第二十五話 収穫の条件

 崗(おか)の地で、米作りをおこなうこととなった。話がまとまり、狭野尊(さの・のみこと)は安堵していた。狭野には絶対と言っていいほどの自信があった。米の何たるかを知れば、必ずや、崗の民も関心を示すはずである。


 そんなことを考えていた時、眼前の熊鰐(くまわに)が、先ほどとは打って変わって、眉根を吊り上げて尋ねてきた。


「さりながら、解(げ)せぬことがござりまする。」


 唐突な熊鰐の表情の変化に、狭野は、若干の寒気を感じた。何か難癖をつけてくるのではないかと思ったのである。


 しかし、それは杞憂(きゆう)に終わった。熊鰐が続けて口にしたのは、至極真っ当な理(ことわり)であった。ただ、狭野は、全く考えてもいなかった。米作りの何たるかを見せることばかり考えていたのであるから、致し方のないことではあったが・・・。


「採れた米は、一体、誰のものになりまする?」


 狭野は、なるほど・・・と唸るほかなかった。米作りを伝授すれば、それで事足りると思っていただけに、すぐに返事が出来ない。


 傍に控える三兄の三毛入野(みけいりの)も同じ思いであったようで、驚いて目を覚ましたような顔を見せつけてきた。


 正直に言えば、出来た米は、今後の旅の食料に当てたい。崗の人々のため、来年の籾(もみ)を残すのは当然としても、米が採れるまで一年はかかる。その間にも食料は減っていくのである。何とか確保したい。


 かと言って、崗の国に厄介となる以上、収穫した米を全て持って行く・・・というのも気が引ける。実際、土地を貸すのは崗の国。耕すのは高千穂の民であっても、ことごとく高千穂のもの・・・というわけにはいかない。場合によっては、崗の海産物や野菜、木の実などと交換することもあるだろう。貝輪も大量に積んではいるが、限度というものがある。これから、あと幾年の旅となるか、計り知れないのである。それを思うと、交換品として有効に使える米は、有った方がありがたい。


 逡巡する狭野に、熊鰐は恐る恐るといった面持ちで、一策を提案してきた。


「こういうのは、如何(いかが)にござりましょうや?」


 藁(わら)をもすがる気持ちで、狭野が喰いつく。


「と・・・いうのは?」


「我が国の民が、米を良きものと思うたなら、いただいた貝輪をいくつかお返し、その分だけ米をいただくというのは?」


 熊鰐の出してきた条件を聞いて、狭野は悟った。熊鰐自身は米の良さを理解していると・・・。熊鰐からも、自信のようなものが溢れている。必ず、そうなると言いたげな雰囲気である。


 続けて、熊鰐は、困ったような顔付きで語り始めた。


「されど、もしも、我が国の民が良いと思わなかったならば、出来た米、全て、高千穂の方々のものにしていただいて構いませぬ。」


 良い条件である。米と貝輪の交換により、貝輪が戻ってくるのであれば、今後の旅に支障をきたす可能性は低い。土地を借りる際に支払う貝輪が、担保のような役割となるわけである。


 そこまで考えて、狭野は、熊鰐という王の巧みな政治手腕をも感じ取った。貝輪と交換するということは、狭野から施(ほどこ)しを受けることにはならない。あくまで対等な立場での交換である。その上、民が米作りに関心を示さなかった場合、貝輪は全て崗のものとなる。いわゆる保険までかけているのである。


 一国の長たるもの、こうあらねばと、狭野は奮い立たされたような気分となった。自分にここまでの深慮遠謀(しんりょえんぼう)があるだろうかとも思ってしまう。


 更には、こうも思った。中(なか)つ国(くに)に至るまで、熊鰐のような、様々な王たちと語らうことになるのは間違いない。その一人、一人から、国造りの何たるかを学べる機会を得ようとしている。実際、菟狭津彦(うさつひこ)からも学ぶところは多かった。各国の王の治政を学ぶ。そんなことが出来るのは、自分だけではないかと・・・。


 国を一つにまとめるという壮大な夢が、一歩・・・一歩だけではあるが、現実味を帯びてきたように感じた。


「熊鰐殿、良きお考えじゃ。では、米が実るまでの間、貝輪を貴殿に預けもうそう。次の歳(とし)も米を作らんと思うたならば、貝輪をお返しくだされ。」


「承知致しもうした。では、明日より、我が国の地をお見回りくだされ。日が昇らば、お迎えに上がりまする。」


 別れの挨拶を済ませ、去って行く熊鰐の背中を、狭野は見えなくなるまで眺めていた。どこかしら、笑っているようにも見えた。

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