第十三話 悲劇のあと
狭野尊(さの・のみこと)は驚愕の想いで、剣を手にした。あの伊弉諾尊(いざなぎ・のみこと)が佩(は)いていた剣と言われても、俄(にわか)には信じられない。しかし、二人の海女(あま)が言うことに偽りがあるとも思えない。
「それで・・・。人の如き蛸が、これを今日まで守護しておられたのか?」
狭野の問いに、姉の黒砂(いさご)が答える。
「はい。畏(おそ)れ多いことだと申し、この剣を返す日を待ちわびておられました。」
剣は、長い間、海中にあったにも関わらず、錆一つついていない。それでいて、煌(きら)びやかな装飾の類(たぐい)もなく、質素極まりない。最初は信じられなかった狭野も、見続けていると、伊弉諾尊の剣という報告が、紛れもない事実だと思えてきた。
狭野は、二人の海女に視線を戻した。
「汝(いまし)らのおかげで、我が皇祖(こうそ)の忘れ形見を手にすることができた。礼を申すぞ。」
首を垂れる狭野に、黒砂は慌てた様子で、これを制した。
「お・・・お止めくださりませっ。わたくし共は、当然のことをしたまで・・・。そのような勿体なき、お言葉・・・。我が君の一助となれしこと、生涯の誉れにござ・・・。」
そこまで言って、黒砂はうつ伏せに倒れ込んでしまった。受け身も取らず、頭を船底に叩きつけるほどの勢いであった。
「い・・・如何(いかが)致した?!」
狼狽(うろた)える狭野と家臣たち。興世姫(おきよひめ)が、黒砂の体を抱き上げ、何度も声をかける。しかし、全く反応がない。椎根津彦(しいねつひこ)は、ただ目を閉じ、吹き荒れる空に顔を上げるのみ。どこか達観したような風情である。狭野は、それが気になり、椎根津彦に尋ねた。
「椎根津彦よ。汝(いまし)には、何か思い当たる節(ふし)があると見ゆる。黒砂はどうなったのじゃ?」
「もはや、命(いのち)果てておりまする。長く・・・潜り過ぎたのでしょう。」
「長く・・・じゃと?」
粟(あわ)を生じさせながら、狭野が呟く。
主君の命とはいえ、このような最期を迎えるなど、誰が予測出来たであろうか。先ほどまでの喜びは一瞬にして消え去り、狭野は自責の念に襲われた。
そのとき、横たわる黒砂の傍らで、妹の真砂(まさご)も体を震わせ始めた。もはや目は虚(うつ)ろなものとなっている。
豹変した真砂を見て、狭野が苦悶にも似た声を上げる。
「真砂っ! よもや、そちもっ!」
「我が君・・・。お会い出来て光栄に・・・。神の御加護のあらんことを・・・。」
微笑むように語ると、真砂もまた、姉のあとを追うように息を引き取った。安らかな表情であったことだけが救いであった。
狭野は泣いた。家臣が不慮の死を遂げたのは、これが初めてであった。初めてであったがゆえに、狭野は涙を禁じ得なかった。自身の言葉が、人の命を左右する。主君である以上、それは避けて通れぬことであるが、今日の今まで、覚悟など持っていなかった。
口にはしても、どこか遠い存在のように受け止めていた感がある。旅に出た折も、ぼんやりとしたものに過ぎなかったのだと、狭野は、自覚せざるを得なかった。
打ちひしがれる狭野。その肩を強く叩く者がいた。長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)である。
「狭野よ。これからも様々な苦難が待ち受けていよう。その都度(つど)、汝(いまし)は涙を流すつもりか・・・。腹を括(くく)れっ。狭野っ。主(あるじ)が、そのようであれば、家来は心穏やかに務めを成せぬ。」
「さ・・・さりながら、我(われ)の一念で・・・。我の一念がゆえに、長く生きるはずの者が、常世(とこよ)に向かうのですぞっ。このような恐ろしきこと・・・。」
「戦(いくさ)となれば、二人の海女では済まぬのじゃぞ。もそっと心を強く持てっ。狼狽えては、勝てるものにも勝てぬ。汝(いまし)の心一つで、我らは生きるのじゃ。しっかりせいっ!」
兄の助言が分からない狭野ではない。言いたいことは、よく分かる。しかし、現実を目の当たりにした時、狭野は、自分の持つ権力が内包する凶暴性に、震えることしか出来ないでいた。
悶える狭野の傍らで、椎根津彦が独り言のように語り始めた。
「我が君、黒砂と真砂の忠義を讃(たた)えてくださりませ。二人は命を懸け、大神の剣を届けたのでござる。どうか、その想い・・・。お忘れくださいますな。」
そこまで言うと、椎根津彦は崩れ落ち、豪風にも負けぬ泣き声を上げ始めた。
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