第二十三話 崗の熊鰐

 結論から述べよう。怪しき船団は、崗(おか)の国の船団であった。迎え討つつもりもなく、狭野尊(さの・のみこと)一行を歓迎するため、海まで出て来ていたのであった。一行が安堵したのは言うまでもない。


 崗を治める豪族、熊鰐(くまわに)が慇懃(いんぎん)に挨拶を述べた。


「崗の地に御来訪いただき、真(まこと)に身の誉(ほま)れにござりまする。」


 深々と首を垂れる熊鰐に、狭野は率直に疑問をぶつけた。


「なにゆえ、我らが来ることを知っておった?」


「菟狭津彦(うさつひこ)殿から文(ふみ)をいただきもうした。そこから、いつ頃、我(わ)が崗に訪れるかを見積もった次第。」


 自信たっぷりの熊鰐に、狭野は続けて問いかけた。


「そのようなこと能(あた)うのか?」


「我らは海の民。潮の流れ、満ち引きは、手に取るように分かりまする。並びに珍彦(うずひこ)殿が先導なさっておられるということを鑑(かんが)みれば、造作(ぞうさ)もないことにござりまする。」


「では、崗は海幸(うみさち)で暮らしを立てておるのか?」


 狭野の質問攻めに対し、熊鰐は嫌な顔一つ見せない。逆に、玩具を見せられた子供のようである。


「海幸だけではありませぬぞ。山幸(やまさち)も豊かにござる。」


 ここで、狭野は本題を切り出すことにした。崗の地を訪れた、本当の理由である。


「菟狭と商(あきな)いを通じておるのであらば、米は知っておろう。」


 その言葉に、熊鰐は初めて顔をしかめて見せた。


「知ってはおりまするが・・・。」


 奥歯に何か詰まったような言い方である。まるで面倒なことを押し付けられたような雰囲気を醸し出している。


 堪(たま)りかねて、狭野が代わって結論を述べた。


「知ってはおるが、作る気はないということか?」


「狭野殿。いやっ、狭野様。貴殿の国をまとめんとの志(こころざし)、真に素晴らしきことと思うておりまする。それが成れば、我(わ)が崗も、今よりも豊かとなりましょう。されど、国をまとめることと、米は一切、関わり合いはないと心得まするが如何(いか)に?」


 熊鰐の言うことは正しい。ただし、国をまとめるという観点で見ればの話しである。だが、豊かになるという観点で見れば、話は異なってくる。米の生産量は、海産物や山野で採れるものよりも、遥かに大きい。効率的な食物なのである。


「熊鰐殿の申すことにも一理あるとは思うが、それでもなお、我(われ)は、貴殿の国に米の作り方を伝え教えたいと思うておる。」


「そこまで伝えんとするのは、如何(いか)なるわけがあってのことにござりまするか?」


 熊鰐はわずかではあるが、米作りに関心を示してきた。ここを逃すわけにはいかない。狭野は、懸命に米作りの良さを伝えた。焦(あせ)るあまり、早口になっていることは否めないが・・・。


「米を作れば、一粒が三百粒となる。これを毎年続けてみよ。山幸や海幸が採れぬ時も、気にすることなく食べること能う。子供らを、つつがなく育(はぐく)むこと能う。そうなれば、時があまるほど残る。その時を用いて、他のことをおこなうことも能おう。良きことばかりではないか?」


 だが、やはり熊鰐は得心(とくしん)していない様子である。


「さりながら、その米とやらを育(はぐく)むには、一歳(ひととせ)かかると聞き及びもうした。それまで待つこと、我(わ)が崗の民には出来かねましょう。」


 収穫までの時期の長さを指摘してくるとは思わなかった。狭野も、これには反論の余地がない。待っていられないと言われては、どうしようもない。


 狭野が戸惑っているところで、三兄の三毛入野(みけいりの)が助け舟を出してきた。


「熊鰐殿の申す通り、一歳は長い。それまで待つは難しき話であろう。そこでじゃ、我らに一歳の間、どこかより良き地を貸してはもらえぬか?」


「より良き地を借りるとは、如何(いか)なることに?」


「我らに米を作らせてはくれまいか。崗の者らは、見ているだけで良い。見ていて、良いと思えば、崗の者も米を作れば良い。見ていても、良からぬと思わば、それまでで良い。ただ、米を作るには、それにふさわしき地がなければならぬ。どれが良き地で、どれがふさわしからぬ地であるか、貴殿では分からぬであろう。そこで、我らに、崗の地を詳(つまび)らかに見せていただきたいのじゃが、どうであろう?」


 三毛入野の提案に、熊鰐は腕組みをして考え始めた。

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