3 ぎっくり腰になった師匠
「師匠~、おはようございます。遅刻してすいません! って……師匠?」
上層地区の温室に入り、仕事場である工房を目指す。
裏口のドアを蹴破るようにして開けると、いつもいるはずの師匠の姿がなかった。作業場は昨夜のままである。店の方も覗いてみたが、表のシャッターがまだ開いていなかった。
「師匠、師匠ーー?」
「おお、来たかアンジェラ。こっちじゃ……」
どこからともなく蚊の鳴くような声が聞こえてくる。奥の部屋に行ってみると、師匠のジョセフさんが寝室の床に倒れていた。
「師匠っ? いやっ、死なないでーーっ!」
慌てて助け起こすが、瞬間「ぎゃあああっ」と尋常でない叫び声が上がる。わたしはびっくりして思わず手を離してしまった。すぐにゴチンと師匠の白髪頭が床に落ち、またひどい悲鳴が上がる。
「ほごおぉぉっ!! あが、あ、が……」
「師匠っ、師匠! しっかりしてください! いま救急車を呼びますから……」
「いや、それより、ワシをいまむやみに動かすな……こ、腰が……」
「へっ? 腰?」
半泣きになっていたが、よく見ると師匠が自分の腰を痛そうにさすっている。
「えっと……あの……」
「朝起きたらの、情けないことにぎっくり腰になってしもうたんじゃ」
「は? ぎっくり腰? そんな、今日はたしか……」
わたしは配管だらけの壁にかかっているカレンダーを見あげた。
毎週水曜日だけは、絶対に外してはならない用事があったのだ。
「今日は、王城に行かなくちゃいけない日!」
「そうじゃ。しかしこんな状態では……とても満足な仕事などできん」
「そっ、そんな! じゃあいったいどうするんですか。師匠が王族のみなさんのメンテナンスに急に行けなくなったなんて知れたら、どんな処分を下されるか!」
「先ほど電報は打った。どうにかの。じゃが、このままでは最悪契約を打ち切られるかもしれんのう……」
そう。師匠は王様の義手と義足を週一でメンテナンスすることができる、栄誉ある『王家専属の義肢装具士』なのだった。
およそ三十年前――。
隣国との戦争で、この国の男性の大半は謎の奇病にかかってしまった。
その奇病とは、初めすごい速度で指が溶け落ち、その後少しずつ痛みもなくじりじりと手足の先から腐っていくというものだった。そしてそれは世代が変わっても、成人すると必ず男性のみが発症してしまうという遺伝性を有していた。
人々はその病のあまりの恐ろしさから、それを「隣国の呪い」と呼んだ。
当時、先代の王とともに戦の陣頭指揮を執っていたロベルト王も、その奇病にかかってしまった。当然、第一王子のクロード様、そして第二王子のステファン様もお産まれになったときは何事もなかったが、成人するともれなくその呪いを発症させてしまった。
呪われた者はみな、失った手足の部分を「蒸気機関で動く機械式の義手・義足」に交換することで、以前と同じ機能を取り戻すことができた。しかし、腐食の進行を抑えることだけはずっとできずにいた。
以来、彼らは定期的に医師の治療と、義肢装具士のメンテナンスを受けねばならなくなった――。
「そこでじゃ、アンジェラ!」
「へ?」
物思いにふけっていると、突然ガシッと師匠に両肩をつかまれた。
「お前さんに少々、使いを頼みたい!」
「つ、使い?」
嫌な予感がした。
目の前にはニコニコ顔の師匠がいる。こういう笑い方をしているときは、たいてい面倒くさいことを頼まれるのが常だ。
「そ、それって……?」
「お前さんには、ワシの代わりに謝罪と、王様のメンテナンスに行ってもらいたいのじゃ!」
「えええーっ!?」
なんでわたしが?
見習いの自分なんかが行っても、どうせたいしたことはできないよ?
あわあわしていると、師匠はひどく穏やかな声で言う。
「アンジェラ。お前さんがこの工房で働き出してから、もうすぐ五年じゃな? ワシは一通りのことは教え込んできたと思うておる」
「し、師匠……」
「だからお前さんには、一時的にでもいい。ワシの代理を頼まれてほしいんじゃ」
わたしが、師匠の代理?
この店に来るお客さんだって、まだ数えるほどしかメンテナンスしたことないのに。よりにもよって王様のだなんて……。もし失礼なことをしてしまったら物理的に首が飛ぶんじゃなかろうか。嫌っ、そんなの嫌だ!
「あの、師匠? やっぱりわたしにはまだ無理、というか……」
「なに難しく考えることはない。お前さんにできないことを注文されたら、一旦持ち帰ってくればいいんじゃ。それに、先週見た時にはそれほど王様の腐食は進行していなかったからの、多分ねじを締めたり、油を差すくらいで十分じゃろ」
「た、多分って……」
「アンジェラ・ノッカー!」
「は、はいっ!」
「お前さんならできる! 自分を信じるんじゃ!」
「ふえ……」
「なにかあったらワシが全責任をとる。じゃから、胸を張って行ってこい!」
「は、はい……」
これはもう何を言っても無駄だ。
というかここまで言われたら腹をくくって行くしかない。
「で、でも師匠? お城に着ていく服がないですよ……?」
「おお、そうじゃった」
ぽむ、と手を叩くと、師匠はよろよろと立ち上がって部屋の隅にあるクローゼットの前に行く。
そこにはなんと、上等な生地でできた深紅のドレスがハンガーにかけられていた。
「えっ? 師匠、これ……」
「こういうこともあろうかとの。前々から用意してあったんじゃ。さあ、それを着て行ってくるがよい。頼んだぞ、アンジェラよ!」
「……」
わたしは見たこともないようなフリルいっぱいのドレスを前に、あまりにも準備が整いすぎてると師匠を恨めしく思った。
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