第2話

 午前十時の駅前は只ひたすらに雑踏と喧騒の渦だ。

 バスターミナル横の、市のゆるキャラが草花でデザインされている巨大なモニュメントの周りは、待ち合わせの中高生でごった返し、隣接する百貨店に備え付けられた一階の開けた空間は、地元アイドルのライブ会場になっていた。百貨店と駅ビルの間の広場ではストリートライブが複数組同時に行われ、タクシー乗り場では客待ちの空車がうろうろしている。バスターミナルで下車して一旦地下に潜り、そこからまた別のエスカレーターで地上に出た俺が最初に目にしたのはそういった光景だった。

 俺は全てのものに嫌悪感を覚えた。駅前に繰り出すのは久々ではなかったが、いつも人混みには嫌気が差していた。通る人が、女が、男が、子供が、自分をじっと見ているような気がした。常に誰かの視線の先に居るような気がした。そう考えると次第に視線は下に落ちていき、着ていたパーカーのフードで顔を覆いたくなった。もう花咲く季節も終わって初夏が始まろうというのにも拘らず、俺は厚手の黒パーカーを着用していた。汗ばんで、暑い、とさえ明確に感じ取ったが、脱ごうとも思わなかった。

 駅構内に入ってから隣接した駅ビルの入り口を目指す。母親からの注文は「臨時の客用のためにストックしてある茶菓子を百貨店で買ってこい」との事だったが、それを後回しにして、駅ビルの最上階に在る巨大な書店に向かった。地元の会社が経営するその書店は市内に数々の支店が有り、それはその中でも一際大規模なものだった。俺の趣味は幼い頃から変わらず読書であったので、駅に用事が在るときは必ずと言っていい程この書店に立ち寄った。俺は本が発する独特の匂い、空気感をこよなく愛している。それは、どの書店であっても、古本屋であっても、図書館であっても同じことだった。どうか読んでくれと言わんばかりにオーラを放つ本も、もう疲れ果てて誰にも読んでほしくないと影を潜める本も、万物が敬愛対象だった。

 いつもは母親の使いでも腰を重くするが、駅に行くとなれば話は別だ。通行人の視線に不安を覚え乍らも、内心は本と書店で頭がいっぱいだった。書店に隣接しているカフェは未購入の本も持ち込みができる。そこの新作のコーヒーと合うのはどの小説だろうと胸を躍らせた。

 視界の端に、金糸が泳いだ。金糸は、見覚えのある顔に付いていた。

 アイツだ。

 咄嗟に気付いた。あの顔だ。あの歯だ。あの笑顔だ。間違いがない。二年以上嫌というほど見続けてきた。間違える訳などない。違っているのは――そう、金色の髪。そして、横にいる男。

「美智子」

 気が付いたら声が出ていた。出したかのかどうかすら確証がない程の小さな声。呟き。それでも相手には聞こえていたようで、金髪女は振り返った。

「正ちゃん?」

 嗚呼、俺はあれがアイツじゃないという希望を僅かながらも持っていたのか。自らの浅ましさに落胆した。あの綺麗で艶やかだった髪が、残らず全て金とも言い切れない黄色に染まっているのは直視し難かった。矢張りあれはアイツなのだ。髪が黒でなくとも、同じアイツなのだ。じっと見つめる眼差しがそう語った。

「みっち、どうした」

 アイツの隣に居た男の存在に気付いて、我に返った。男はアイツと同じ金髪で、サングラスをかけていた。ラルフローレンのポロシャツに、カーキの短パンを合わせていた。背格好は俺と同じぐらいだった。

 俺は訳も分からず背を向け、元来た道を走って引き返した。アイツの呼ぶ声が聞こえたが、彼は目の前の通行人をものともせず、無我夢中で走ってバスターミナルまで戻った。エスカレーターにさしかかるまで、アイツの声は俺を追いかけ続けた。喉の奥が焼けるようだった。

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