4-3
縁起というものを大事にしろ、とアオジに何度か言われたことがある。
神も仏も信じていなかった彼が、縁起の良し悪しだけは気にしていた。仕事に出る際に手袋は必ず左手から着けるとか、靴紐は切れないよう常に状態を確認しておくとか、そういう程度のことだが、その習慣は弟子の俺にも伝わっている。
習慣に則していえば、今日は縁起が悪かった。いつもより三十分寝坊をし、いつも使っているマグカップの把手が取れた。おまけに空は曇っていた。
これらを凶兆と捉えて仕事を休む、というわけにはいかない。〈嫌な予感〉に左右されて生きていけるほど、ここでの暮らしは甘くない。できることといえばせいぜい、注意力を上げるぐらいだ。
対策のとりようなどなかった。あったとすればもっと前の時点であり、その機会はとうに失われていた――そう思うことで、俺は目の前の光景に対する気持ちの整理を付けようとした。
橙色の電灯の下には、村のクーリーたちがすし詰めになっている。アオジの通夜以来の光景だが、今日は酒もなければ料理もない。誰も笑わず、それどころか口を結んでいる。部屋の中心にある座卓には、項垂れるツバメの背中が見える。
服の裾を、掴まれる。
カナリアだ。彼女は俺の後ろに身を隠す。
「よう、ハチ。悪いな、急に押しかけて」ツバメの向かいに座る、組合長が言う。「ちょっとお前に聞きたいことがあって来たんだ。いいか?」
俺は頷く。カナリアを伴って、居間へ入る。
どんな話が始まるのかは、見てきたようにわかっている。案の定、その通りの流れになる。
俺はカナリアの出自を問われ、正直に答える。
彼女がアオジの知り合いの娘である話が嘘であることを白状する。
「――正直、荷物をちょろまかすなんてことは誰だって一度はやってることだ」組合長が煙草の煙を吐きながら言う。「だが、相手が悪い。よりによって〈かれら〉の荷物に手を付けるなんて」
俺は喋ろうとして、やめる。弁明すべきことなどない。全ては言われた通りであり、事態を回避できなかったのは俺の気持ちの問題だ。あの時、カナリアをコンテナに戻せなかったのは俺の〈弱さ〉だ。
「ハチは悪くない」隣に座るカナリアが言う。「全部、わたしが勝手にやったこと。わたしのせい」
組合長の目が、カナリアの方を向く。
「そんなことない、とは言えねえな」彼は言う。「あんたのお陰で、俺たちは今、大変な危機に晒されている。生き死にに関わる危機にな」
それから組合長は俺を見る。
「〈かれら〉はその娘を捜し回ってる。かなり真剣にだ。何か特別な事情があるのか知らねえが、何にせよ、ここにいると気付かれるのは具合が悪い。そうだろ?」
頷こうとしたが、上手く首が動かない。組合長は構わず続ける。
「村の連中は口止めしてある。皆、村を焼かれたりしたら堪らねえからな。だが、余所の人間にはいつ見つからねえともわからねえ。〈かれら〉の出した賞金欲しさに捜し回ってる奴もいるって話だ」
段々と話の流れ着く先が見えてくる。俺が予想していた場所と寸分の誤差もない。
「ハチよ」組合長がこちらを見据える。「アオジの顔に免じて、お前のことは目を瞑ってやる。だからその娘をどこかへやれ」
電灯の灯りが光度を増した気がする。もちろん気のせいだ。俺は膝に置いた拳を握り込み、組合長を見返す。
「村から出てって、こいつはどうなるんだ?」
「それはその娘次第だ」
「一人で生きていけって言うのか? この荒野で?」
「元々そのつもりだったんだろう?」
「〈かれら〉に見つかるかもしれない。それでなくたって、危ない奴がそこら中にいるんだ」
「その娘は〈荷物〉で、俺らはそれを届ける配達人なんだぜ? お前はその荷物をかっぱらった挙げ句、仲間や家族をとんでもねえ危険に晒してんだ。それがわからねえって言うんじゃねえよな?」
俺はツバメを見る。彼女は先ほどから、ずっと顔を伏せている。
「なあ、ハチ」組合長は灰皿に吸いさしを押し付ける。「アオジはお前に、そんなことを教えたのか?」
アオジの顔が、声が、頭の中に蘇る。
アオジは、俺に――
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