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少女はアオジの古い知り合いの娘で、親が遠方へ配達に行っている間に預かっている、ということになった。名はカナリア――本人に本当の名前を聞いても言いたがらなかったので、ツバメがアオジの鳥類図鑑の中から付けた名だ。
家で大人しくしているよう言ったが、カナリアは俺の仕事に付いてきた。何度言っても言うことをきかず、こちらが根負けしてなし崩し的に同道させることになった。華奢な少女が一人増えたぐらいでは、コクピットが狭くなることもユニットの重量が増えることもなかった。同時に、仕事には何の役にも立たなかったが。
彼女は、目に映るもの全てに興味を示す。空を飛ぶ鳥はもちろん、流れる雲や都市の廃墟、人々の暮らす村や砂嵐など、俺たちにとっては何でもない(時として迷惑でさえある)ものを、宝石でも見るような眼で見つめている。
「まるで初めて地球に来たみたいだな」あまりに何もかもに対し感動的な眼差しを向けているので、俺は茶化す気持ちを込めて言ったことがある。この時は、岩の隙間から生えた雑草を愛おしげに眺めていた。「シェルターには何の情報もないのか?」
「情報ならある。けど、情報しかない。質量のない、知識だけが増えるもの」
「それにお前は満足しなかったわけか」
カナリアは頷く。
「情報の元になるものが、この世にあると自分の眼で確かめたかった」
「シェルターにもそんなこと考える奴がいるんだな」咥えた煙草に火を点けながら、俺は言う。
「本当は皆、思ってる。けど、言わないようにしている」
「何で?」
「それは望まれないことだから」彼女は言う。「あそこでは、外の世界に興味を持つのは悪いこと。外は、ヒトの犯した過ちで満ちているから」
「ひどい言われようだな。まあ、その通りかもしれないが」
「過去は振り返っても仕方がない。今を有意義に生きて、未来に繋がる種を遺して死んでいく。それが理想の生き方であり、求められる姿」
「未来に繋がる種って?」煙を吐きながら、俺は問う。「子供のことか?」
するとカナリアは首を振り、
「文化的価値のあるもの。詩、絵画、音楽、舞踊、演劇など。〈ジーン〉ではなく〈ミーム〉。〈ジーン〉はバンクに保管されているものが他のシェルターと勝手に交配されるから、自分で残す必要はない。〈ミーム〉は自分にしか残せない」
〈ジーン〉や〈ミーム〉が何を指すのかいまいち不明瞭だが、彼女の言う〈交配〉を手伝っているのが俺たちクーリーなのだということはわかる。花の受粉を手伝うミツバチのようなものだろう。
「文化的価値のあるもの、ねえ」俺は短くなった吸い殻を投げ捨てながら言う。「そんなものばかり残してどうするんだ? 絵や歌じゃ腹は膨れないだろ」
「ハチは、歌をうたわない」
「歌わないな。歌う意味がない」俺だけが特別なのではない。外の世界に生きる者で、音楽や絵画なんかを有り難がる奴は滅多にいない。ここでは食事に繋がるもの以外、価値などないに等しい。
「心が痩せ細る」と、カナリアが言う。
「腹さえ減ってなきゃ生きていける」
すると彼女はこちらを振り向く。
碧色の眼が、見つめてくる。俺はもう一本、煙草を抜き出して咥える。
「それ」彼女が指さしてくる。
「どれ?」
「ハチが持っているもの」
「煙草か?」
カナリアは頷く。
「それで腹は膨れる」疑問符を抜いたような喋り方だが、これは問いだ。「煙を吸っているだけに見える」
「空腹を忘れることはできる」俺は答える。「まあ、腹は膨れないな。身体にも悪い」
「なぜ吸う」
はっきりとした答えはない。〈何で〉なんて理由は考えたことすらない。気付いたら吸っていた。そういうものだと思い込んでいた。
「同じか、これと」俺は煙草に火を点ける。上を向き、煙を吐き出す。
白い煙が青い空に溶けていく。風の渡る音に耳を澄ませながら、ぼんやりとそれを眺める。
コクピットには、ユニットの駆動音だけが響いている。
肩越しに後ろをうかがうと、カナリアは休憩中に拾った石を眺めている。宝石などではない、ただの石ころだが、彼女にとっては価値のあるもののようだ。
俺は大きくあくびをする。
「眠い」言ったのはカナリアだ。
「眠い」俺は答える。
不意に横から白い腕が伸びてくる。カナリアがシートの陰から身を乗り出している。
「何だよ」
彼女の髪が顔に掛かりそうなほど近くにある。花のようなにおいが漂ってくる。嗅いではいけないような、だがいつまでも嗅いでいたいようなにおい。
真っ白な指が無線のスイッチを入れる。彼女は慣れた手つきで周波数を操作する。
砂嵐が晴れていくように、雑音が次第に〈音〉としての輪郭を帯びてくる。やがてそれは、音楽と呼べるものに変わる。
楽器の演奏だ。流しの芸人が弾いていたバイオリンとかいうものと似た音だが、弾き方が違う。こちらの方はずっと伸びやかで、落ち着いている。なんとなく、カナリアから漂ってきた花のにおいと結びついている気がする。
演奏に、歌が絡みついてくる。こちらは無線機のスピーカーからではなく、後ろから聞こえる。カナリアの声。
言葉を音色に乗せているようだが、知らない言葉だ。だが、不思議と耳を澄ませてしまう。
胸の、奥の方をくすぐられる感覚がある。
今まで味わったことのない、だがどこか懐かしさを覚える感覚。
ここではないどこかから聞こえるような音色。
ここではないどこかから呼ぶような声。
知っているようで、知らないような。
知らないようで、知っているような。
俺の、ずっと奥底にある記憶に響いてくる。
「ハチ」
カナリアの呼ぶ声で、我に返る。
バイオリンの音は止んでいる。
「泣いてる」
そう言われ、俺は泪が頬を伝っているのを知る。慌てて軍手の甲で拭い、誤魔化したくて笑いながら言う。
「何でだろうな」
理由はわからない。カナリアも、何も答えない。
降りしきる雨がトタンを叩くような音がして、別の演奏が始まる。コクピットは再び音楽で満たされる。
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