第五話 怒り

 そんなことがあった朝方、圭司は短い夢を見た。

 紗英がじっと見ていた。どんな内容だったのか、紗英が笑っていたのか怒っていたのか圭司はよく覚えていない。夢なんてそんなもんだ。

 目を開けるとソファに座った圭司の肩にもたれたまま、ケイはまだ眠っている。安心したのだろうか、そこにはとても穏やかな十一歳の寝顔があった。


 あれは本心だったのだろうか。そう思いながら、たった十一歳の女の子がそこまで追い詰められていたことを、圭司は言葉にできない衝撃を持って受け止めていた。

 言いようのない怒り。誰に対して怒っていいのか自分でもわからない。だが、圭司は間違いなく怒っていた。それはひょっとしたら、望まずにそういう環境で育ってしまったケイという娘の「思い込み」ということだって可能性がないわけじゃない。ただ少なくとも、そういうことが普通の生活の中にある場所で育ったことだけは間違いないだろう。

 そんな彼女に自分は何ができるだろう。この子を今助けてあげられるのは自分でいいのかだろうか。圭司はそんなことを考えていた。


 ——とにかく、予定通りアミティへ行ってみよう。そこに行けば、この怒りの矛先を何処に向ければいいのかはっきりとわかるかもしれない。

 

 しばらくして朝ご飯を作ろうと厨房に入っていると、予想より早くステラがきた。ケイが着てきた服に加えて新しい服もあった。十代の頃に着ていた服だという。それでもかなり大きいが、ないよりはずっといい。

「私の朝ごはんももちろんあるでしょ」

 ステラは自分は朝から仕事をしてきたんだから朝ごはんぐらい当然という顔をして、さっさと夕方には賑わうはず店のテーブルについている。おかげでもう2個ほどの卵と数切れのベーコンを使う必要ができたが、食事は大勢の方が圧倒的に楽しい。圭司は黙って三人分の朝食をテーブルに並べたのだった。


 やっと起きてきたケイは、ステラが持ってきた服に大喜びして自分で服を選んだ。それから圭司の作った朝食に目を輝かせ、美味しそうに頬張った。美味しいかと圭司が聞くと、目をキラキラさせて大きく頷き、

「こんな美味しい朝ごはんなんて生まれて初めて! こんなお料理を作れるなんで、神様の指先でも持ってるとしか思えない!」

と最大級の大袈裟なお世辞を言ってくれた。本来の彼女は、こんなおしゃまな年頃の女の子なのかもしれないと圭司は思った。

 ステラには昨日あったことは話さないでおこうと決めていた。まだ子供とはいえ、ケイも他人に知られたくない秘密にしておきたいだろう。


「今日は店は休みにしようと思うから、君も休んでくれ」

 圭司がステラにそう言うと、

「何言ってるの。私だってアミティまで出かけるつもりで来たんだから」

と言って譲らなかった。仕方なく三人でアミティの街へ向かうことになった。


 ⌘


 圭司の車はもう二十万キロ以上走っているピックアップトラックで、三人で乗るには少々狭かったが、ベンチシートの真ん中にケイを乗せて出発した。

 昨日あんなことがあり、ケイはアミティの街へ帰ることに少し躊躇いがあったみたいだが、ずっとそばにいるからと圭司が約束して一緒に行くことにした。圭司としても、ケイがいないと、行ったこともない街で何を探していいのかさえもわからないから、どうしてもケイが必要だったのだ。


「これ、なあに?」

 ケイが物珍しそうに車についているカセットテープを触っている。

 ——そうか。この子らはもうカセットじゃ音楽を聞かないんだよな。

 こんなところでさりげなく「世代」を感じてしまう。ステラはどうやら子供の頃に見たことがあったみたいだ。

「指で軽く押し込んでごらん」

 圭司がそういうと、ケイは恐る恐る左手の人差し指でカセットを押し込んだ。


 軽快なギターのリズムに乗せて「Stand by me」が流れ始めた。圭司が最初に好きになったアメリカの音楽だった。

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