第七話 木箱の中身


 狭野尊(さの・のみこと)たちは出航したあと、妻の吾平津媛(あひらつひめ)と娘の岐須美美(きすみみ)からの贈り物を開いてみることにした。


 従者が木箱を開けようとした、そのときである。箱が勝手に開いたではないか。蓋が持ち上がり、中から一人の女人が現れた。興世姫(おきよひめ)である。


 一同が驚愕する中、狭野が雄叫(おたけ)びにも似たような声を発した。


「興世ではないかっ! なにゆえ、汝(いまし)がここにおるのじゃっ!」


 激しく動揺する狭野に対し、興世は至って平静な面持ちで答えた。


「お許しくださりませ。これも、殿を想わんがため・・・。」


 一体、どういうことなのか、狭野は全く理解出来ずにいた。


「連れては行けぬと申したではないかっ。」


「ついて行くと申しても、決してお許しくださるまいと考え、このような策を弄(ろう)しました。ここまで来たなら、もはや引き返すことも出来ますまい。どうか、このままお連れくださいませ。」


 妻と娘の贈り物の中に、側室が入っているなど、誰が予測出来ようか。狭野は、驚きを禁じ得ず、頭の整理が追い付いていない状況であった。


「汝(いまし)と吾平津は、さほど仲も良くなかったではないかっ。このようなことをしでかすとは・・・。吾平津からも、連れてはいけぬと言伝てがあったであろう?」


「はい。ございました。それを、わたくしは断りました。」


「断ったじゃと! それを吾平津は受け入れたと申すかっ!」


 怒号にも似た狭野の問いかけに、興世は、苦渋に満ちた表情をみせた。


「お妃様も、お許しにはなりませんでした・・・。」


「では、なにゆえ、このようなことになった? 吾平津も一枚噛んでおるではないかっ?」


「お妃様とわたくしを取り持ったのは、姫宮様にござりまする。」


 興世の口から発せられた娘の名前に、狭野は再び驚いた。まさか、娘が正室と側室を結び付けるとは、思いもよらなかったからである。狭野の中に、ある疑惑が生じてきた。


「では、このような策を考えたは、姫宮ということか?」


「はい。姫宮様は、思い悩んでおられました。自分が足手まといとなっているため、お妃様が同行すること能(あた)わぬのだと・・・。また、殿の世話をする人がいないのは、如何(いかが)であろうかと・・・。」


 思い悩んでいたという事実を知り、狭野は、娘がいつの間にか、大人になっていたのだと痛感させられた。狭野は、嬉しくもあり、悲しくもあり、ただ絶句するほかない。


 興世が説明を続ける。


「幸い、わたくしには子がおりませぬ。どこで死のうと、悲しむは殿おひとり。それゆえ、わたくしは、お妃様の名代(みょうだい)として、将又(はたまた)、姫宮様の名代として、船に乗り込んだのでございます。」


 女三人で、なんと愚かなことを・・・。狭野は、激しい後悔の渦に巻き込まれていた。あのとき、木箱が届けられた時、中をしっかり確認すれば良かったと・・・。


 悔やんでも仕方がない。妻や娘の想いを受け入れるべきか・・・。しかし、興世を危険に曝(さら)すことになる。だが、船は既に出航してしまっている。


 様々なことを考える中で、狭野は一つの疑問点に差しかかった。木箱が届いたのは、昨日の昼。出航を早めたのは、昨日の晩。辻褄(つじつま)が合わないのである。


「興世よ。今日の出航については、汝(いまし)も、吾平津らも知らなかったはず・・・。なにゆえ、昨日の昼に木箱を備えられたのじゃ?」


 狭野の投げかけた質問に、興世は、恥ずかしそうに答えた。


「昼間の木箱には、石が入っているだけにございました。出立の日に、代わって木箱に入ることにしておりましたが、殿が俄(にわ)かに今日出立なされると仰せられましたので、慌てて箱に入った次第・・・。」


 ここで、長兄(ちょうけい)の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)が口を挟んできた。


「狭野よ。如何致す? 興世殿を、高千穂に戻すか?」


 彦五瀬の言葉を聞いた興世は、必死の形相で拒否した。


「彦五瀬様、後生にございますっ。どうか、このまま、わたくしも御同行させてくださりませっ。よもや戦となりて、足手まといとなるようなれば、潔く身を引きまする。それまでは、どうか、殿のお側に置かせてくださりませっ。」


 泣き崩れる興世。その姿を見て、狭野も、他の男たちも何も言えずにいた。船内を包み込む沈黙が、興世の存在を容認しているかのようであった。


 波の音(ね)と、カモメの喚声(かんせい)だけが、そこにあった。

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