【4】

 『使徒』は、空から舞い降りてきたりはしなかった。

 普通に、玄関の呼び鈴を押してやってきた。

 僕には彼らが『使徒』だと一目でわかった。その美しさは、ヒトのものであるはずがなかったからだ。

 とりわけ美しかったのは、その肌の色だ。内側から発光するように輝く、滑らかな白い肌をしていた。

 一人は背の高い青年で、もう一人は子供のように小さな少女だった。

 僕を指さし、背の低いほうが口を開いた。

「罪状、第一級。判決、死刑」

 美しい顔にどんな表情も浮かべないまま、『使徒』は冷たく言い放った。

 それから小さな『使徒』は、呆然としている僕の父さんと母さんのほうを向き、二人を指差し、

「罪状、第四級。判決、第七地獄行き」

 父さんと母さんは身を寄せ合って、震え上がった。

 僕を抱いた父さんの手から、震えが伝わってきた。

「どうして!」

 僕は声を上げて、その小さな『使徒』に掴みかかった。僕よりも背が低い、ルルと同じくらいだろうか。

「父さんと母さんは関係ないだろ!」

 わかっている。わかっていた。

 僕の話をすべて聞いてしまったことによって、――おそらくは、父さんと母さんも僕と共に罰せられるだろうことは。父さんと母さんは、それでもいいと言った。罰せられてもいい、お前の心の内を話しなさい、と。

 それでも、納得できなかった。

 小さな『使徒』は僕がぶつけた感情に気おされたように、一瞬だけ表情を揺らがせた。

 ――僕とその小さな『使徒』の間に、背の高いほうの『使徒』が身体を割り込ませてきた。小さな『使徒』はその背に隠れてしまい、少女の美しい面に浮かんだ揺らぎをそれ以上見ることは出来なかった。

「君に対する罪状はもう重くなりようがない。これから君の犯すあらゆる罪は、君に関わったあらゆるヒトに伝播していくと考えるといい」

 冷たい、――小さな『使徒』よりもさらに冷たい声。抑揚もなく、表情もなく、温度もない。

「ときどき、君のように馬鹿なヒトがいる。君もこの二人も、試験はほとんどパスしていた。君はもう一度、今度は試験なんかじゃなく、この二人のもとに生まれてくるはずだった。だけど君が馬鹿なことをしたせいで、何もかも台無しになったんだ」

「もう一度生まれたって意味なんかないんだ! だってそれは僕じゃない。僕は真新しくなっていて何も覚えていなくて、だけど父さんと母さんは僕を覚えていて、今のこの僕を失った痛みを抱えていなくちゃいけなくて、それでも新しい僕を喜びとともに迎え入れてくれるんだろうけど、でも、それじゃ嫌なんだよ」

 『使徒』は、軽蔑に満ちた視線を僕に向けた。

「何が不満なのかわからないな」

「どうして悲しみが必要なんだ。どうして痛みが必要なんだ。そんなもの無くたって、ヒトはヒトを愛することが出来るのに!」

「それがルールだから仕方ない。そこの二人だけじゃなく、子を持つ親はみな等しくその痛みを抱えている」

「『天国』なんて落ちちゃえばいいんだ! 誰もお前たちの支配なんて望んでいないんだから!」

「規律がなくなればヒトはけだものと同じになる。知恵があるだけに、けだものより酷い有様になるかもしれない。ヒトを縛るルールは必要だし、そのルールを遵守させる存在もまた必要だ」

「それはお前たちの理屈だ! ヒトとして生きたこともなく、誰かを愛したこともない、お前たちの!」

 頭がジンジンした。

 興奮して、全身の血管が収縮しているのがわかる。心臓は壊れたポンプみたいに血液を送り出し、狭くなった血管を、ものすごい速さで血液が流れていく。

 こんなに喋ったのは、初めてかもしれない。

 僕はただただ、まくしたてた。

 相手には魂がない。魂がない以上、心もなく、それならば僕がどんなに叫んでも響くはずもないのに。

「僕たちは痛みを強いられる。お前たちによってだ。『天国』、『神様』、『使徒』、誰がいつ作ったんだかわかりもしないそのシステムによって、監視され、テストされる! そんなものに何の意味がある!」

 背の高いほうの後ろから、小さな『使徒』が顔を覗かせた。

 さっき見せた揺らぎはもう消えてしまって、瞳の色は深く、波打たない湖のようだった。

「……けだものとヒトとの違いはなんだ?」

「――」

 僕は、答えられなかった。ぜいぜいと息を切らして、小さな『使徒』を見つめた。

 けだものと、ヒトとの違い。

「それはね、馬鹿なヒト。『理性』があるか否かだよ」

「理性?」

「そうだよ。けだものには『理性』がない。君のように『正しく生まれるため』のテストをしている魂は、『理性』のテストをされているんだ。『理性』がなければけだものだ。――『知恵があるだけに、けだものより酷いことをする』。そういう理性に乏しい魂を篩いにかけ、排除していくことで、この世界は成り立っている」

 ヒトの皮をかぶったけだものをヒトの中に解き放たないために、ルールが必要なんだよ、と、少女の姿をした『使徒』は静かな声で告げた。

 知恵があるだけに、けだものより酷いことを、する?

 僕には、想像できなかった。

 だってこの世界のヒトたちは、みんな穏やかで、みんな優しく、みんな清らかだ。

 そのとき、目の前がさっと明るくなり、見通しがよくなった。


 ――ああ、そうか。


 篩いにかけられたから、か。

 僕のような魂が。

 僕のように、堪えることの出来ない、誰かに向けて激情を爆発させる、猛々しい魂が。その激情を、猛々しさを、強い理性で抑えこむことのできる魂だけが、この世界に、ヒトとして、生まれているからか……。

 だからこの世界のヒトビトは、穏やかで優しく、誰かを傷つけることはしない……。

 全身から、力が抜けた。

 僕は、泣きたかった。けれどもう、泣くことも出来なかった。

 父さんと母さんが、僕を抱きしめてくれた。

 謝らなくては、と、思ったのも事実だ。

 だけれどその温かさだけで息が詰まって、こんなことになってもなお僕を愛してくれる二人の心に息が詰まってしまって、声が出なかった。

 父さんも母さんも、篩いにかけられてきたんだ。

 だから僕を愛してくれるのか。それとも僕を愛してくれるようなヒトだから、篩いにかけられても残ってきたのか……どっちなのか、わからなかった。

 ルルに会いたかった。

 僕に、『次』はない。

 僕の魂は、輪廻から外されて、永遠に生まれることはない。

 それならば、伝えなくちゃいけない言葉が、僕にはあった。

 けれど、そんなこと、もう意味はないんだ。

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