第十四話 菟狭の出迎え
大蛸(おおだこ)より渡された伊弉諾尊(いざなぎ・のみこと)の剣。そのために、海女(あま)の姉妹が命を落としてしまった。狭野尊(さの・のみこと)は大いに悲しみ、二人を剣と共に祀(まつ)ることにした。
これに反対する者はいなかった。初の犠牲者を目の当たりにし、高千穂一行に動揺が走っていたのである。これを鎮め、士気を回復させるためにも、忠義に殉じた二人を顕彰する必要性があった。
狭野にとっては、せめてもの償いでもあった。社(やしろ)を建てたのであるが、主祭神(しゅさいじん)には八十禍津日神(やそまがつひ・のかみ)を鎮座させることにした。伊弉諾尊が禊(みそぎ)をおこなった際に生まれた神である。
この社に、剣を守護し続けた大蛸も祀ることにした。我が国は、自然のありとあらゆるものが神となる。大蛸もまた、その中に含まれたのであった。
これが、大分県(おおいたけん)大分市(おおいたし)佐賀関(さがのせき)に鎮座する、早吸日女神社(はやすひめじんじゃ)の起源であると伝わる。
当神社は、地元で「お関様」と呼ばれ、拝殿には、多くの蛸の絵が貼られている。参拝者は願い事と、その成就のために蛸を食べない期間を書いて貼るのである。
蛸断(たこだち)祈願という信仰で、同神社の禰宜(ねぎ。神職の一つ)は代々、生涯、蛸を食べない。また、佐賀関の港町には、黒砂(いさご)通り、真砂(まさご)通りとして、姉妹の名が残っている。
二人の霊を弔った高千穂一行は、次の目的を目指した。椎根津彦(しいねつひこ)が船首に立ち、潮流を見ながら針路を指示していく。
船路は順調に進み、一行は菟狭(うさ)の地に辿り着いた。現在の大分県、宇佐市(うさし)である。狭野たちは、この地で思いがけないことに遭遇した。地元の者たちより歓迎を受けたのである。
岸辺に並んだ地元の民の群れを眺めながら、狭野は一人ごちだ。
「これは一体、如何(いか)なることか・・・。わしらが来ること、知っておったということか?」
呟く狭野に対し、家臣の天種子(あまのたね)が返す。
「この地は、我が国との商(あきな)いが盛んなところにござりますれば、高千穂の商人(あきんど)を通じて知ったのかもしれませんな。」
高千穂一行は、岬に碇(いかり)を下ろすと、地元の民が集う岸辺に向かった。老若男女入り乱れ、地にひれ伏す。狭野が顔を上げるように宣(のたま)うと、人込みの中から、精悍な男が進み出てきた。
男は再び額(ぬか)づくと、名を名乗り始めた。
「我(われ)は、この地を治める菟狭津彦(うさつひこ)にござりまする。高千穂の天孫一行が来訪されると聞き及び、邑(むら)の者、総出でお迎えに上がりもうした。」
「菟狭津彦殿と申すか・・・。汝(いまし)の想い、我は心より嬉しく思う。」
「ははっ。ありがたき幸せにござりまする。」
型通りの挨拶を交わす狭野と菟狭津彦。このとき、天種子は、二人のやり取りなど、そっちのけで、後ろに伏している、見目麗(みめうるわ)しい女が気になっていた。
目鼻立ちが整った、白い肌の女である。首まわりの装飾品からして、ただの民とは思えない。天種子は一目ぼれした。出来ることなら、あの女を妻に迎えたい。そう思った。
天種子の想いなど知る由もなく、狭野が続ける。
「聞き及んでおる通り、我らは中(なか)つ国(くに)を目指し、東方に向かっておる。それがため、願わくば、水と食べ物を頂戴したい。汝(いまし)らには、貝輪を以(もっ)て、これに応えようぞ。」
「畏れ多いことにござりまする。されど・・・。」
そう言いながら、菟狭津彦は改めて頭を低くした。
「我ら、貝輪を求むるものにあらず。ただただ、天孫御一行のつつがなき船路を希(こいねが)うもの。御一行がため、大御饗(おおみあえ)の支度(したく)も整うておりまする。」
大御饗と聞き、高千穂一行から歓喜のどよめきが上がった。厳しい船旅の中、酒を飲むこともままならぬ状況が続いていただけに、菟狭津彦の言葉は、天の救いにも似た声であった。
したり顔の菟狭津彦。更に、こう申し述べた。
「大御饗がため、宮(みや)も建てもうした。今日は、旅の疲れを落とし、ごゆっくりお寛(くつろ)ぎくださりませ。」
「宮を建てたと申すか?」
「ははっ。足一騰宮(あしひとつあがり・のみや)と申しまする。」
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