無き人からの電話

ラグト

無き人からの電話

 むれるように立ち上がってくる血と死のざわめき……。


 人々の差す傘が真上に掲げられ、それはまるで雨に濡れる紫陽花の花束のようだった。


「誰か……死んだんだ」


 私は眠る子供に囁くようにそっと呟く。


 雨の中に生まれた道路脇の人だかり。


 遠くから聞こえてくる救急車のサイレンの音。


 交通事故だった。


 事故に遭って倒れた女子生徒が雨に濡れないようにしているのか、倒れた彼女がいるであろう場所の上には色とりどりの傘が差されている。


 なぜ私が事故に遭ったのが女学生だとわかったのか。


 私には視えていた。


 人だかりの中に傘を差さずに立つ女の子の霊の姿が……


 うちの高校の制服に身を包んだその女生徒の霊は事故に遭って道端に倒れている自分自身を見下ろしているようだった。


 私は生まれつき霊感が強く、世間一般で言うところの霊という存在が視えていた。


「かわいそうだけど、たぶん助からないな」


 私は事故に遭った女生徒が助からないと感じていた。


 なぜならあそこに立ち尽くしている女生徒の霊には既に生気が感じられない。


 いわゆる生きている霊の熱は感じ取れず、死の冷たさが感じ取れたからだ。


 うちの学校の生徒なので誰が事故に遭ったのかは気にはなったけど、女生徒がこちらに背を向けていることと雨中の視界の悪さのせいでそれが誰かを確認することはできなかった。


 あまり見ているとその霊に付いてこられるかもしれなかったので、彼女がこちらに気付いてないうちに私はその場を離れることにした。


 そんな時に私のスマホに着信が入る。


 まるで私を留めようとする意思のように感じられて思わずびくっとしたけれど、着信元を確認すると先に家を出た妹からだったので一気に力が抜けた。


「みずきおねえちゃん、いまどこ~」


 彼女特有の明るく甲高い声が耳を突く。


「どこって、学校に向かってるところよ」


「さっき、私のこと見てたでしょう」


「えっ、見てたってどこで?」


「交通事故の現場で私いたでしょう、見てないの?」


 確かに事故の現場は見ていたえど、妹の姿は確認していない。


「ごめん、美弥がいたのは分からなかったわ」


「ふ~ん、それならいいや、じゃあまたね」


「あんたも遅刻しないように急ぎなさいよ」


 電話を切ってから改めて思うと違和感のある電話だった。


 好奇心旺盛な妹ではあるけれど、事故現場を見物するなんて気持ち悪くないのかしらと頭の隅で思った。


 不可思議に感じながら学校に着き教室に入ると、担任の教師が私を呼び止めた。


「あっ、黒川、大変だ、お前の妹さんが交通事故に遭ったらしい。今救急車で搬送されたと病院から学校に連絡があった」


 私は最初その先生が何を言っているのか理解ができなかった。


「えっ、先生、何言ってるんですか?」


「いや、黒川よく聞いてくれ、妹さんは頭を強く打ったのか意識不明の重体らしい」


 教師の声は耳に入って、その内容は分かり始めたけど、なぜか急に頭が重たくなったような気がした。


「えっ、意識不明、でも私、今妹と話を……」


「持っていた学生証からうちの学校に連絡が入ったみたいなんだが……」


 先生は私に事故の状況を説明してくれているようだったけど、なにか霞がかかったように感覚が奪われて行く気がしていた。


「妹は……美弥はいつ事故に遭ったんですか?」


「ああ、救急からの話だと通学途中の7時半過ぎということだが」


 私は先ほど妹からかかってきた着信の履歴を見てみた。


 7時54分……やはり事故の起こった後だ。


 もし、本当に妹が事故に遭って意識不明だというのだったら、私がさっきまで話をしていたのはいったい誰なのかということになってしまう。


 しかし、その状況に符合する可能性を私は早々に頭に浮かべていた。


 先ほどの事故の現場でいた女の子の霊は死者のものだった。


 それであるならば電話は既に死んでいた妹からかかってきたという憶測だ。


 私は手が震えながらもすぐに妹のスマホにリダイヤルしてみた。


 何かの間違いであってほしい、早く妹の元気な明るい声が聞きたいと願い続けた。


 しかし、いくら待っても電話の向こうのコール音に誰かが出ることはなかった。


 3分ほど粘ってコール音を鳴らし続けたが、私はあきらめて妹が搬送された中央病院に向かおうとした。


 そのときだった。


 ポケットに突っ込んだばかりのスマホからバイブの振動が伝わってくる。


 私はびくっとして恐る恐るスマホのディスプレイを確認した。


 妹からの着信だった。


 つい数秒前までは話がしたくてどうしようもなく思っていた相手から電話がかかってきたのに、最早この世のものではない妹からの電話かもしれないと思うと説明のできない恐怖感が身体を満たしていった。


 それでも取らないわけにはいかない……私は意を決して電話に出た。


「……美弥なの?」


 私はできるだけ落ち着いた声で妹に呼びかける。


「……そうだよ」


 しばらく無言の後、ようやく反応があった。


「どこにいるの?」


「私はまだここにいるよ」


 『ここ』とは直感的に事故現場のことだと感じた。


「ねえ、お姉ちゃんも来てよ」


「……うん、いま現場に行くから」


 死んでしまった妹と話が出来ている、そんな奇跡のような事象かもしれないのに私の声は戸惑いと恐れからか自分でも驚くほど弱々しいものだった。


「……違うよ」


 妹は冷たく返答した。


「えっ?」


「いっしょに……あの世に逝こうよ」


「なにを……言って」


「ねえ、お姉ちゃん、私一人で逝くのは寂しいの」


「美弥、あなた」


「だからね、お姉ちゃんもいっしょに逝こうよ」


「美弥……でも、お父さんとお母さんのことも」


「そんなのどうだっていいよ、ねえ、お願い」


「美弥……ちょっと落ち着こうよ。私はまだそっち側に行くわけにはいかないの」


「お姉ちゃんは私に一人で逝けっていうの。そんなの怖いし寂しいよ。いつもの優しいお姉ちゃんならいっしょに逝ってくれるでしょ」


「美弥……」


 その言葉には自分の知っている妹の様相が見受けられなかった。


「わかってくれた、お姉ちゃん?」


 明るく舌っ足らずな口調だったけれど、わたしはゆっくりと彼女の問いかけに答える。


「途中から何かおかしいと思ってたけど、あなた、やっぱり美弥じゃない」


「えっ!?」


「あの子は甘え上手だけど、そんなことを言う子じゃない」


「な、なに言ってるの。お姉ちゃん、私だよ」


「……あなた、いったい誰?」


「……」


 私の追求に数瞬の沈黙が続いた後、ふと電話口からの雰囲気が一変する。


「ふう、なんで勘づくかなあ、ひどいお姉ちゃんだね。『愛する妹』がこんなにお願いしてるのに」


 変わったのは気配だけではなくその声もだった。


 もう演技しようとしていない彼女の声は全く別人のものにしか聞こえない。


「……あなた」


「本当に薄情なお姉ちゃんだよ。本物の妹だったらどうなっていたのかしら」


 忌々しげな呪いの言葉を吐かれたが、私は安堵感から逆に深く息を吐きだしてしていた。


「はああ、よかった」


「なによ?」


「あなたが先に白状してくれて、本当に良かった」


 私は額の汗をぬぐった。


「なんですって!?」


「あなたは弟や妹がいなかったのね」


「ど、どういうことよ!」


「覚えておくといいわ。こんなときに多分別人だと思っていても、突き放すことが出来ないものなのよ、家族っていうのは」


「えっ、なにを、何を言って……」


「だから、あなたの方から美弥じゃないって正体を現してくれないと、私本当に困っちゃうところだった」


 自分の思惑を看破されたからか彼女の怒りよりも憎悪の波が押し寄せてきた。


「……私が、私があなたの妹じゃないっていうのなら、じゃあ私はいったい誰なんだよお!」


 電話口から断末魔とも思えるような絶叫が響き渡ると、それを最後に女からの電話は途絶えた。


 電話が切れたあと、すぐに母親から電話がかかってきた。


 本物の美弥は交通事故で頭を打って意識を失っていたが、あの女の子の電話が途切れたすぐ後ぐらいのタイミングで意識を取り戻したようだった。


 怪我の方もかすり傷程度ということらしい。


 程なくして私はあの事故現場に戻ってきていた。


 現場の道脇、飾ってある花の瓶の隣に妹のスマホが落ちている。


 妹のスマホを拾いながら、私は思い出していた。


 そこにいた女の子のことを……


 私は通学の際そこを通るときに彼女を見ていたのだ。


 その女の子の霊は交通事故で死んだのだと思われた。


 しかし、最初なぜ自分がそこでいるのかわからない表情で狼狽えていた。


 それからその道を通るたび、女の子の姿は少しずつ崩れていくのが分かった。


 強い怨念や未練をもった霊であれば、その姿は鮮明で揺るぎないことが多い。


 けれども、死んだことすらもあやふやな霊はその存在自体を自分が覚えていられなくなるのか人の形が崩れていくものがあった。


 その女の子の霊も最後に見た時にはもうどす黒い人型の影にまで存在を失っていた。


 そして、今事故現場には何もいないし、感じることもできなかった。


「そっか、逝けたんだ、やっと」


 私は少し安心感にも似た気持ちを得ていた。


 眠るのが怖い感覚にも似たこの世から消えてなくなることに対する恐怖が彼女にはあったのかもしれない。


 だからこそ、妹の声を真似て私も誘い込もうとしていたのだろう。


 雨はもう上がっていた。


 結果として憎悪と悪意のるつぼと化した咆哮の中で彼女はようやく上に昇ることが出来たのだ。


 いつもと変わらぬ陽ざしが雲の合間から通学路を照らし始めたなか、私はなぜかそんな気がしたのだった。

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