【一話完結・修正版】欲望にまみれたある男の日常

@KKOOKK

第1話

空っぽだ。ああ、乾く。

俺こそが「それ」そのものだ。


朝は、控えめにギラギラと照らすあれを見つつ、夕方はパラパラとチラつくあれを見つつ、俺は俺を満たすあれを追う。俺が追いかけているものは多少のアクシデントじゃ、ビクともしない。いつも平然と、冷静に、それでいて動揺を隠すかのように、登校と下校を繰り返す。同じ動作を続けていてよくもまあ懲りないな。俺のことじゃない。あいつの事だ。


お、今日は雨だな。自転車で通うあいつにとっては、それなりに天敵と言ってもいい気候だ。ああ、晴れやかな気分だ。雨の日は、俺の音は誤魔化しやすい。いつもより楽にことが運ぶ。


ああ、あんなにビショビショになって。健気にもあいつは、「自転車に乗りながら傘をさしてはいけない」という誰かから言われたかもわからん教えを守り、自身の体よりも一回り小さいカッパを着て自転車をこいでいる。そのせいだな、カッパからはみ出た袖や裾、前髪がシャワーでも浴びてきたかのようだ。笑えるよ。


今このタイミングでもいいが、いやいやしかし、確実ではない。物事を起こすときは何事も細心の注意を払って厳密に、が俺のモットーだ。つまりそれは今じゃない。実に惜しいが、失敗する確率と、俺の望む答えが出る確率を比較するといやはや、解答は明確に提示されている。さあ、まだもう少し、待ってみよう。


今日は快晴か。あいつは、本当に運の良いやつだ、いや悪運の強いやつと言っておこう。外の景色をざっと見るに、今日という日と、俺の相性はだいたい「犬猿の仲ですね、お二人は」といった程度だろうか。


グニャ


足元がぬかるんでいる。昨日の雨の影響か。ここが都会のコンクリートジャングルだったら、洪水になっていただろうに、と思えるくらい足元の土は多量の水を含んでいる。これは好機だ。神様が俺に与えてくれた、少し嫌味を含む最高のプレゼントかもしれない。そう思って俺はぬかるみに突っ込んだ自身の靴をゴミ箱に投げ入れた。泥が部屋に飛び散った。やらなければよかったと思った。


さて、何故これがプレゼントかというと、簡単に言おう。別に、難しく遠回しかつ遠慮がちに伝えてもいいわけだが、ここは俺の演技力の無さに免じて優しく直接的にかつ土足で語ってやろう。地面がぬかるんでいるということは、あいつは自転車に乗ることがままならない。つまり、おそらくは徒歩で通学路を歩く。そこが狙いどころだ。


俺はあたかも、真っ当な社会人を装って、もしくは迷子になってしまった旅行客になりすまして、あいつに声をかけるんだ。「あの、少しお時間いいですか」とまあこんな具合に。声をかけられた人間は、ある程度の警戒心を保ちつつも、俺の問いかけに応じてくれるだろう。そうだ、大抵の人間は断らない。


あいつは尚更断らない。俺はニ年間、あいつのことを見守り続けてきた。傍から見れば全く違うように見えるやもしれないが。あいつは他人に対して警戒心を抱くような人格をはなから持ち合わせていない。寄ってきた人間が困っていると分かるやいなや、むしろ全身全霊で尽くしてしまうような性根を生まれ持っている。そこに漬け込むんだ。


ここまで話すと逆になぜ今まで話しかけられなかったのかという疑問を投げかけられそうだから、先手を打っておく。まあつまりは実にシンプルな話だ。自転車に乗って登下校中のあいつには他人に構っている余裕などこれっぽっちもない。毎朝、遅刻ギリギリの刻限に教室へ駆け込み、授業が終わると「やっと自由になれる」と言わんばかりの表情で、猛スピードで自転車をこいでいく。それこそ、他人の介入を阻むかのように。


そう。ここまで考えてみると、元からあいつが徒歩で登下校する日以外、話しかける余地のない女子生徒だったことがありありと分かる。俺はそんな女を追い続けている。


さて、今日も今日とて、二度のチャンスが俺を待っている。待ちぼうけにするわけにはいかん。五分前行動を心がけなくては。


ガチャ


ああ、そういえば、ジェントルマンを装うために靴は先程捨ててしまったんだった。残念ながら片方しかない。いくら、艷やかな靴だからといって片方だけでは、そんなこと関係ない。ただの貧乏人だ。


カチッ


不味いな、あいつが家を出るまでにもうあまり時間は残されていない。一度目のチャンスを逃してまでジェントルマンを装うのをやめるか、それとも貧乏人となって、明らかに不審者の格好で話しかけるか。答えは明白だろう。ことは単純。俺の計画は至って完璧であるべきだ。


チリンチリン


靴屋に来た。行きつけのだ。店長と十年来の友人でな。嘘じゃない。本当だ。どうだかな。

「二九センチはありますか」

「ご用意してございます。ですが、こちらの現品限りとなっておりまして……」

一番高いところにある、明らかに過剰な装飾がなされたシンプルでかつ派手な靴。周りの靴よりずっと値が張るようだ。位が一桁違う。これは予想外の出費だ、想定内ではあるが。

「それを頂きたい」

「かしこまりました」


チリンチリン


履き替えた。靴屋に来るときに履いていた貧相なサンダルは持ち帰るのも億劫なので、無理を言って処分してもらった。ほら、店長と十年来の友人だから。友情がなせる技だ。嘘だが。


今日のあいつの下校時刻は、四時半だ。あいつは部活動に入ってはいるが、入っていないようなものらしい。つまりは幽霊部員だ。そういうものらしい。あいつの友人から聞いた。その間、いつものようにあいつの学校が見える喫茶店で珈琲でも飲んでいよう。流行にのった、薄っぺらい雑誌を読みながら、正しくは読むフリをして。


カランコロン


「珈琲一杯頼めるか」

「かしこまりました」


ズゾゾゾッ

ここの珈琲は旨い。いや嘘だ。建前上そう言ってみただけだ。ただの珈琲の味しかしない。それ以上でもそれ以下でもない味だ。満足はできないが、満腹にはなれるような飲み物だ。ただ、そんなものでもあいつのいる学校を見ながらなら、満足できるものに昇格せざるを得ない。ああ、旨い。至高の味だ。珈琲の味に、俺の感情が同調してこれ以上ない味わいだ。だから、やめられない。


日が傾いてきた。もうそろそろか、あいつが下校する時間は。学校の付近で声をかけるのはいささか都合が悪い。勿論、俺の都合だ。あいつにとってそれがどうであろうかなかろうか、それは今取り上げるべき話じゃない。学校からも家からもそれなりに遠く、かつ人気がないところでことを行おう。


ああ、毎日のようにデモンストレーションしてきたが、それがもうすぐ現実のものになるかと思うと、滾るものがあるな。いや駄目だ。ここまできたのに浮かれて作戦が台無しになるなんてことあってはいけない。浮かれるな、落ち着けよ。何事も慎重に、細心の注意を払って確実に進めるんだ。全ては俺の為、あいつの為なんかじゃない。

よし、行こう。


カランコロン




トットットッ


あいつが出てきた。道がぬかるんでいるからか、長靴を履いている。勿論、俺にとっては好都合。スニーカーよりずっと移動の自由がきかない靴だ。


学校から五百メートルほど離れたか。ここでもいいが、まだ人の目が十分にある。ここで実行するのは危険だろう。何事も慎重に、だ。もう少し人気がないところでにしよう。


一キロメートルほど離れたな。つい先程より一段と人気がない。空も暗い影を落としてきた。ちょうどいい。ここがベストアンサーだ。これ以上の答えは見つからないと言ってまず間違いないだろう。


カサカサ


「お嬢さん、少しお時間いいですか」


「…………どなたでしょうか?」


ああ、思った通りの反応だ。怪訝そうな目をしている。警戒心が薄いこいつでも、遥かに年上の男にはそれをもつらしい。おそらくもう一言二言言わなければ、会話をする気はないだろう。それこそ俺が道に迷って困っている観光客か何かであれば。だだし全くの別物だが。


「警察だ」


平然と、さも当然のように俺は告げた。そして、目を見開いている彼女に聞こえるような声のボリュームで、こう続ける。


「こちら外川、対象を補足した」 


ひと呼吸おいて、


「確保だ!!!!」


ポケットに入れたままのスマートフォンは通話状態にしてある。この会話を聞いていたのは、俺の張り込み仲間。となると、次の展開は……


「「「「確保だ!!!!」」」」


常に俺の周囲に陣取っていた仲間たちがここぞとばかりに飛び出してくる。

張り込みをする前、犯人を特定する期間を含めると、五年間も追い続けてきたホシが、やっと今目の前で手錠を付けられた。不服そうな顔をしている。ああ、至高の気分だ。本当にこれ以上ない。この日を何度待ち侘びただろうか。このニ年間、微かなチャンスは何度もあったが、確実なチャンスは一度たりとて巡ってこなかった。それが今日、偶然が折り重なって今に至る。


「罪状は何?」


「殺人罪だ。お前の場合、連続殺人となるから、より罪は重くなる」


「凶器は?凶器は出ていないでしょう。そんなの物的証拠に欠ける」


「ああ、凶器?これのことかぁ?」


ニヤニヤと、しかし冷静にポケットの中から証拠品袋に入れられた血塗れの包丁を見せびらかす。


「!!」


「いやぁ、酷いもんだよな。全員が全員、腹部を包丁でめった刺し、しかも一撃一撃がだいぶ深くまで貫かれてる。ご丁寧に、全部臓器を避けてな。失血死になる過程を見てたんだろ、狂気の沙汰じゃねぇ」


「……フフ、偉そうに語っているけれど、あなたたちは最初の殺人から五年間も私の事を捕まえられなかった。その間にあった殺人を考慮するとけしていい結果とは言えないんじゃない?」


「ああ、全ては我々の力不足だ。お前は変態的に証拠を残さなかったからな、見つけ出すのに時間を要してしまった。でも、今こうして逮捕された。正真正銘お前の負けだ」


彼女は手錠をされたまま、パトカーに連行されていく。


「どうかしらね、ことは最期までわからないものよ」


パトカーに乗り込む直前、彼女はそう呟いた。やけにニヤニヤと口角を上げながら。





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