影武者異世界備忘録
素元安積
桃の國
一:ここは桃の國
セミが求愛して鳴く真夏の時。高い石垣の上にそびえ、桃色の城壁をした、とても高い城の最上階。その奥では、黒髪を後ろで一つに束ねた殿が、ふんぞり返りながら腹心の部下と話をしていた。
「今、わが国には影武者が来ているらしい」
「影武者? 殿の代わりですか?」
「うつけが! その影武者ではないわ。言わば、影武者と言うのは通り名のようなものだな」
「その……影武者が、如何なされたのでしょうか」
この城の主である殿よりも、十歳以上は年上であろう部下は、機嫌を損ねぬよう、恐る恐る殿に尋ねた。殿の方はと言うと、不敵な笑みを浮かべて、まるで自分の自慢でもするかのように嬉しそうに話し出した。
「影武者は、その姿を見たものがほとんどいないと言われる、伝説のような存在の男でな。何が伝説かと言えば、その凄まじい戦闘力らしい。その者一人で、一夜にして小國(しょうこく)一つ潰されてしまったと言う逸話がある。すごいだろう!」
そのような恐ろしい力を持った男が来たとなれば、本来なら戦々恐々としてしまうはずだ。それなのに、殿は愉快そうに笑っている。部下はそんな殿を怯えながら、黙って見つめる。そんな部下の表情に気付いたのか、返事もしない部下を気にも留めず殿は話を続けた。
「その男を見つけ、この國の武士にしてしまうのだよ。どうだ、そうすればこの國も安泰し、そして殿である私も、國を治める王となれるとなれる」
殿の考えに納得すると、部下は少し安心した。
殿が國の王になれば、腹心の部下である自分にも大きな利益が与えられるはず。部下の口元も思わずゆるんだ。ここまで来るのに、幾つもの犠牲を払ったのだ、当然の報いだ。そう感じながら。
「その影武者の特徴は」
「それが分からんのだよ」
「その男は、本当に存在しているのですか?」
「ああ。実際に、小國を滅ぼされたと言うのは事実だ。それも、國の名は……影の國」
「影の國?」
影の國。村にも近いとても小さな國だが、確かに名は知っている。あまりに小さな國すぎて、部下は気にしたことも無かったが。影の國は、離れ小島の領地だ。そこへ行くにも、海で遮られてしまう為、狙う國など無さそうなものなのだが……確かに、ここ最近あの國の噂は聞いていない。
「ああ。名の由来も、男が影のように姿形不明なのもあるが、影の國を滅ぼしたことから、名付けられたと言われている」
「ほう……その影の國は、今どうなっているのですか?」
「焼野原になったらしいから、がれきが残っている。その上、しばらく手付かずで草木も伸びっぱなしで、誰も欲しがる人間はいないそうだ。なんせ、本島からは遠い島国だから、行くのも面倒だしな。ただし、滅んで以来、向こうへの船は無くなった。それが、滅んだ証拠と言えよう」
「なるほど。影の國の人間が全滅しているから、見た者がいないのですね……どう探しましょう?」
「それを考えるのがお前の仕事だろう!!」
殿の機嫌を損ねてしまった。部下は前のめりになっていた背筋をピンと伸ばし、そのすぐ後に、「申し訳御座いません!!」と土下座をした。
「しかし、そうだな……城下町の農民共に、最近来た旅人のことでも聞いてみると良かろう。農民の奴らの方がきっと詳しいだろうからな。そこから絞り出せば、幾分か楽になるはずだ」
「さすがは殿!」
「……おい」
また、殿の機嫌を損ねてしまっただろうか。部下が殿の顔を見ると、殿は窓から差し込む光を見ていた。
「雨が降らないな」
「作物を気にしておいでですか? でしたら、農民から徴収すれば――」
「いや、それより面白いことが出来るぞ」
「何でしょうか?」
それから先、殿の口から出た言葉には、部下も驚いていた。部下は一瞬返事をためらったが、殿の言葉を逆らえば、命に関わるかもしれない。無言で頷き、扉のもとへ向かった。扉の前で改めて小さく頭を下げた後、静かに扉を閉め、自分より下の身分の武士たちをかきあつめた。
… …
所は変わる。土手の上を、鼻歌を奏でながら歩く見た目十八くらいの少女が一人いた。名は、小梅。
黒く、艶のあるお姫様のような長い髪をしているが、それとは対照的な、ほつれ糸がいくつか出た梅柄の着物を着ている。小梅は良いことでもあったのか、ニコニコとしている。しかし、今にもスキップをしだしそうな足が、不自然に止まった。
「あれ? 動かない」
小梅が足元を見ながらひざや腕を小刻みに動かすが、一向に足が前に出ない。仕方なく後斜め後ろを向いてみる。すると、小梅は驚いた。
自分の影は引き延ばされたかのように細長く伸びていた。その先には、一人の男がうつぶせに倒れていたのだ。足が動けない代わりに、小梅は目を動かして情報を得る。七三分けの黒髪に、丸眼鏡をかけ、肌寒そうな薄い着物を羽織った、体の線の細い男だった。
「だ、大丈夫?」
どうにも動けない小梅が、立ったまま尋ねる。すると、少しだけ顔を上げ、土まみれの顔を見せながら、男が言った。
「……メシを、くれ」
「え?」
きょとんとしている小梅を見て、力無く顔だけ上げていた男が、今度は勢いよく立ち上がり、ずんずんと小梅に詰め寄って小梅の両肩を掴んだ。
「飯をくれ! そうしなければ死んでしまう!!」
小梅は困り顔で返す。その顔に土まみれの顔を近づけた。頼りない顔をした割に、目力はある。鬼気迫った様子の男を見て同情したものの、小梅は首を縦に振る様子は無かった。
「悪いけれど、あなたに渡せるほど、こちらには余裕が無いのよ」
小梅が胸を痛めて話す様子に、男は静かに目を閉じてうなだれた。
「それ、みんなに言われたよ。だから、強硬手段ではあったが、動きを止めて尋ねたらくれるかと思ったんだけども……そうか、無理か」
線が細い体な上に、ロクにメシを食べていないのか頬がこけている。男を見て小梅は可哀想に思った。
「よく分からないけれど、私を動けるようにしてくれたら、ちょっと一緒について来てみない?」
小梅の問いに期待を寄せた男は、途端に目をキラキラとさせ、小梅から一メートル程離れる。二人の影の交わりが取れると、小梅の足が動くようになった。一体どうしてこうなったのか。小梅にはよく分からなかったが、それより小梅には行かねばならない場所がある。
「さ、行きましょう」
今度は小梅に手首を掴まれ、男の自由が奪われると、半ば強制的に小梅の行く先に同行することとなったのだった。
… …
男が小梅に連れてこられたのは、農民たちがたくさんいる城下町だった。ここならば、一人くらいは食料を分けてくれる人間がいそうだ。男の目に光が差す。小梅に手を引かれたまま、人込みを抜けて、その途中幾人の人々が小梅に頭を下げたり、挨拶をしていた。小梅もそれに返しながら、今度は狭い露店通りに入る。迷路のような道を進んだ先に、小さな母屋があった。これが、彼女の家か。木製の壁には小さな亀裂が入っており、確かに、決して裕福そうな見た目ではない。
「こんにちは!」
小梅は戸を開け、元気よく中へと入っていく。この口調からして、どうやら小梅の自宅ではないらしい。だとしたら、俺はただ彼女の用に付き合わされているだけなのかと、男は深いため息をつく。
落ち込んでうつむいた顔を少し上げると、視界の先には白髪のおじいさんが映った。見たところ、七十は越えていそうだが、見た目の割に背筋はピンとしており、小梅のもとに駆け寄るスピードも意外と速い。顔を上げておじいさんを目で追う。そんな男には目もくれず、おじいさんは小梅を抱きしめた。
「小梅、やっと来たんだね」
「ごめんなさい、この人に時間を取られちゃって」
この会話を聞き、男は少女の名が小梅であることを知った。小梅に言われて、おじいさんは隣にいる男をじろりと見る。あまり、良い印象で見られていないことは男にも分かった。
「小梅はまだ十八じゃぞ。求愛とは分をわきまえろ」
「求愛じゃないさ、物乞いさ。爺さん、メシがほしいんだ」
「名も名乗らず、なんとはしたない……」
「名? 喜六(きろく)だよ。爺さん、メシをくれたら俺、何でもするから。人助けだと思って頼む!」
喜六の図々しい態度におじいさんは呆れた。
「ずっとこの調子なの。放っておいて良いわ」
小梅はまた困り顔をしながら、おじいさんを見て言う。本当は放ってなどおいてはいけない。優しい小梅の気持ちが伝わって来たおじいさんは、めんどくさそうに喜六を見ながら、親指を自身の後ろへと向ける。
「確かに何でもすると言ったな。その言葉忘れるなよ」
「あいよ」
まるで、物乞いをした者の態度とは思えない。おじいさんも小梅も喜六を冷ややかな目で見る。おじいさんに連れられて居間まで来ると、ちゃぶ台の上につつましい料理が数品並んでいた。
「食事にしよう」
おじいさんは小梅に対して微笑んで言ったが、そんな言葉など気にも留めず、喜六は視線に入った食事をなりふり構わず食べていった。
ぽかーん。おじいさんと小梅があっという間に空っぽになった器たちを見た。
「ごちそうさん! 肉も欲しかったな!!」
「お前なーっ! せめて一食分にしないかー!!」
おじいさんが喜六のふさふさの黒髪を掴んで引っ張り上げる。喜六は謝りながら、引っ張られている髪の毛を引っ張り返し、おじいさんの力がゆるんだところで、おじいさんとの距離を取った。
「まぁまぁ、追加で作れば良いじゃない。そこらの猪捕まえてさ。まぁ、火を持ってないから俺一人じゃ捕まえても食えないけども」
喜六がおじいさんの様子を伺いながら言う。しかし、おじいさんは喜六を狙うどころか、空の器だけとなったちゃぶ台の前にあぐらをかいて座り、「そうか」と呟いて目をつぶる。
「火を持ってなくて良かったな。勝手に食ったらお前、今頃城の地下牢行きだ」
「まじかい」
小梅もおじいさんの隣に正座をしたので、喜六はおじいさんの向かいに座ってあぐらをかいた。
「そのごぼうみてぇな体で何出来るんだか知らねぇが、どうせだったら、あの城の殿を殺して欲しいねぇ」
「お、おとうさん!」
「おとうさん?」
小梅が、おじいさんに対しておとうさんと言ったのが、喜六は不思議に感じた。それもそうだろう。小梅は十八歳で、おじいさんの見た目は七十過ぎだ。おじいちゃんや、気遣ってのおじさんならまだ分かる。しかしお父さんと言うにはあまりにも不自然だ。
「あんた、旅のモンか。そりゃあそうだよな、三十路(みそじ)過ぎで俺と小梅のこと知らねぇなんて」
「三十路過ぎと決めつけるな、二十八だ」
「どーでも良いわ」
喜六の必死の修正も、おじいさんに冷たい返答を吐き捨てられる。おじいさんは悪気も無く話を続けた。
「ここには昔な、桃太郎って言う、俺の息子がいたんだよ」
「昔、ねぇ」
何かを悟りつつある喜六の呟きに、おじいさんはケッと渇いた笑いで返した。そんなおじいさんの横顔を、少し見上げながら心配そうに小梅は見つめる。
「信じられねぇだろうが、俺の息子は、ばあさんが川から拾ってきた桃から生まれてきたんだ。桃をちょっと叩いたら、パッカーン割れて出てきたよ」
「ばあさんのお腹からパッカーンじゃ無かったのか」
「お前何言ってんの?」
「まぁ、世界は広い。俺も旅の先で色んな生まれ方した奴ら知ってるから驚きゃしねーよ」
「あっそう。まぁ、桃太郎と出会ったのは五十六だったかな。それから十六年が経ち、桃太郎は立派なもののふとなった。お前よりよっぽど体格が良くてイケメンだったし、頭も良かったそれに指導力があって」
おじいさんの息子自慢が長くなりそうだったので、喜六は箸の先で歯に詰まった野菜の繊維を取ろうとした。それを見た小梅は、気持ち悪そうに口元に手をやる。小梅が息子自慢をしているおじいさんの肩を揺さぶると、おじいさんは喜六に気付く。喜六は箸でシーシーした末に、口を開けて向かいの二人に向かってゲップした。不快である。
「もうその箸捨てる……」
おじいさんが力無く言った。
「洗えば関係無いだろ? ところで、その俺の次にイケメンな桃太郎がなんだって?」
「お前とは比べ物にならないくらいイケメンで強い桃太郎は、巷で悪さをしている鬼と言う種族を退治しに行ったんだ。いくら強いとはいえ、桃太郎も人の子。ワシは桃太郎に仲間が必要だと考えて、桃太郎にきび団子を持たせた」
胸を張って言うおじいさん。それを素敵です! と言わんばかりのキラキラとした瞳で見つめる小梅。そして、おじいさんを疑いの目で見る喜六。
「え、何の為に」
「何言ってるんだ! お前は友達の家に行く時、お菓子を持って行かんのか? 実際桃太郎はきび団子を使って犬、猿、キジと言う頼もしい仲間が出来たんだ」
「モンス●ーボールの方が確実じゃん」
「お前何言ってるの?」
おじいさんは初めて聞く名前に戸惑いながら言った。
「お前みたいな意味分からん奴じゃないのだ。たとえきび団子一個でもついて来てくれるくらい、いいや、無くともついて来てくれたかもしれない。それ程に、桃太郎は良い奴だったんだよ」
過去形で話される桃太郎の話と、母屋の外にあった二つの小さな木製の墓。一人はおじいさんの妻であるおばあさんだとして、もう一人は恐らく。喜六は、話す程に表情が苦しくなっていく、目の前の二人をぼんやりと見る。
「その桃太郎、鬼退治は出来たのか?」
「……仲間の力もあって、何とかな。それで、桃太郎はこの國の平和を守る為、國の主、つまり殿になったんだ」
その殿を、おじいさんはさっき殺して欲しいと言っていたなと喜六は思い返す。改めておじいさんを見ると、おじいさんの膝の上にあった手が、大きく震えていた。おじいさんの感情を抑えるように、小梅はおじいさんの手を掴み、手の甲を撫でる。
「だが、桃太郎は殺されてしまった」
「鬼にか?」
「いや。殺されたのは、桃太郎が信頼してきた、部下にだったよ。黒八って言う男にな」
「そうか」
「それがきっかけで俺とばあさんはこの母屋に追いやられた。それだけじゃなく、黒八は桃太郎の妻である小梅も奪おうとしやがる! 城下町の噂じゃ、城に残された小梅を嫁に貰おうとしてるらしい。小梅はワシの娘も同然だ、絶対にそんなことはさせてたまるものか!!」
おじいさんは立ち上がって怒りをあらわにした。だが、次に喜六を見ると、力無く座り込んだ。
「今や、ここは黒八の都合の良い道具箱だ。奴に殿が変わってから、平民だった者たちの大半は農民に変えられ、理不尽な程収穫物を取られたし、國周辺の動植物を取って良いのは城の人間だけになってしまった。だから、みんな食う物が無くて生きるのも必死なんだよ。今は猫の手を借りてでも奴をどうにかしたいんだが……お前じゃあ、無理だよなぁ。はぁ。ただ、少なねぇ昼食抜かされて。馬鹿みてぇだよ」
おじいさんは憎らしいほど元気になった喜六を見て苦笑した。これ以上話しても辛いと感じたのか、おじいさんは窓から差し込む強い日差しに片目をつぶりながら言った。
「雨、なかなか降らねぇな。井戸水もまちまちだし、このままじゃ、作物が枯れちまう。もうこのまま、みんなでおっちんじまうのかな」
おじいさんの不穏な言葉の後、ドンドンと母屋の戸を叩く音がした。
「何だ、今日は客が多いな」
おじいさんが戸を開けると、そこには甲冑に身を包んだ沢山の武士と、その奥に殿の部下がいた。
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