令和二年、それぞれの秋

大田康湖

第1話 喫茶店『リッチ』

 令和二年十月三日、午後二時。

 陽光原ようこうばら市は名前通りの穏やかな晴れ間が広がっているが、気温は二十五度でとても秋とは思えない。

 幹線から延びる道沿いにある喫茶店『リッチ』は、開業した一九八○年代からほぼ変わらない外観でたたずんでいる。その駐車場に白いバンが入ってきた。

「マスター、チヨたちよ」

 窓の外を見たエプロン姿の女性、関本定子せきもとさだこが声を上げる。カウンターでコーヒーカップを拭いていた関本士せきもとまもるは手を止めて答えた。

「予約席に案内してください」


 ドアを開けて入ってきたのは背の高い女性とやや低めの男性、そして杖をつく老人だった。三人とも喪服にマスク姿だ。アルコール消毒スプレーを持った定子が出迎える。

「いらっしゃいませ。アルコール消毒にご協力ください」

「久しぶりに来たけど、色々変わったわね」

 背の高い女性、田城たしろやちよは手を拭きながら辺りを見回した。カウンターとレジにはビニールカーテンがかかり、テーブルには透明間仕切りが置かれている。ソファーの背もたれにはビニールカバーがかかり、レジ手前の一角はタブレット端末と「お持ち帰りの方待機用」と書かれた札が置かれている。

「コロナ対策が終わったからようやく中の飲食も解禁できたの。ちからさんが業者の方を紹介してくれて助かったわ」

 やや低めの男性、田城力たしろちからはにこやかに答えた。

「ちょうどこちらの内装が終わった時だったからついでに頼んだまでさ。2人とも大変だね」

 定子も士もエプロンにマスク、髪を覆う不織布キャップにゴム手袋という重武装である。

「もう半年もつけてるとさすがに慣れましたよ」

 コーヒーをれる準備をしていた士が苦笑する。

「おじいさんはこちらへどうぞ」

 定子は間仕切りの隣に老人を案内した。老人はハンチングを脱いで一礼する。

「ありがとう」

 定子の笑顔に老人の厳しい視線が和らいだ。

「ダッコ、このおじいさんが誰だか覚えてる?」

 やちよの問いに定子は自信満々で答える。

「もちろん。かつらおばあちゃんの弟さん。去年お葬式の時お目にかかって以来ですね。改めまして、関本定子です」

「関本士です。妻の姓を名乗ってますが、力の兄です」

横澤康史郎よこざわこうしろうだ。お店をやってるとは聞いてたが、懐かしい気分になるいい店だ」

 康史郎の言葉に定子は一礼した。

「こちらこそ、ありがとうございます」


 テーブルの上には「着席は対角線か横並びで」「おしゃべり時はマスク推奨」「換気のため空調を強めにしています」といった注意書きとタブレット端末がある。

「メニューもタブレットになったのね。ファミレスみたい」

 画面を見ながら感嘆するやちよに定子が説明する。

直利なおとしがいろいろなシステムの比較とか、メニュー画面の作成を手伝ってくれたの。持ち帰りの予約もできるのよ」

「直利くんは定子さんの息子で、陽光原大学の経営学部に通ってるんだ」

 康史郞に紹介する力を士が補足した。

「今年はリモート学習でずっと家にいるけどね」

「でもメニューは前より減ったわね」

 やちよがため息をついた。

「売り上げも落ちてるし、しばらく売れ線だけにしようとマスターと話して決めたの。ただし、焼きたてのクレープは是非お店で味わって欲しかったから無理言って残したのよ」

「ここは『クレープとコーヒーの店』だものね」

「では折角だから、そのクレープを頼もうか」

 康史郞はクレープのページを開き、チョコバナナのバニラアイストッピングを頼んだ。やちよはナポリタンとツナサンド、力はホットドッグとブレンドコーヒー3人前を頼む。

「ナポリタンは二人前を三つのお皿に取り分けて欲しいの」

 やちよのリクエストを定子は了承した。


 運ばれてきたメニューに三人が舌鼓を打っていると新しい客が入って来た。定子の高校時代のクラスメイト、黒川史人くろかわふみと昭代あきよ夫妻だ。

「お持ち帰りでミニクレープ詰め合わせ、タマゴサンドとナポリタンドッグ二人前ですね。いつもありがとうございます」

「こちらこそ、いつも孫が楽しみにしてるんだ」

「落ち着いたらまた家族でお店に来ますから」

 黒川夫妻が注文を受け取り店を後にすると、やちよは定子に呼びかけた。

「二人とも相変わらず仲良しね。本当にダッコが振られて良かったわ」

「もうその話はよしてよ。それより法事はどうだった?」

 定子の問いにやちよは真顔に戻った。

「今日は代表で私たち三人が参列したけど、オンラインで視聴できるようになってるの。専用ページに行けばいつでも見れるので、今日は仕事の治郎じろうさんも安心って訳」

功子いさこさんと治郎くんにも会いたかったが、功子さんは年だし治郎君はバス運転手で休めないから仕方ない。まあ、わしはどうしても来なければいけない用事があったのでな。いい機会だから、ここで話しておきたいことがあるんだ」

 康史郞はマスクをつけた。

「では私たちはカウンターにいますので、追加注文はタブレットからお願いします」

 引き下がろうとした定子に、康史郞は呼びかけた。

「あんたたちも親戚だから、聞かれても問題はないさ」

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