肆
1人の青年が、別の男に襲われていた。
剛覇はすぐに『折断糸』を張り巡らせ、襲い掛かろうとしていた男を背後から拘束する。
場所は山。『折断糸』が最も有効な密閉空間の1つ。
剛覇の拘束で男の動きはいったん止まるが、それも長くは持ちそうになかった。
――な、なんちゅう力じゃ、こいつ!?
この状態で……木を数十本単位で引きずっておるのと変わらんというのに……。
被害者の青年を早く逃がそうと、剛覇は叫んだ。
「何をしておる! さっさと逃げろ!!」
「あ……あの、あなたのお名前は?」
「質実 剛覇じゃ! いいから、早くここから離れるんじゃ! 長くは持たん!!」
さすがに、剛覇も名前を言いしぶっている場面ではない。
「質実様。私は
「愚か者! しゃべっとる暇があるならとっとと走れ!! 目の前の男がどれだけ危険か分からんのか!?」
「あ、はい! ですが、この御恩はいつか必ず返しますから!!」
ようやく、摧玉という青年は去って行った。
――馬鹿な奴じゃったな、本当に。
宇余曲 摧玉か……忘れられん名前になるかもしれん。
剛覇と男は2人きりになる。
「一応聞くが、お主どうしてあの男を襲ったのじゃ? 殺す気じゃったじゃろ?」
男は、拘束されているので当然だが、背を向けたまま答える。
「どうしてか? おれもそれが知りたいよ。どうしておれは人を殺すのか、どうしておれは化け物として生まれたのか」
男は剛覇にというより、1人呟くように言う。
「おい、お主……」
「ところで君、これでおれを縛っているつもりかい? 若いなあ」
そう言うと、男はいともあっさり剛覇の拘束を引き千切り、振り返ってにやりと笑う。
「なっ!?」
「自己紹介が遅れたね。おれは悪鬼 羅殺。もっともこちらの国ではこの名前の方が通りがいいかな? 『南の魔物』だ」
「『南の魔物』? お主自身が『南の魔物』じゃと?」
「ああ、そうだ。『百村殺し』という名もある。これはあちらの国だけの呼び名だけどね」
「馬鹿馬鹿しい。お主が『南の魔物』というのなら、何でここにおるのじゃ? ここは因果応峰じゃなくて封凛華山じゃぞ。山違いじゃ」
「少し色々あってね。万象とかいう奴に、わけの分からん球を体に入れられて、それが何なのか調べたくて、こちらの国に入ったんだよ」
「万象? わけの分からん球? もしかして、龍炎が言っておった神羅 万象か? その男、まさか生きておるのか?」
「龍炎? ああ、その名前万象も言っていたな。じゃあ知り合いってことか。だったら話は早い。万象は生きてるよ、おれの知る限りはね。それで、君は知らないかな? その球について」
羅殺という男が
目の前の男こそ『南の魔物』。戦って敵うはずもない。
剛覇は仕方なく、正直に球の話を羅刹に教えるが、その間にも逃げる隙はまったくない。
「なるほど。それが分かったなら、もうこちらの国に用はない。因果応峰に帰ろうかな?」
羅殺が引き返そうとするのを見て、剛覇は生き返るほどに安心した――が。
やがてピタッと足を止める。
「さっきからやたらびくついてるね。そんなに怖がられると、こっちも殺したくなってくるんだよ」
生き返ったのが、再び死んだように
思わず1歩下がる剛覇。すると、なんだか踏み心地の悪いものを踏み、ついそれへと目をやる。
それは、ボロボロに
見ていて吐き気を催すほどだったが、それは剛覇に見覚えのあるものだった。
――ここじゃったのか……。
「だったら、どうあっても死ぬわけにはいかんな。この場所でだけは!」
「へえ。戦う覚悟ができたってことかな?」
「戦う覚悟ではなく、生きる覚悟じゃ。生き延びる覚悟じゃ。お主が殺すものなら、儂は生かすものじゃからな」
「そうかい。だったらせいぜい、自分を生かしてみるんだね」
「何度でも言うわ。儂はここでは死ねん! 姫としても、同族としても、剛剣の母としても、何より12代目の女として!!」
剛覇の『折断糸』が羅殺へと伸びて行った――が、それはやはり簡単に引き千切られる。
「くっ! まだまだ……」
「ちょっと待った。君、その同族……球が体に入っている人間なのか? じゃあ殺せないな。おれは万象に騙されてやっているんだから。おれは同族を殺せないんだよなあ。まあいいか、少し興醒めだけど」
羅殺はそのまま、今度こそ帰ろうとする。
剛覇は反射的にそれを引き留めた。
「ちょっ、おい、お主!!」
「何だい? 殺してほしいのか? 殺してもらいたがっている奴を、おれは殺さないよ」
「いや、違……」
「もっともおれが殺すもので君が生かすものなら、いつか必ず戦うことになるだろうけどね」
それが、羅殺の最後の言葉だった。
興醒めというなら、剛覇の方がよっぽど興醒めだった。
それでも、殺されたいわけはないし、人を1人救って、自分自身も生き延びたのだから、それでいいだろう。
落ちていた腐敗した布。
それはあのとき、剛覇が12代目の額に乗せた手拭いだった。
今度こそ、ずっと言いたかった言葉を、初めて会ったこの場所で、剛覇は言った。
「12代目……儂は……わたしは、あなたにとって、いい女だったかな?」
返ってくるのは、降りしきる雨音だけだった……。
神々の邂逅 ~第一部 15年前の忘れられない論争~ 烝 @susumu
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