第2話 京極かつらの想い出

 昼下がりの『リッチ』には予約の田城夫妻と横澤康史郎の3人だけが客として残っていた。定子と士はカウンターの椅子に腰掛けている。

「かつらおばあちゃんが生まれたのは大正十五年、亡くなったのが令和元年だから四つの元号をまたいだのよね」

 定子が話を切り出した。

「亡くなる前の日も普通に夕ご飯を食べてから自分の部屋で休んで、翌朝お義母かあさんが起こしに行ったら亡くなられてたそうだ。まさに大往生だったよ」

 力は感嘆している。

「祖父のたかしさんは母が高校生の時に亡くなって、その時入院した病院でインターンをしてたのが私の父だったと聞いてます。祖父と祖母のなれそめって、横澤さんはご存知ですか」

 やちよの問いに、康史郞は少し考えると携帯電話を取りだした。

「少し長くなるが、老人の思い出話だと思って聞いてくれ」


「今は良い時代になった、こうやってアルバムを持ち歩けるようになったからな」

 康史郞は携帯電話のアルバムから一枚の画像を開いた。軍服を着た青年を中心にしたモノクロの家族写真だ。

「わしの手元に残った横澤家のたった一つの家族写真。長男の羊太郎ようたろう兄さんが出征する時に撮ったんだ。本当は七人家族だがすぐ上の兄、早三郎そうざぶろうは生まれてすぐ亡くなり、親父は満州にいたからお袋が写真を持って座ってる。羊太郎兄さんの左隣、セーラー服姿がかつら姉さん、右隣の男の子二人のうち、年上が勇二郎ゆうじろう兄さん、年下なのがわしだ」

 やちよはしげしげと写真を見つめる。

「ひいお婆さん、おばあちゃんによく似てるわ。着物着てるからかしら」

「姉さんが着物を着るのはお袋を思い出すからだ、と話してくれたことがあったな」

「でも、母も私も着物着ないんですよ。正直どうしたものかと」

 やちよはため息をつく。定子が切り出した。

「それなら、みどりの成人式に使えそうなのないかしら」

「確か私が着た振り袖が残ってるはずよ。それで良かったら」

「娘さんもいるのか」

 康史郞の言葉に士が答える。

「東京で製菓学校に通ってます。ようやく学校で授業ができるようになったそうで良かったです。再来年までに新型コロナが収まればいいんですが」

「そろそろ話を戻さないと」

 やちよが康史郞に話を振った。

「そうだな。この後親父は満州で戦死、お袋は東京大空襲で亡くなり、勇二郎兄さんは終戦後病死、復員した羊太郎兄さんも交通事故死、残ったのは姉さんとわしだけになった」

 沈黙する一同。

「姉さんはその時十九歳、わしは十二歳だった。姉さんは昼は縫製工場、夜はヤミ市の食堂で働き、少ない給料をやりくりしてわしを養ってくれた。その食堂で酔い潰れていたのを介抱したのが京極隆きょうごくたかしさんとの出逢いだったと聞いている。姉さんは亡くなった羊太郎兄さんを思い出してほっとけなかったんだそうだ」

「ではお二人は恋愛結婚だったんですね」

 定子が思わず両手を組んだ。

「隆さんは収容所帰りで、家族は空襲で全滅したらしい。姉さんに惚れた隆さんは一心発起して立ち直り、印刷工場で働きながら食堂に通うようになった。何度かデートした後、結婚を前提につきあいたいと申し込んだが、姉さんはわしがいるから無理だと断ったんだ。隆さんが来なくなった理由を姉さんに問い詰めたら分かったんだがな。ちょっと失礼」

 康史郞はマスクを外すとコーヒーを口に運んだ。

「わしは姉さんが人一倍苦労しているのを見てきたから、『俺のことで姉さんが自分の幸せを諦めるのなら、家出して一人で暮らす』と言ったんだ。それを聞いた姉さんは『こうちゃん、心配かけてごめんね』と言って、布団に入って声を押し殺して泣いていた。兄貴たちが死んだときも人前で泣かなかった姉さんだからこそ、どんなに辛かったのか伝わってきたよ」

「おばあちゃんが自分の話をほとんどしなかった訳が分かる気がするわ」

 やちよもため息をつくとマスクを外し、コーヒーを口に含んだ。

「結局姉さんは、『康史郞が中学を出るまでは待ってほしい』と隆さんに言い、隆さんも了承した。そしてわしが卒業すると、バラックを建ててた自宅の土地を売り、結婚した隆さんと三人でアパート暮らしを始めた。わしは横澤家の名前を残したかったので京極家の養子にはならず、長女のあかりさんが生まれたのをきっかけに独立したんだ。

 二年後に長男の伸男のぶお君が生まれ、家が手狭になったところに隆さんが戦友から仕事があると聞き、一家で陽光原に移り住んだ。わしは東京に残り、ヤミ市の跡地にできたキャバレーで働き始めた。これは引っ越し前にアパート前で撮った写真だ」

 康史郞は携帯から京極家と映ったモノクロ写真を開く。背の高い男性が男の子を抱き、髪をアップにした女性が女の子と手をつないでいた。その脇にハンチングを持った青年が立っている。

「横澤さん、格好いいですね。きっとモテたでしょ」

 携帯をのぞき込んだ定子は康史郞をひやかすが、康史郞はそのまま話を続けた。

『その後一家は仲良く暮らしていたが、隆さんが脳卒中で倒れ、治療の甲斐なく亡くなった。さっきも言ったが子供たちもまだ学生だったから、姉さんも内職やパートを掛け持ちして学費を工面するのは大変だったろう。わしもその頃は自分の店を持っていたから育ててくれた恩返しに援助を申し出たんだが、姉さんはそれを全部貯金してたんだ。

 あかりさんは高校卒業後すぐに孝雪たかゆきさんとつきあって結婚した。伸男君は高校を出ると東京の機械工場に就職したので、やちよさんが生まれたのをきっかけに姉さんはあかりさんと一緒に暮らし始めた。それからのことは君たちの方が詳しいだろう」

 康史郞はやちよと力に視線を向けた。

「私の知っているおばあちゃんは、家に帰るといつも出迎えてくれて、母さんがパートで遅くなるときは代わりに夕食を作ってくれた優しい人。着物と本が好きで、私が宿題をやるのをいやがると、『私の頃は戦争で勉強なんてできなかったのよ』とよく言ってたわ」

 やちよはハンカチで目頭を押さえた。康史郞もつられたのか目をしばたたせる。

「姉さんは『あかり』という名前は戦争が終わって町にともった明かりのように皆を明るく照らして欲しいから、『伸男』という名前はのびやかに成長して欲しいからと言っていたっけ」

「いい名前ですよね」

 そう言いながら力はやちよを優しく見つめた。

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