【2】
「セイラ、またおそらを眺めているの?」
目を開くと、ぴょこりと金色の巻き毛が視界に入ってきた。
「――ルル」
ばら色の頬をした女の子、ルルは、えへへと笑い、僕のとなりに腰を下ろした。
僕は胸ポケットから懐中時計を取り出して、時間を確認する。ルルの家にはこの時間、家庭教師が来ているはずだ。
また、勉強をずるけてきたのか。
「怒られるよ」
「いいの、だってルルはお勉強なんて嫌いなのだもの。お花を摘んでるほうがいいわ」
まったく、この子は。
僕はため息をついて、でももう何も言わなかった。
ルルは今日も、たっぷりと布を使ったドレスみたいなワンピースを着せられている。ルルの両親は町でいちばんの金持ちで、ルルはそこの一人娘だ。ほとんどの親がそうであるようにルルの両親もルルが生まれる三年前にこどもを一人失っており、その分、ルルは大切にされている。――最初の『ルル』が死んだのは、僕が三歳のときだった。その『ルル』は、僕よりもいくつか年上の少女だった。
それもまた、『神様』によって作られた『世界の仕組み』のひとつだなんて知ったら、ヒトはどうするんだろう。
ヒトは誰かと愛し合い、こどもを授かる。
だけれど、その一人目は――必ず、失われる。
要因は様々だし、そのタイミングもそれぞれ違う。
病気だったり、事故だったり、事件だったり。
年齢も様々だった。
ただ、失われることだけは、間違いない。そういうふうに、決められている。
僕らが『神様』によってテストされると同時に、親になるヒトたちも、また、その資格があるかどうかを『神様』によって試されているのだった。
僕らがテストに合格し、また、親になるヒトもテストに合格すると、僕らはもう一度その親のもとに生まれることが出来る。
もちろん、親は知らない。新しく生まれた子が、失われた子と同じ魂を持っているなんてことは。
新しく生まれる子も、知らない。自分が以前、同じ両親のもとに生まれてたなんてことは。
ただ、授かった一人目のこどもは必ず失われ、そして一人目のこどもを失った親は必ず、二人目のこどもを授かる。
事前にわかっていても、一人目の子を失った親は、二人目の子をそれは大事にする。慈しむ。両親の愛を一身に受けて、大半の子供は『正しく』、『清らかに』、すくすくと育つ。
……世界の、仕組み。
僕はそれを、苦々しく思っていた。
「ねぇ、セイラ。お花のかんむりってどうやって作るか知っている?」
ルルは無邪気な笑顔を見せながら、ぷち、ぷち、と咲いている花を摘んでいく。
残酷なルル、その花ひとつひとつにだって魂が宿っているんだよ?
「知らない」
僕は、出来るだけ無愛想な調子で答えた。
ルルは気にした様子もなく、小さな声で歌をうたいながら、摘んだ花を適当に束ねた。ポケットから白いレースのハンカチを取り出して、その束を包み込む。
「セイラ、見て。このあいだお嫁に行ったおねえさんが持っていた花束みたいでしょ?」
ああ、そうだね。
僕はそう答えようかと思ったけれど、黙って、視線を逸らした。
だけれど、ルルは気にしない。
花束を空に向けて掲げるようにして、
「かみさま、おねがい。ルルをセイラのお嫁さんにしてください」
「ルル」
さすがに、僕は焦った。
「ルル、それは無理なはなしだって何度も」
「ずっとずっと祈っていたら、かみさまはおねがいを聞いてくれるわ。神父さまもそうおっしゃっていたもの」
「だから……」
神父には、『神様』の声など聞こえてはいないんだ。
彼らだって、『世界の仕組み』のことは知らない。ただ彼らは、作り話を語るだけで。
……当たり前だけど、ルルにそんなことを話せるはずはなかった。
ルルは、正しく生まれてきた魂。葛藤との戦いに勝利をおさめ、『神様』によるテストをくぐりぬけた魂。
……その葛藤に負けそうな、僕みたいな出来損ないとは違う――、清らかで美しい、正しい、魂だ。
話せば、ルルの魂も罪に問われてしまう。
僕は、ごろんと仰向けに転がった。
僕の背中で、いくつかの魂が潰れる断末魔が聞こえた。
ルル。
たとえば『神様』が君の願いを聞き届けてくれたとしても、さ。
その『僕』は、今の『僕』とはまったく違う生き物なんだよ。
君が羨む僕の黒髪も、もしかしたら違う色になっているかもしれない。君が綺麗だと言う僕の琥珀色の瞳も、違う色になっているかもしれない。世界の仕組みを知らない僕は、おそらく、君のように無邪気で、明るく、清らかで、美しく、正しいのだろう。今の、捻くれた僕とは違って。そもそも、僕が正しく生まれるとしても、それはいつのことなのか。間違いなく、君よりいくつも年下になる。
ルル、僕は怖いんだ。
この『僕』はいったいいつ、どんなふうに死を迎えるんだろう。
このテストは、いつ、どんな形で終わるんだろう。
そのとき、『僕』は苦痛を感じるんだろうか。それとも、歓喜を? 今度は正しく生まれることの出来る喜びに、支配されるんだろうか。
誰かに問いたい。けれど、誰に問うたところで、答えは得られない。
だって君たちはすべて忘れている。何も覚えていない。
この恐怖を、分け合う相手すらいない。
どこそこのこどもが亡くなったらしいと聞いて初めて、僕はそのこどもが『テスト生』であったことを知る。いつだって後の祭り、『神様』の作った世界の仕組みはきっちりとしすぎている。
ヒトビトの間で、こどもの死に関する話題はタブーとされていて、そのへんにいるこどもが『一人目』なのか、それとも『二人目』なのか、僕には確認する術がない。
せめて、同じ『テスト生』とでも、語り合うことが出来れば……。
そんな、埒もないことを考えてしまう。
ルルが僕のとなりに、ごろんと転がった。そのまま、僕らは日暮れまで転がっていた。どうでもいい様々なことをルルは僕に向かって話し、僕は適当に相槌を打ったり、無言で流したりした。
空はどこまでも高く、高く、澄み渡っていた。ときおり、真っ白い綿のような雲がゆっくりと、風に吹かれて通りすぎていった。
「ねぇ、セイラ」
ルルは空を見上げたままで、呟いた。
「セイラ、次にここで会えたら、もっとちゃんとお話してくれる?」
僕は、何も答えなかった。
今思えば、勘のいいルルは何かに気付いていたのかもしれない。
僕が口にできないことの、なにかに。
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