11 空の散歩
クロード様がわたしに向かって、その真鍮色の義手を差し出されている。
しかし、わたしはその手をとらなかった。
「クロード様。先ほどのお話ですが……その、申し訳ありませんが辞退させていただきます」
「何? 俺の善意は、不要ということか」
「はい。足が痛いは痛いんですが、でもこれもいずれは慣れなければならないことですので。お恥ずかしながら……このようなきちんとした靴を今まであまり履いたことがございませんでした。醜態をさらしてしまい、申し訳ございません。それにこれは師匠がわざわざ用意してくれたもの。それをすぐに新しいものに変えてしまうというのは……」
「そうか。そういうことならば買いに行くのはよそう」
意外とすぐにご理解いただけたようで、ひとまずホッとする。
しかし、クロード様はその右手を依然差し出されたままだった。
「あの、クロード様?」
「ならば、ただの空の散歩ならどうだ」
「えっ?」
「それもダメか。これでも、君と親睦を深めたいと思っているのだがな」
「えっと……」
意味がわからない。仕事ってここまでするものかしら。
「君がそうする必要はないと思うのなら、無理強いはしない……」
淡々とおっしゃられているが、まるで叱られた子供のようにしゅんとされている。わたしはなんだか申し訳なくなって、あわてて弁明した。
「あ、あの、別に嫌ってわけじゃないんですよ? 本当に、ここまでしていただくなんてその……お、畏れ多いといいますか……」
「いや、俺が少し急いていたようだ。こうして誰かと関わるのは久しぶりだったからな……すまない」
そう言って引っこめようとなさったその義手を、わたしはパッとつかまえる。
「え?」
「え?」
二人ともなぜか同時に声が出ていた。でも、わたしは間違ってなかったと思う。なんとか、なんとか誤解を解かなくては。
「す、すみません! でも……本当に、そんなことしていただくなんて身に余るというか……と、戸惑ってしまっただけなんです。クロード様が誘ってくださったのはとても嬉しかったです。ですからその、その……す、少しだけなら……」
「そうか!」
途端に満面の笑みになられる。ああもう、なんて眩しい笑顔……。わたしこの笑顔に弱いわ……。さっそくクロード様はホバーバイクまでわたしを案内され、その後部座席に座るようおっしゃられる。
ホバーバイクは、大人二人が乗れるほどの大型の『浮遊式自動蒸気機関車』のことだ。
ちなみに一人用はホバースクーター、三人以上用の箱型はホバーカーと呼ばれている。さらに安定した乗り物は、細長い気球が上部についた輸送船とかになるのだが、どれも今のわたしでは手が届かないものだった。
その中でも、このホバーバイクはかなり高級な部類に入る。
多くのホバーバイクはシンプルな楕円形をしているのだが、これは大昔にあった
いや~~~! これ、ほんとめっちゃくちゃ素敵!!
あらためてその機体のすばらしさに惚れ惚れしていると、横からごほんと咳払いが聞こえてきた。
「アンジェラ。この乗り物は気に入ったか?」
「……あ、はい! とても素敵です! なんて美しいんでしょう! 特にこのパーツとこのパーツの組み合わせとか、あとあとこっちの装飾も……」
「そうか」
ついつい興奮してしゃべりすぎてしまったが、クロード様はそんなわたしに引かれることもなく、満足げに笑っておられた。そんな風に喜ばれてしまうと、なんだか胸の奥がくすぐったくなる。わたしは黙って後部座席に座ることにした。バッグは落ちないようお腹の前に置く。
クロード様も運転席に座られる。計器をいじって蒸気機関が作動すると、真下に湯気が立ち上った。どうなっているんだと見下ろしてみると、二つの車輪が垂直方向から水平方向に移動していて、その車輪から高圧の蒸気が排出されていた。
「へえ~、こうなってたんですね!」
その仕組みに思わず感心していると、クロード様が「ちゃんとつかまっていろ」とお声をかけてくださった。瞬間、ぐんと上昇する。
「うわあっ!」
わたしは慌てて目の前の手すりにつかまろうとした。しかし、そこには何もない。え、これどこにつかまればいいの? と思っているうちに、ホバーバイクはすごい勢いで空を駆けていく。
「きゃあああっ!」
わたしは思わずクロード様の背中にしがみついてしまった。だってとてもじゃないけど、このままじゃ落ちてしまいそうだったから。クロード様の軍服はしっかりした生地で、つかまる余裕は少しもなかった。けれど振り落とされないためにはどうにかすがりつくしかない。
しかし、急にホバーバイクが空中で静止した。
「わぷっ!」
慣性の法則にしたがって、わたしは顔を思いっきりクロード様の背中にぶつけてしまう。顔を抑えていると、目の前のクロード様がくるっと振り返られた。
「な、なぜ俺の背中にしがみつく……」
「へっ?」
見上げると、いつのまにかゴーグルをつけたクロード様がわたしを驚きの顔で見下ろしていた。
「どうしてって、ああ、つかまるところがなかったものですから……。も、申し訳ございません」
不用意に触れてしまったことを謝ると、クロード様は右の義手でご自分の顔を隠されてしまった。どうしたのだろう。お怒りになられているのだろうか。
――ああ、もう。すぐこれだ。
やっぱりわたしが失敗しないなんてことはないんだ。どうしよう……。どうやってお怒りを鎮めてもらおう。
そう考えていると、クロード様は軽くため息をつかれてわたしをもう一度ご覧になった。
「あのな、ここに手すりを出すスイッチがある。すまない。それを教えるのを、忘れていた……」
「えっ?」
クロード様がわたしのバッグの下にある、金色のボタンを押した。すると、わたしとクロード様の間にコの字型のつかまりやすそうな手すりが現れる。わたしは一気に恥ずかしくなった。顔が熱くなって、思わずうつむく。
「本当に、も、申し訳ございません……」
「いや、俺もすっかり失念していた。悪かったな」
「いえ……」
「……」
「……」
二人して無言になる。そうして、しばらく気まずい時間が流れた。
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