第41話 私と先輩が奇跡を願う方向性

 〇


 たっくんから逃げるように家を飛び出して、向かった先は地元の神社。泣きそうになるのを必死に堪えて、自転車を走らせた。

 かごには、小石を踏みたびに跳ねるプラスチックの缶を乗せて。


「……着いた」

 神社の砂利でできた駐車場に自転車を止めて、私は境内のすみっこへと向かう。一応、人は少ないところだけど、念には念を入れて、人に見つからないところがいい、そう思って。


「……お願い、これでどうにかなって……」

 しゃがみ込んで見上げる視線の先、神社の本殿に願いごとを呟いて、別に用意しておいたシャベルで土を掘り返し始めた。


 ……恋忘の起源、というか、ルーツは間違いなく、神社にある石碑の出来事のはず。

 女性は、想い人の男性と引き裂かれて、辛い思いをするくらいなら、いっそのこと全部忘れたい、そう願って思い出のものをこの神社に埋めた。


 今の恋忘病が、神様の嫉妬のせいなのかそれとも別のもののせいなのか、よくわからないけど。

「……ひっくんとの思い出、全部捨てるから、それで許してください……」

 境内のすみっこだから、ほとんど人は通らない。だから、土は踏み固められてなくて、ある程度すんなりとシャベルは土に入った。


「……これくらい、で、いいかな……」

 しばらく土を掘り返していると、両手で抱えられるくらいの大きさの缶を埋めるには十分なスペースができた。


 日の高さも少しずつ変わっているみたいで、さっきまで日陰だったところが、日が照るようになってきて、暑さを感じるようになってきている。

 ポタリポタリと垂れてきているのは、慣れない土作業をしたことによる汗なのか、それとも、


「……っく……忘れたくない、忘れたくないよ……」

 この先消えてしまうかもしれない、幼馴染との十年以上ある思い出への想いか。


 初めて出会ったのは、私が二歳で、彼が三歳のときだったらしい。さすがに、そんなに小さい頃のことはもう忘れてしまったけど。

 最初の記憶は、五歳のとき、街にある広場で追いかけっこをしたこと。しばしば石や段差に躓いては転んで、そして泣いて泣き止んでを繰り返したのをよく覚えている。


 私が泣きじゃくると、彼が決まって立ち止まって手を差し伸べてくれたことも。

 私の家と、高浜家はずっと隣同士にあったので、ことあるごとに私と彼は共通の時間を過ごした。決まって、年下の私が遊ぶ内容を選んでいたけど。


 テレビゲームだってしたし、トランプだって数えきれないくらいやった。ままごとも、フラフープや縄跳びだって。

 なんでも、彼は私のすることを小さく笑いつつ付き合ってくれた。それが、例え男の子がするにしては恥ずかしいことだって。


 ……ひっくんもそうだったし、それは、たっくんだってそうだった。


 街を案内するよって言ったら、何も言わずについて来てくれたし、アイスを食べたいって言ったら、それにも付き合ってくれた。

 お金がなくてひもじい思いをしたときだって、ポテトを分けてくれたし、自販機の下に落とした五百円だって拾うの手伝ってくれた。

 ……たっくんと出会った日、入学式の日だって、体育館が寒いのを見越して、私にカイロをくれた。


 ……たっくんは、ひっくんと同じくらい。……いや、こういう言いかたは失礼かもしれない。

 高浜廻は、ずーっと、変わらず、優しい人だった。


 そういう意味では、もう、私はひっくんにも、たっくんにも、恋をしてしまったんだ。


「いやだ……いやだよ……」

 缶のふたを一度開けて、私は最後に彼との思い出が残った写真を眺めていく。

 どれもこれも、私のほうが写真では目立っているものが多い。彼は、後ろで穏やかに微笑んでいるだけ。


 つまりそれが、私と彼の関係性で、私が欲しかったもの。手放したくないもの。


 けど、どれだけ嫌だと願っても、祈っても、現実は写真ではなく、私そのものから記憶を盗んでいく。


 これでどうにかなる、そう期待して、いや、もはやこいねがった私は、ポロポロと土を湿らせながら、掘った穴に置いた缶の上に、土をまぶそうとし始めた。そのとき。


「……やっぱり、お前らは考えることが一緒だよ。ほんと、似た者同士だ」

 私の耳に、そんな呆れかえったような調子の男性の声が届いた。……聞こえるってことは、たっくんではない。


 恐る恐る後ろを振り返ると、もう部活が終わったのか、ポロシャツにスラックスという涼しげな軽装で私を見下ろす神立先輩が立っていた。


「……ひっでぇ顔。廻が見たら心配しそうだな」

「……泣かないでいるほうが無理ですよ──」

 先輩は私が手にしているシャベルを指さしては、ゆっくりと首を振る。何度も、何度も繰り返して。


「……思い出捨てて、思い出が守られる保証なんてあるのかよ。そんなことして、日立のなかにあるひっくんとたっくんの思い出が、このわけわかんねー呪いから守られるって、本気で考えているのか?」


 先輩に私を慰めるつもりなんてこれっぽっちもないみたいで、冷たい口調のまま私に言い寄る。その表情は、石みたいに硬そうだ。


「だって、それ以外に方法なんて思いつかないっ、どうすればいいかなんてわからない、じゃあちょっとでも望みがあるほうに──」

「って、中三のときの廻も言ってたよ。……俺は止めたけどな。全力で。それこそ大喧嘩する勢いで止めたよ」

 ……あのとき、神立先輩と喧嘩していたのって、このことだったのかな。


「……なんで? なんで止めたの?」

「……形があるものはいずれなくなる、って言うけどさ。形があるものでさえいつかなくなるんだ。輪郭が自分の心のなかにしかない形がないもの、それこそ、誰かに対する思い出だとか感情だとか、そんなのが、永久に、自分が死ぬまであり続けるのか?」


「そんなのっ、続くかも──」

「ああ、俺はまだ死んだことがないからそうかもしれないな。根拠のないことで何かを断定できるほど、俺も偉くない。……でも、日立。お前は違うだろ。……廻だってそうだった」

 私の反論を遮って、神立先輩は何かを押し殺すような声音で訴えた。


「……日立がその写真を捨てて、廻のことを忘れたとき、誰が廻のこと覚えててやるんだよ。俺か? それとも日立の親友の小木津か? 俺らが廻のことを覚えているからいいよね、ってそんな子供だましみたいなエンディングで日立は満足するのか?」

「……しないよ。できるはずなんてない。でもそれはひっくんのときだって同じでっ!」


「そうかもな。……けどさ、日立。もう、日立と廻でひっくんを覚えているのは、日立しかいないんだよ。日立がひっくんのことを忘れたら、ふたりのなかで積み上げた十年以上の思い出が全部消えちゃうんだよ。そんなの、俺だって嫌だよ」


 徐々に震え出す神立先輩のぶら下げた両腕。心なしか、声も感情が強く混ざり始めている気がする。


「……でも、先輩は私のこと、嫌いなんじゃ」

「好きになる理由もなければ嫌いになる理由もねえよ。……親友の幼馴染を、拒否する理由もねえ。廻が大事にしてきた日立を、嫌いになるのに、合理的な理由なんて存在するわけがない」


「じゃ、じゃあなんで先輩は私のことを遠ざけようと」

「……廻が日立を忘れたことを思い出すのが、嫌だったんだ。歪んだ願いだってわかっている。俺のエゴだってこともわかってる。でも、でも……。あいつが中三のときに、近くにいた俺でさえ怖くなるくらい、あいつは壊れた。……廻、右利きなのにたまに左で荷物持つだろ?」


「う、うん……」

 そんなに注意深く見ることはないけど、ぼんやりとした記憶でも、左で荷物を持っているなあと思うことはたまにあった。


「何があったかは知らないけど、自傷に走って、それで右肩を痛めたことがあったんだ。記憶はないけど、痛みは覚えている。今でも、あいつの右肩に触ると、ちょっと苦しそうな顔をする。あんな穏やかそうな顔をしている廻が、そこまで自分を追い詰めたんだ。そんな姿、もう二度と見たくなんてない」


 ……それは私も知らない。もう何もかもがぐちゃぐちゃになって、わけがわからなくなったときに起きたのだろうか。


「……なんでもいい。もし、廻が何かをきっかけに、自分が大切に……大切にしている幼馴染を忘れたなんて知ったら、あいつはどう思う? 廻のことだ、きっと自分を強く責める。また、しなくてもいいしんどい思いをすることになる。それが、俺は嫌だった。だから、日立と廻を引き離そうとした。今度は日立が呪いにかかるなんて、夢にも思わなかったけど」


 ……神立先輩、やっぱり親友なだけあるよ。……ちゃんと、私たちのこと、考えてくれていたんだから。


「……廻だって、日立だって。……心の底からお互いのこと、好きなこと、俺だって知っている。知っているよ。だから、ふたりが幼馴染だったことを、示すものまで捨てないで欲しいんだよっ、俺はっ!」


 これが、恐らく誰よりも高浜廻という高校生のことを考えた友達の、本音なんだと思う。


 それでも、私は、

「……でも、結局、忘れたら意味がないよ」


 どれだけ綺麗なことを言ったって、何もしなければ、私は高浜廻を忘れる。これは変わらない事実だ。そしたら、この写真だって、ただの紙切れになってしまう。


 先輩は、私が忘れた後のことを中心にベクトルを向けて考えている。

 でも、私はそもそも忘れたくなんてない。そのために何かを尽くしたい。


 忘れた後のことなんて、恐ろしすぎて、考えたくもない。

「……なら、私は──」

 そう言いかけて、途中で止めていた土をかぶせる作業を私は再開しようとした。


 ──途端、甲高い悲鳴が私たちの間を切り裂いた。

「やめてっ! 茉優っ!」

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