1人の青年が、別の男に襲われていた。

 剛覇はすぐに『折断糸』を張り巡らせ、襲い掛かろうとしていた男を背後から拘束する。

 場所は山。『折断糸』が最も有効な密閉空間の1つ。

 剛覇の拘束で男の動きはいったん止まるが、それも長くは持ちそうになかった。


 ――な、なんちゅう力じゃ、こいつ!?

 この状態で……木を数十本単位で引きずっておるのと変わらんというのに……。


 被害者の青年を早く逃がそうと、剛覇は叫んだ。


「何をしておる! さっさと逃げろ!!」

「あ……あの、あなたのお名前は?」

「質実 剛覇じゃ! いいから、早くここから離れるんじゃ! 長くは持たん!!」


 さすがに、剛覇も名前を言いしぶっている場面ではない。


「質実様。私は宇余曲うよきょく 摧玉さいぎょくといいます。実は私、ずっと昔に分かれた恋人と再会するために北側に行こうとしていまして……」

「愚か者! しゃべっとる暇があるならとっとと走れ!! 目の前の男がどれだけ危険か分からんのか!?」

「あ、はい! ですが、この御恩はいつか必ず返しますから!!」


 ようやく、摧玉という青年は去って行った。


 ――馬鹿な奴じゃったな、本当に。

 宇余曲 摧玉か……忘れられん名前になるかもしれん。


 剛覇と男は2人きりになる。


「一応聞くが、お主どうしてあの男を襲ったのじゃ? 殺す気じゃったじゃろ?」


 男は、拘束されているので当然だが、背を向けたまま答える。


「どうしてか? おれもそれが知りたいよ。どうしておれは人を殺すのか、どうしておれは化け物として生まれたのか」


 男は剛覇にというより、1人呟くように言う。


「おい、お主……」

「ところで君、これでおれを縛っているつもりかい? 若いなあ」


 そう言うと、男はいともあっさり剛覇の拘束を引き千切り、振り返ってにやりと笑う。


「なっ!?」

「自己紹介が遅れたね。おれは悪鬼 羅殺。もっともこちらの国ではこの名前の方が通りがいいかな? 『南の魔物』だ」

「『南の魔物』? お主自身が『南の魔物』じゃと?」

「ああ、そうだ。『百村殺し』という名もある。これはあちらの国だけの呼び名だけどね」

「馬鹿馬鹿しい。お主が『南の魔物』というのなら、何でここにおるのじゃ? ここは因果応峰じゃなくて封凛華山じゃぞ。山違いじゃ」

「少し色々あってね。万象とかいう奴に、わけの分からん球を体に入れられて、それが何なのか調べたくて、こちらの国に入ったんだよ」

「万象? わけの分からん球? もしかして、龍炎が言っておった神羅 万象か? その男、まさか生きておるのか?」

「龍炎? ああ、その名前万象も言っていたな。じゃあ知り合いってことか。だったら話は早い。万象は生きてるよ、おれの知る限りはね。それで、君は知らないかな? その球について」


 羅殺という男が出鱈目でたらめを言っているようには、剛覇は思えなかった。

 目の前の男こそ『南の魔物』。戦って敵うはずもない。

 剛覇は仕方なく、正直に球の話を羅刹に教えるが、その間にも逃げる隙はまったくない。


「なるほど。それが分かったなら、もうこちらの国に用はない。因果応峰に帰ろうかな?」


 羅殺が引き返そうとするのを見て、剛覇は生き返るほどに安心した――が。

 やがてピタッと足を止める。


「さっきからやたらびくついてるね。そんなに怖がられると、こっちも殺したくなってくるんだよ」


 生き返ったのが、再び死んだように戦慄せんりつする。

 思わず1歩下がる剛覇。すると、なんだか踏み心地の悪いものを踏み、ついそれへと目をやる。

 それは、ボロボロに腐敗ふはいしていた布だった。

 見ていて吐き気を催すほどだったが、それは剛覇に見覚えのあるものだった。


 ――ここじゃったのか……。


「だったら、どうあっても死ぬわけにはいかんな。この場所でだけは!」

「へえ。戦う覚悟ができたってことかな?」

「戦う覚悟ではなく、生きる覚悟じゃ。生き延びる覚悟じゃ。お主が殺すものなら、儂は生かすものじゃからな」

「そうかい。だったらせいぜい、自分を生かしてみるんだね」

「何度でも言うわ。儂はここでは死ねん! 姫としても、同族としても、剛剣の母としても、何より12代目の女として!!」


 剛覇の『折断糸』が羅殺へと伸びて行った――が、それはやはり簡単に引き千切られる。


「くっ! まだまだ……」

「ちょっと待った。君、その同族……球が体に入っている人間なのか? じゃあ殺せないな。おれは万象に騙されてやっているんだから。おれは同族を殺せないんだよなあ。まあいいか、少し興醒めだけど」


 羅殺はそのまま、今度こそ帰ろうとする。

 剛覇は反射的にそれを引き留めた。


「ちょっ、おい、お主!!」

「何だい? 殺してほしいのか? 殺してもらいたがっている奴を、おれは殺さないよ」

「いや、違……」

「もっともおれが殺すもので君が生かすものなら、いつか必ず戦うことになるだろうけどね」


 それが、羅殺の最後の言葉だった。

 興醒めというなら、剛覇の方がよっぽど興醒めだった。

 それでも、殺されたいわけはないし、人を1人救って、自分自身も生き延びたのだから、それでいいだろう。


 落ちていた腐敗した布。

 それはあのとき、剛覇が12代目の額に乗せた手拭いだった。

 今度こそ、ずっと言いたかった言葉を、初めて会ったこの場所で、剛覇は言った。


「12代目……儂は……わたしは、あなたにとって、いい女だったかな?」


 返ってくるのは、降りしきる雨音だけだった……。

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神々の邂逅 ~第一部 15年前の忘れられない論争~ @susumu

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