誰にも読まれないはずの手記 私と僕の章
「この手記を君が見ているということは、私はもうこの世にいないだろう」そういう書き出しをすることを妄想している。だがこの手記が誰がが見ることはない。この世界の歴史に存在することはない。そうきまっている。これは私が気まぐれにメモに書きだし、そして我に返って燃やしてしまったチラシの断片かもしれない。または、頭の中に思い浮かべた文字の羅列かもしれない。そのどれであっても問題はない。問題なく意味がない。仮に誰かがこの文字列を見ることになったとしても、私の死を止めることはできない。すべては決まっていて、すべては覆せない。
「私にはこの世というものは生きづらく、自分は三十歳までに死ぬと思っていた」物語においてこの言葉を発するということは覆す前提の言い回しにも思えるし、実際の文字通りの意味にも思える。私は後者だった。それを確信に出来たのはトラルファマ教に入信してからだ。何事にも自堕落で不器用な私にとって、その教えは救いだった。人は本気で生きようとしなければ生きていけない。40歳まで、60歳まで、80歳まで、100歳まで。私には無理だ。なら30歳までなら? あとほんの少しでいい。ほんの少し本気で生きるだけでいい。それならば可能だった。可能と教えてくれた。あまつさえ、救世主を導く役目さえあると。
私はそれを選べたんだ。君は以前トラルファマ教は運命の奴隷になることと言った。それに対しては同じように返そう。不変の予知とは選択の果てにたどり着く世界だ。私が選んだ道こそが、この世界だ。
私は知っている。君と私は少しの時間しか教師と生徒の関係にはなかった。しかし、目の前で私の死を目撃したことにより、君の中で私の存在が大きくなる。そして、君が本気でタイムトラベラーを志すきっかけになることを。
私は知っている。君が助けたいと言っていた人物は私のことだ。君は幼いころ尊敬する人物を死なせると、トラルファマ教のタイムトラベラーにより教えられている。それに対して思春期の多感な衝動により、運命を変えるタイムトラベラーになりたいと思ったのだろう。
私は知っている。君は数十年後、生きている私に何度も会いに来る。ある時は生きている姿を見るために。ある時は死を止めるために。ある時は改宗をせがむために。私はかつて、信心深くない人に信仰の大切さ伝えるには、墓の話をすればいいと君に言った。それと合わせて、大人になった君と会うたびに私は思う。君の訪問はある種の墓参りに似ていると。死んだ恩師のに言葉を伝えるために、その地を訪れる。そしてそれによって死者は変えられないない。変えるのは生きている人の思いだ。私は君にとっての墓標になったんだ。
私は何もなせない人生を送ると思っていた。周りに迷惑をかけながら、疎まれ誰にも愛されずにひっそりとみじめに死んでいく。そんな私が英雄の心に建つ墓標になれた。これ以上の人生はない。
それを知ったら幻滅し、失望するのだろうか。気味悪がり、憎悪すら向けるかもしれない。ただ、それでも、君がこの事実を知ることはない。私の本心は、誰も知らない。
これが私の信仰だ。
ただやはり問題はある。運命は変えられないというのは主観的な事実だ。だから改宗した君にとっては変えられるということになる。このお互いの信仰が矛盾なく存在するにはどうすればいいか。
――否。違う。矛盾は世界に存在しうるのだ。
タイムラインや平行世界という言葉を使えば、説明は単純になるが、あいにくだがトラルファマ教なのでそのどちらも信じていない。ただそれでも矛盾した物事が同時に存在しうるというのは可能だと私は考える。
誰にも持ち上げられない岩を神は作ることができるか、という問いに量子力学的には可能と答えるのは、この世に溢れかえっている詭弁の一つではあるが、考え方について人類が一歩進んだことを意味する。その詭弁を一番容易に論破するための回答は『量子力学的回答をせずに、神は誰にも持ち上げられない岩を作れるかを考えよ』というものだ。それに対しても回答はあるかもしれないが、また回答から不可能問題を作り出すこともできるはずだ。そんな可能と不可能の鼬ごっこと果てに鎮座する理論こそが神なのかもしれない。
何が言いたいのかというと、君の信仰と私の信仰が矛盾なく存在する理論もあるかもしれないということだ。
それが私は恐ろしい。
◆ ◆ ◆
タイムマシンによって先生の部屋に侵入する。そしてゴミ箱の底から灰を集めだした。僕は灰に二百年後から拝借してきた機械をかざす。すると時間が早戻るように、灰が炎を発し、互いにくっつき始めた。そして黒い灰は白い紙に変わり、文字が書かれているものがわかるものとなった。どうやら先生の残した手記のようだ。
僕はそれを読む。そして読み終わると握りつぶした。
確かに気に入らない。怒りがわいてくる。それでも僕はタイムマシンに乗り込んだ。あなたは僕の僕の心の中の墓標にはならない。そんなことはさせない。ここまで僕にさせるのなら、生きさせて一生あなたに付きまとう、そう決めた。
そうが僕の信仰だから。
時に祈る 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa
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