質実 剛覇 対 悪鬼 羅殺

 龍炎の来訪、そして自身が同族になったことを機に城を出た質実 剛覇。

 彼女はそれから4日後、北側から南側へ進むための最大にして最後の難所、封凛華山ふうりんかざんを前にしていた。

 この日は雨が強く、そのせいでさらに移動が困難となっていた。


 封凛華山。

 この国の中央に位置し、古くから戦争の際に多く戦場と化した、曰くつきの山だ。

 知名度で言えば、おなじ二大巨峰の因果応峰いんがおうほうよりもはるかに勝る。

 因果応峰は南側の人間には常識であり、『南の魔物』と合わせて、知らないものは誰もいない。

 しかしながら、北側の人間の中には、因果応峰も『南の魔物』も知らないものがほとんどだ。

 それほどに、南側と北側は分立している。

 そしてそれを隔てているのが封凛華山。

 南側でも北側でも、この国の人間なら子供から大人までの共通認識である。

 実は、剛覇がこの封凛華山を訪れるのは、今回が初めてではなかった。

 6年前。剛剣が生まれる2年前で、剛覇が19歳のとき、一度この山を、どころか北側の土地を訪れていたのだ。

 剛覇は自身にとって6年ぶりとなる封凛華山を見上げながら、当時のことを思い出した。


            ◆


 剛覇は当時から脱走の常習犯だった。

 それに関しては、あの城の中がひどく退屈で、全く外へ出られないものだから、歴代の城主もやっていたことであり、別段珍しくもない。

 むしろ正常なことでさえあった。

 例えばの話、城を出る前に剛覇は全権を剛剣へと委任させたが、彼女もある程度の年になれば、あの城に嫌気がさして出て行きたくなるだろう。

 剛覇は19歳のとき、若さのために判断力に欠け、勢いだけがあったのだろう、北側への逃走を試みた。

 歴代の城主の脱走も、そしてそれまでの剛覇の脱走も、すべて南側か西側、東側への逃走だった。

 それもそのはずで、あの村の北側には山しかない。

 そもそも、城がある山自体が封凛華山脈の一部なのだから、当然と言えば当然だ。

 幾度も脱走する剛覇の脱走経路を、すべて網羅していた家臣たちだったが、北側だけはノーマークだった。

 よっぽどのことがない限り、南側で生まれた人間は南側で、北側で生まれた人間は北側で死ぬ。

 それなのに、まさか一応は人を治める立場にあった剛覇が、そんな経路から本気で脱走しようとするなど予想外だったのだ。

 家臣たちの目を逃れ、まんまと脱走を成功させた剛覇は、今と同じように4日、いや、そのときは6日かけて、封凛華山に到着した。

 山道のあまりの過酷さに心が折れそうになりながらも、なんとか先へ進んでいた剛覇は、そこで1人の男と出会う。

 彼との出会いこそが、今の剛覇を形作り、彼の存在こそ、今の剛覇のすべてであると言ってもいい。


 男の名は、12代目輝々 怪々。

 剛覇はただ単に、12代目と、そう呼んでいた。


            ◆


 最初、丸太か何かが倒れているのかと思った。

 何か細長く、ある程度の太さを持った塊が地面に落ちていた。

 それは落ち葉をかぶっていたために、何であるかは知れない。

 剛覇は視界に入るそれを気にもせず、またいで先へ進もうとする。

 しかし意外に幅があり、少女の小さな歩幅ではまたぐことはできなかった。

 そこで、1歩その物体を踏みつけて、2歩目で越えようと、剛覇はそれへ足を乗せた。

 その瞬間――足元の塊は突如として動き出した!


「きゃあ!!」


 このころはまだ年相応の女の子らしい口調だった剛覇は、やはり女の子らしい悲鳴を上げて、尻餅をつく。

 お尻をさすりつつ、自分が今踏みつけたそれを見ると、そこに倒れていたのは――なんと人間だった!!

 大人の男。近くに行って観察すると、意識ははっきりとしていないが、呼吸していた。

 剛覇はあまりの展開に当惑しながらも、何とかその男を助けようとした。

 ちょうど、近くに流れていた川から水を汲み、持っていた手 ぬぐいを程よい大きさに引き裂いて、それを濡らす。

 それから、濡らした手拭いを男の額へと乗せた。

 これが正しいのかどうか、剛覇には分からなかったが、何となくのイメージからその処置をしたのだった。

 箱入り娘ならぬ城入り娘として育った剛覇は、19歳という年齢にそぐわず、一般的な常識に欠けているところもあった。

 しかし、剛覇の処置が全くの無駄に終わったかと言えば、そうではなかった。

 男は額に乗せられた手拭いの冷たさで、意識を取り戻したのだ。


「うっ……あ、君……」


 男が首をゴロンと剛覇の方に倒すと、額の手拭いは地面へと落ちる。

 剛覇がほっと一安心していると、男は


「その……よかったら、食料を少し分けてくれるかな?」


 腹の虫を盛大に鳴らしながら、そう言った。

 男はただの行き倒れだった……。

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