第十七話 祝言日和

 唐突な天種子(あまのたね)の求婚に、大御饗(おおみあえ)の会場は、一斉に静まり返った。狭野尊(さの・のみこと)も、菟狭津彦(うさつひこ)も、舞いも忘れ、飲むのも忘れ、呆然とするほかない。歌う者など皆無である。


 静寂の中で、天種子は続ける。


「一目見た時から、我(われ)は汝(いまし)の虜(とりこ)となってしもうた。両国の絆のためでもあるが、それよりも何よりも、この天種子、汝と添い遂げられるなら、燃え盛る火の中にも、猛り狂う水の中にも、甘んじて身を投じる覚悟っ。我(わ)が想い、お受け取りいただきたいっ。」


 決死の形相で愛を語る天種子。呆然とする菟狭津媛(うさつひめ)。固唾(かたず)を呑む周りの者たち。兄の菟狭津彦に至っては、驚きのあまり、目も口も閉じるのを忘れた様子である。


 共に眺めていた狭野も、ようやく事の次第が分かってきた。どこをどう切り取って見ても、天種子の勝手な欲望の話ではあるが、同盟国との絆を結ぶという面では、いささか間違いでもない。


 狭野は、まだ口を開いたままの菟狭津彦に視線を送った。


「どうであろうか、菟狭津彦殿?・・・。我が家臣、天種子のたっての願い。お聞き届けいただくことは出来ましょうや?」


 だが、これは夫婦の話である。一方が良くとも、もう一方の都合というものがある。狭野は髭を一撫ですると、続けざまに語った。


「されど、妹御(いもうとご)殿のお気持ち、並びに菟狭(うさ)の御事情というものもござりましょう。どこぞに、心交(こころか)わしたる御仁がおられるなら、それを裂(さ)いてまでとは言い申さぬ。お断りいただいても、我らとの間に、何ら障(さわ)りはござらぬ。如何(いかが)でござろう? 菟狭津彦殿? 妹御殿?」


 狭野から尋ねられたことで、菟狭津彦も我を取り戻したようである。一つ身震いをすると、呆けた様子で狭野と天種子を交互に見つめたあと、妹の方に目をやった。


「菟狭津媛・・・。全ては汝(いまし)に委(ゆだ)ねようぞ。汝の心次第じゃ。嫌なら嫌で構わぬ。なに、狭野様は断ったとて、お怒りにはならぬと申されておる。気兼ねなく申せ。」


 兄に促され、菟狭津媛は恥じらいを見せつつ答えた。


「兄上が、お許しになるのなら、わたくしは、この御方の妻になりとうござりまする。」


 菟狭津媛からの色よい返事を聞いた天種子は、有頂天に飛び上がって見せた。まるで幼子のように・・・。


「真(まこと)か!? 真に・・・わしの妻になってくれると申されるか?!」


 欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する天種子の勢いに押されつつも、菟狭津媛は笑みを浮かべて返した。


「この場で、嘘など申し様がござりませぬ。真っ直ぐな、あなた様の心根(こころね)に、わたくしは心服仕(しんぷくつかまつ)りました。これからも、宜しゅう御願い申し上げ奉りまする。」


「そは、こちらの申し分ぞ。こちらこそ、御願い申し上げ奉らばや。」


 満面の笑顔でのろける天種子。はにかむ菟狭津媛。両者の姿を眺めながら、菟狭津彦が大音声を挙げた。手には、いつの間に用意したのか杯が握られている。


「菟狭と高千穂に弥栄(いやさか)あれっ!」


 これを音頭として、菟狭の民からも声が上がった。


「菟狭と高千穂に弥栄あれっ!」

「御両名の行く末に幸(さち)多からんことをっ!」

「寿(ことほ)ぐべし。寿ぐべし!」


 それに釣られて、高千穂一行からも歓声が起こる。


「この夫婦(めおと)をば、神(かむ)ながら守り給えっ!」

「黒髪の白くなるまで、幸(さきわ)い給えっ!」

「あな目出度(めでた)や! いざ舞わんかな。舞わんかな。」


 再び乱舞の場が出現した。しかし、今度は祝言(しゅうげん)の宴である。狭野は面白くなって、恥ずかしそうに頭を掻く天種子の手を引っ張ると、上座に坐らせてしまった。これを見て、菟狭津彦も妹の手を取る。そしてそのまま、恥ずかし気に顔を俯(うつむ)かせる菟狭津媛を隣に坐らせてしまった。


 新郎新婦の晴れ舞台に、狭野は満足していた。思わぬ形で、高千穂と菟狭の絆を深めることができたのである。動機は不純かもしれないが、それを差し引いても、天種子の功績は遥かに大きいと痛感する、狭野なのであった。

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