第五話 出航前夜
紀元前667年7月末。吾平津媛(あひらつひめ)、岐須美美(きすみみ)と約束を交わした狭野尊(さの・のみこと)は、木箱が船に積み上げられたのを確認したのち、風読みの者が待つ館へと向かった。
風読みの者とは、航海において必要な風の向きや潮の流れを読む者たちのことである。彼らから聞いた話によると、8月2日が絶好の機会だと言う。そこで、狭野は、その日を出立の日と定めていた。
ところが、今日になって、改めて報告したいことがあると言うのである。報せを受けた狭野は、港の視察を切り上げ、約束の木箱が積み込まれたのを確認して、館に戻ったというわけである。
館に到着した時は、夕日も沈み、夜の帳(とばり)が降りようしている頃合いであった。館には、狭野の兄たちが既に集結していた。一番上の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)。二番目の兄、稲飯命(いなひ・のみこと)。三番目の兄、三毛入野命(みけいりの・のみこと)である。三人の兄に見つめられるように、中央には、風読みの者が待機している。
狭野が着座するなり、彦五瀬(ひこいつせ)の怒号が轟(とどろ)いた。
「今まで、何をしておったか! 汝(いまし)は、この国の主(あるじ)ぞ! 行き先も申さず、外に出るとは気が緩んでおる証しじゃ! もそっと気を引き締めよ!」
これには平伏するほかない。行き先も伝えず、ぶらりと視察に赴いたのは事実である。まさかこんな事態になろうとは、夢にも思っていなかった。
「長兄(ちょうけい)の申されること、御尤も・・・。真に申し訳ござりませぬ。」
狭野は、彦五瀬のことを長兄と呼んでいる。他の兄たちもそうである。ちなみに、二番目の兄である稲飯(いなひ)は次兄(じけい)、三番目の三毛入野(みけいりの)は三兄(さんけい)と呼んでいる。
彦五瀬の小言は続く。
「父上が身罷(みまか)られてのち、これまで、わしが父親代わりとなりて、汝(いまし)を育てて参ったが、行き先も伝えず出て行くを是(ぜ)と申したことがあるか?」
「ご・・・ござりませぬ・・・。」
「浅はかとは、汝(いまし)のためにある言葉ぞ。此度の旅路では、様々な苦難が待ち受けていよう。そのとき、皆が頼りとするは、汝(いまし)ぞ。そのこと忘れてはならぬ。」
「御尤も・・・。」
狭野は一番上の兄に頭が上がらない。父親代わりとして育ててもらったという恩義もある。時折、兄が家を継げば良かったのではないかと思う。しかし、当時のしきたりでは、そのような決定が成されることは稀有(けう)であった。
この時代、末っ子の相続が一般的であったからである。だからといって年長者の兄や姉を軽んじて良いというわけではなかった。単に、最も若い者が引き継げば、家を守る期間もそれだけ長くなり、理に適(かな)っているというだけの話であった。
当時の平均寿命を考える時、四十まで生きれば長生きと見なされる時代である。更に、婚姻を結ぶのは、今よりも早く、十四、五歳である。十五の時に生まれた息子は、父親が四十で死んだとしても、既に二十五歳。十数年後には、また家督相続となってしまう。これでは理に適っていない。そこで、古代の日本では末っ子の相続がおこなわれていたのである。
だが、継承権を得たからといって、ふんぞり返っていることはできない。年長者の経験値と知恵は尊重されねばならないのである。主君といっても、あくまで、管理責任者に任命されただけと見た方が適切であろう。
話を戻そう。
彦五瀬の訓戒が終わったのを推し量(はか)ったかのように、風読みの者は空咳を一つしたのち、報告を始めた。
「殿、並びに御舎兄(ごしゃけい)方にお伝え申し上げまする。本日、風の流れを見ておりましたところ、潮も風も、良き流れとなって参りもうした。この機を逃すべきではないと考え、お報せに上がった次第。御再考をば、御願い申し上げ奉りまする。」
報せを聞き、狭野は唸りつつ尋ねた。
「では、船出を早めよということか?」
「御意。」
ここで次兄の稲飯(いなひ)が反対の声を上げた。
「早めよと申しても、明日は8月1日ぞ。昨日の今日で、船出とは、ちと急かし過ぎではないか?」
次兄稲飯は、元々、8月2日の出立にも反対していた。台風の季節であるというのが、その理由であった。しかし、狭野は、どうしても早く出立したいと考えていた。侃々諤々(かんかんがくがく)の議論の末、次兄の意見を押し切って、8月2日に定めた経緯がある。
兄の知恵を尊重すべきところではあるが、こればかりは譲れなかった。八洲(やしま)の国を豊かにしたいという狭野の志は、居ても立ってもいられないほど、熱く燃えたぎっていたのである。
「次兄(じけい)の申されることも道理とは存じまするが、我(われ)は、報せに従いて、明日の朝、船出することに致しまする。」
狭野の唐突な宣言に、驚きの顔を隠さない稲飯。そこに三兄三毛入野(みけいりの)の苦言が飛んだ。
「次兄(じけい)の申されることが道理であるなら、汝(いまし)の申していることは、道理に適わぬことぞ。それを承知で、明日の朝と申すか?」
「はっ。適っておらぬと分かって申しておりまする。」
ここで彦五瀬が、呆れた口調で意見を述べてきた。
「狭野よ。明日の朝、船出するとしても、我ら四兄弟だけで定めて良いことではない。急ぎ、家臣らも呼び寄せ、ことの次第を伝えねばならぬ。時はあまりないのじゃぞ。」
時間がないのは、狭野も大いに理解している。だが、狭野の想いを慮(おもんばか)り、風読みの者が報せてきたのである。彼らの心情を想う時、このまま聞き流すという考えは有り得なかった。
狭野は鼻孔を膨らませ、己の信念のままに語った。
「時来たらば、八洲をまとめよとは、御初代様の御遺言にござりまする。そのときが参った今、何を戸惑うておられましょうや。」
そう言うなり、傍に控えていた従者に命じた。
「これより急ぎ、家臣らを呼び集めよっ。」
この国の管理責任者である主君の決定である。こうなっては、三人の兄も従わざるを得ない。すぐさま、天種子(あまのたね)、日臣(ひのおみ)、大久米(おおくめ)、剣根(つぎね)らが呼び出された。
明日の朝に船出すると聞き、驚愕の色を見せなかった者は一人もいなかった。
ちなみに、余談であるが、日本書紀(にほんしょき)においては、出航の日が10月5日となっている。8月1日というのは、美々津の伝承に基づいたものである。
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