うまい料理は人を幸せにするからな!』

うまい料理は人を幸せにする・・・イタリアで料理人をしている、テオの口癖である。

”うまい料理か・・・”

アレッサンドロは自分の料理に自信があった。だが・・・なぜか、客が来ない。

このままだと、店を閉めないといけないところだ。

”まずは親父に料理の感想を聞いてみよう”

そう思って料理を作るのであった。


ーーーー

次の日の昼下がり、アレッサンドロはなんとなく交差点に行ってみた。

自分の店を勧めた少年がいる・・・。

なぜ勧めたのか気になったのである。

テオは早苗の案内で東京観光に行っている。

交差点の脇の手すりに少年が座っていた。

”この少年だろうか・・・?”

だが、どう声をかけてみたものか。

とりあえず、少年の隣に行ってみる。

「こんにちわ、お兄さん」

少年の方から声をかけてきた。

日本に何年かいるアレッサンドロは日本語もある程度わかる。

「こんにちわ・・・え・・と。」

「昨日、イタリアの男性が来たのでイタリアンレストランを紹介したんだ。」

「それは・・私の店だ。アレは私の父だったんです。」

「やっぱりそうだったんだ。このへんでイタリアのシェフが居る店ってそこだけだからね。」

なるほど・・・それで、うちの店を紹介したのか。

納得したが、悔しくも思った。

料理が美味しいから紹介したんじゃなかったのか・・・

思わず、ため息を付いた。

「どうしたの?困りごと?」

「うちの店、料理が美味しいから教えたんじゃなかったのですか。」

「ううん、美味しいって聞いたよ。」

「じゃあ、どうしてお客が来ないですか・・」

すると、少年はキシシと笑って、こう言った。流暢なイタリア語で。

『だって、この街の人を幸せにするなら、それだけじゃ足りないからね。』

突然の母国語。アレッサンドロはびっくりした。

『た・・・足りない?』

『そう、見てご覧。今の時間、とても沢山の人がいるよね?』

街並みを見つめる。

『この街は夜より、昼間のほうが人が多いよ。なんでランチやカフェ営業をしないの?』


日本語のことわざを使うなら、目からウロコだった。

アレッサンドロは正当なイタリア料理で勝負しようとしていた。

そのため、ディナーとワインを売りにしようとしていた。

『あと、見てご覧。学生くらいの女の子がとても多いよ。彼女らは甘いお菓子に目がないと思うよ。イタリア料理では美味しいデザートもたくさんあるのにね。』

『あ・・・』

そうか・・・

『美味しい料理は、人を幸せにする。そのためには、その街にいる人を笑顔にするような料理を提供しないとね。』

まいったな・・この少年は親父とおんなじことを言う。


ーーーー

その夜、アレッサンドロは妻と相談した。

ランチとカフェ営業。

それと女の子が喜びそうなデザート。


そう、人を笑顔にする料理を提供しないと・・・。


その様子を扉の影から見たテオは満足そうにうなずいたのであった。


ーーーー

1ヶ月後、「レガーロ」は雑誌の取材を受けた。

その後には、女の子に人気の店として行列が絶えないようになる。


一番人気は、ティラミス。

そのティラミスの上には、にっこりと笑った笑顔が書かれていた。

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