第3話 坂井 かりん

山崎武志はイライラしていた。

助手と待ち合わせしているのに、全然来ない。

そもそも、久しぶりに日本に来たのに、目的が果たせなかった。

カフェで待っているのだが、電話をするために店の外に出る。そして携帯で助手に電話した。

なかなか出ない・・・

ますますイライラする。


ーーーー

少し肌寒い3月下旬の土曜日。

坂井かりんは交差点の横に座り込んでしまった。

坂井かりんは5歳。

両親とははぐれてしまった。

迷子である。

でも、迷子になったことより、かりんは違うことで悲しみに暮れていた。

どうして・・どうして私だけ・・・

「どうしたの?」

かりんの頭上から声をかけられた。

見上げると少年が手すりの上に座っている。

ニットにジーパン。白いダウンの肩に羽織っている。中学生くらい?小学生高学年と言ってもいいくらいの少年だ。

話しかけたのはその少年らしい。

「悲しそうだね、どうしたのかな?話してご覧。」

その少年の鳶色の瞳に見つめられ、不思議と話す気になった。

かりんはぽつりぽつり、話し始めた。

「私・・・死んじゃうの・・・」

「死んじゃう?」

「病気なの・・心臓の病気だって・・原因不明だって・・・」

「病気なんだ。痛いの?」

「夜中に・・急に痛くなったり・・・」

「そうなんだ。」

「私・・・死にたくない・・・」

「ふうん・・・そうだよね。」

「でも、どうしたらいいかわかんないの・・」

「そう・・・」

少年は、すぅっと・・・目を細めた。

「へぇ・・・偶然ってすごいね・・」

「え?」

すると少年はこんなことを言った。

「ねぇ・・・何でもするって約束したら、助けてあげるよ。死ななくていいように。」

驚いて見上げた。

明るい空の色で少年の姿は逆光になっている。

それはまるで、光に包まれているみたい。

突然、風が吹いた。

少年のダウンの袖が風にはためく。

少女には、まるで少年の背中に翼が生えているように写った。

”天使さま・・・?”



「どう?やってみる?」

「な・・何でもします。助けてください!!」


少年は手すりから降りてきて、かりんの横で屈んだ。

「それじゃあね・・・」

通りの向こう。離れたところのカフェを指差す。

「あのオジさんに”助けて”って言ってご覧。」

「え。。。?」

指差したほうを見る。

カフェの前では、怖そうなおじさんが携帯電話に向かって怒鳴っている。

大きな体格のうえ、強面の顔で怒鳴っている姿は少女にとって恐怖でしか無い。

「え・・・、怖い・・・」

「大丈夫、一緒に行ってあげるよ。

 あのオジサンに”助けて”って言えば死ななくて良くなるよ。」

「・・・ほんと?」

「本当だよ。」


ーーーー

山崎武志はさらにイライラをつのらせていた。

電話したのだが、助手はまだまだ来そうもない。

日本に来た目的も果たせそうもない。

すべてが上手く行かない。

”来年の学会までには術式の臨床試験を完了させたいのに・・・”

カフェに戻って助手をまとうと思ったとき・・・目の前に赤いコートを着た少女が突然現れた。

人形みたいな小さな女の子。そしてこう言った。

「あの・・た・・・助けてください・・・」

「助ける!?なんだね君は!!」

イライラしていた山崎はつい怒鳴ってしまった。

少女は、”ヒッ”っと声を上げて泣きそうな顔になる。

その少女の頭をぽんぽんとなでた少年が言った。

「山崎武司医学博士。この子はあなたが探していた患者クランケですよ。

だから話を聞いてあげてください。」

その少年の瞳に見つめられる・・・吸い込まれるような鳶色の瞳。

すうっ・・と、山崎の心からイライラが消えてなくなった。不思議と少年の言葉を信じていた。

”探していた患者クランケだと?”

もしそうなら、奇跡である。

「あの・・私・・・病気なの・・・死んじゃうの・・」

少女が泣きそうな声で話してくる。

山崎は少女の前でかがみ込み、頭をなでた。

「私はね、お医者さんなんだ。名前を教えてくれるかな?」

「かりん・・・です。」

「かりんちゃん。どんな症状なのかな?」

「夜中に・・・胸が痛くなったりするの・・」

”なんてことだ・・・”

山崎は非常に珍しい心臓の難病に対する研究をしていた。そして、新しい治療法を編み出した。

あとはその治療法に対して臨床試験をして当局に承認して貰う必要がある。

しかし・・・その難病の患者がなかなか見つからなかったのである。

ようやく日本にいるという患者・・・しかしその患者も山崎が来日した日に亡くなってしまった。

また患者を探さなくてはならない・・・

絶望的になっていたときに、目の前にその少女が現れたのだ。

「君はどうして・・・?」

と見上げると、いつの間にか少年はいなくなっていた。

キョロキョロと見回してもいない。

”幽霊にでも会ったのだろうか?”

でも、目の前に少女はいる。

「では、かりんちゃん。寒いので中で話を聞いてもいいかな?」


ーーーー

「かりん!かりん!どこなの?」

必死で探し回っても見つからない・・・

人混みに紛れてしまった娘を探して母親は走り回っていた。

その目の前に急に少年があらわれ、手を上げた。

「かりんちゃんのお母さんですね?」

「は・・はい!かりんがどこにいるか知っているんですか!?」

にっこり笑った少年は、言った。

「かりんちゃんは、駅の向かいのカフェにいますよ。お医者さんと一緒にね。」

「か・・カフェ?」

急いで向かおうとする母親の背中に声がかかる。

「大丈夫ですよ、かりんちゃんは助かりますよ。」

「え?」


振り返った、母親。でも、そこにはもう少年はいなかった。


ーーーー


2年後。

その少女は、すっかり健康になっていた。

手術。薬物療法。リハビリ。

治療は大変であったが、すべて成功したのだ。

山崎はその功績で学会で注目され表彰された。

そして、かりんは小学校に通うようになった。

体育の授業でさえ普通に受けることができるのだ。

かりんにとって、奇跡が起こったとしか思えない。


そして、少女はまたあの交差点にやってきた。

母親は、”ちょっと待っていてね”と言ってコンビニに入っていった。


少女は、迷いなくその少年のもとに歩み寄っていた。

そう、あの時のように少年は手すりの上に座っていた。

「こんにちわ」

「こんにちわ、もうすっかり治ったようだね。」

「うん、すっかり治ったの・・・ありがとう。ありがとう・・・お礼が言いたかったの。」

「ううん、ちゃんと”助けて”って言えたからだよ。」

「ううん。あなたのおかげだよ。」

にっこり笑った少年。

その少年に少女は言った。

「あなたは・・天使さまなの?・・ううん天使さまだよね?私の命を助けてくれた。」

ぽろぽろと涙を流す少女。

困ったように少女の涙をハンカチで拭った少年。

「ほら、もうお母さんがくるよ。行きなさい。」

「うん・・・また会える?」

「会えるよ。ここに来れば。」

少女は涙を拭って笑顔になる。

「じゃ、また来る!また来るね。」

そして母親のもとに走っていったのだった。


ーーーー

それ以降、少女は彼のことを”天使”と呼び続けるのだった。

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