第3話 横澤康史郎の決意

「皆さん、コーヒーのおかわりはどうですか。サービスしますよ」

 話が一段落したのを見計らった士が声をかけた。力が答える。

「三人ともお願いします」

「それじゃ、新しいカップ出しましょうか」

 定子はお盆を持って立ち上がった。


「ではそろそろ、わしの頼み事の話をさせてもらおうかな」

 コーヒーのおかわりが出そろったところで、康史郞は再び口を開いた。

「今日わしがここにきたのは法事ともう一つ、横澤家の墓を高白寺こうはくじに移して永代供養してもらうためだ」

「法事の後、住職さんと二人で話していらしたのはそれだったんですね」

 やちよがうなずく。

「残念ながら横澤家はわしの代で終わりだ。ならば姉さんの近くで休みたい。他の家族も許してくれるだろうと思ってな」

「おばあちゃんも喜んでくれると思います」

 やちよの言葉を力が継いだ。

「私たちで責任もってお世話しますよ」

「ありがとう」

 康史郞は携帯を持つと、新たな写真を開いた。

「そしてもう一つ、大切な頼みがある」


 康史郞が見せたのは、『祝開店』という花輪が並ぶ建物の前に立つ康史郞と若い女性、そして男の子のカラー写真だった。とはいえ、色はかなりくすんでいる。

「わしは同じ店でダンサーとして働いていた高橋柳子たかはしりゅうこと結婚し、二人で貯めた金でキャバレーを開店した。名前は息子にちなんで『ニューホープ』とつけた。幸い店は繁盛し、息子の一希かずきも健やかに育ってくれた。本当はもっと子どもも欲しかったんだが、一希の時に難産だったのと、仕事が忙しくてな」

「息子さん、ですか」

 やちよは明らかに戸惑っていた。

「君たちはたぶん聞いてないか。一希は19歳で亡くなったんだ」

 康史郞はハンチングを握りしめた。


「わしが全て悪かったんだ。オイルショックでキャバレーに客が来なくなり、わしは金策にかけずり回る毎日で、一希のことは柳子に任せっきりだった。一希は高校の同級生、さか 真優美まゆみさんとつきあっていて、卒業するとすぐ同棲したいと言い出したんだ。わしが反対すると一希は家出してしまった。間の悪いことに店も破産し、わしは借金で身動きがとれなくなってしまった。その時、一希が亡くなったという知らせが来たんだ。働いてた工事現場で土砂崩れが起きて、掘り出された時には息がなかったそうだ」

 やちよはおずおずと切り出した。

「小さい頃なんでぼんやりとしか覚えてないんですが、おばあちゃんが喪服を着て泣いているのを見た記憶があります。もしかしたらその時だったのかもしれません」

 康史郞は目を伏せると話し続けた。

「駆けつけた姉さんは、わしが以前渡したお金を持ってきて『これで借金を返して』と言った。柳子に全部話を聞いていたんだ。わしは『一度渡した金だ』と断ったんだが、『柳子さんをこれ以上悲しませないで』と言われてな。ありがたく受け取った。わしはずっと姉さんに頭が上がらんよ」


「では、借金は返せたんですね」

 定子が安堵したように言った。

「まあな。だが、もう一つ姉さんにも言えなかったことがあった。真優美さんのお腹には一希の子どもがいたんだ」

「そんな」

 やちよの声には普段の落ち着きがなくなっている。

「真優美さんは男の子を産み、一希の名前から一文字取って『広希』と名付けた。わしらは広希を一希の子どもとして認知したかったが、内縁のまま亡くなったので無理だと弁護士から言われ、姉さんのお金から出産費用を出すくらいしかできなかった』

 康史郎は寂しそうに遠くを見つめた。

『その後真優美さんは広希と一緒に実家へ戻り、数年後鳥居さんという男性と結婚した。鳥居さんは広希を養子にし、わしらはそれ以来広希とは会っていない。真優美さんの年賀状で近況を聞くくらいだ」

「でも、元気ならひとまず安心ですね」

 力はやちよの肩に手を置きながら話しかけた。


「その後、わしらは借金を返してからもう一度やり直そうと、小さなスナックを開いた。名前は『りゅう』。柳子の名前から取ったんだ。幸いキャバレー時代の店員や客も来てくれ、細々ながら続けることができた。柳子ががんで亡くなったので店は閉めたが、楽しい時間だった」

 康史郞が開いた最後の写真には、スナックのボックス席で肩を寄せ合う老夫婦が写っていた。

「わしもいつあの世に行くか分からない。もしその時が来たら、残った財産は姪のあかりさんと義理の甥の周央すおう君、孫の広希に残したい。甥の伸男のぶお君は亡くなっているので、奥さんの功子いさこさんや息子の治郎じろう君にも渡したかったが、相続権はないと弁護士が言うんだ。遺言状は口座のある銀行に預けてあるから、わしが亡くなったときはその通りにして欲しい」

「分かりました。母にも伝えます」

 やちよは神妙な面持ちでうなずいた。

「そして、もし真優美さんや広希が一希の墓を訪ねたいと陽光原に来たら、お墓を案内して欲しいんだ。広希も結婚して息子もいるから、一緒に来るかもしれない」

「ひ孫さんがいらっしゃるんですね。名前は何て言うんですか」

 定子が尋ねた。

「『しょう』。今時の名前だね」

 康史郞は苦笑すると、コーヒーを飲み干した。

「では、今度は君たちの話を聞こうか」

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