行雲 龍炎 対 茎怒 哀楽

 驚き。

 道場へと帰ってきた行雲 龍炎を待っていたのは、驚きだった。

 驚き桃の木 山椒さんしょの木。

 驚愕。驚嘆。驚々愕々。

 そんな言葉に置き換えたところでどうもしない。

 とにかく龍炎は驚いたのだと、それもとてつもなく驚いたのだと、それが伝わればいい。


 驚きその1。道場が崩壊していた。

 それはまあ驚くだろう。

 まあ驚くだろうが、目を見開いて、しばし呆然とするだろうが。

 しかしこの道場の元々のボロさを思えば、それもさもありなんである。

 形あるものはいつか崩れ去るのだ。

 絶対に沈まないと言われていた豪華客船の沈没ならまだしも、すでに寿命が近かった建物の倒壊なんて、何の誌面も飾らない出来事だ。

 だから龍炎の本当の驚きは別にあって、それは崩れた道場の前で向かい合っている2人の人間に対してだ。


 驚きその2。師々 孫々が稽古をしていた。

 それ自体はなるほど、珍しいことではあったが、驚くほどのことではない。

 2年前を境に、年柄年中サボっている孫々ではあるが、2年間ずっとと言うとそれは大げさで、たまに、本当にたまに稽古をするときもあった。

 それはさながら、何度も挫折ざせつしながらも、時折思い出したように日記を付けようとする中学生みたいなものだ。

 だから驚きは、稽古をしていたことそのものではない。その稽古の内容に龍炎は驚いたのだ。

 孫々はすでに建物が崩れたとはいえ剣術道場にいながら、まがりなりにもその師範代でありながら、剣術の稽古をしていなかったのだ。

 その手に竹刀も木刀も真剣も、とにかく何らかの刀剣類が握られていないことで、それは明らかだった。

 着物をはだけ上半身をあらわにした孫々は、開いた手を前に突き出すような形で構えていた。

 滅多に稽古をしない人間が、稽古をしていて、しかもそれは剣術の稽古ではなかったのだ。

 驚くだろう。驚こうというものだ。

 しかしこれだけならばまだ分からなくもない。

 それは日常の範囲内だ。ドラマや小説のような、非日常ではないのだ。

 ひょっとしたら、真剣白刃取りの稽古なのかもしれないじゃないか。

 生まれたときから両親つながりで交流があり、この道場の教えをすべて把握している龍炎は、その中に真剣白刃取りはないことを知っていた。

 しかしそんな矛盾を全力で無視しながら、孫々と向かい合っている人物を見やる。


 驚きその3。そこには見知らぬ少女がいた。

 やっぱり驚く。知っている場所に知らない人間がいたら、普通は驚く。

 けれど普通に驚けることであって、それは普通の驚きだ。

 問題は少女が弓を持っていて、そこには矢がつがえられていて、少女はめいいっぱい弓を引き絞っていて、その矢先が孫々に向けられていることだ。

 これは明らかに異常なことであって、異常な驚きだった。

 そこにいたのが門弟ならまだ分かる。

 サボりまくっている師範代に怒りが爆発し、とうとう反旗はんきひるがえしたんだろう、と理解できる。

 そこに少女がいただけならまだ分かる。

 門弟の中の誰かの妹か恋人か、でなければ迷っているか、とにかくいるだけならいくらでも可能性が考えられる。

 しかしその誰だかわからない少女が、孫々を明らかに殺そうとしていたのだ。

 ここまででも十分すぎるほどの驚きだ。

 だがまだ終わらない。この本当の驚きを超える真の驚きが、龍炎を待ち構えていた。


 驚きその4。それはこの後の展開すべてだ。

 孫々と少女は相当に集中しているのか、龍炎が帰ってきたことに気付いていなかった。

 よく見れば、2人の奥にはまるで審判のような位置に、龍水がちょこんと座っていて、2人の様子をそれは楽しそうに見ていた。

 龍炎が平常な精神状態であれば、剣ならともかく弓矢という飛び道具が近くにあり、それが今にも放たれそうなのを見て、万が一にも龍水に当たらないように彼のところへ駆け寄るはずだ。

 しかし異常な光景を前に平常な精神状態ではなかった龍炎は、そんな当たり前な行動などとれなかった。

 結局言いたいことは、龍水がいて、やかましいぐらいに騒いでいたのだが、それも耳に入っていないほど2人は集中していたということだ。

 それから、少女の方が孫々へと飛ばす。矢じゃなくて声を。


「行きますよ、孫々さん!!」


 孫々はそれを受けて立つ。


「おう。来い、アイラ!!」


 孫々にアイラと呼ばれた少女、まあそう呼ばれたからにはそういう名前なんだろう。

 いくら混乱していてもそのくらいは分かる。

 ともかく少女は何のためらいもなく飛ばした。今度こそ矢を。

 アイラという名の少女は弓の心得があるのか、それとも偶然か、その矢はまっすぐに孫々の元へ飛んで行った。

 その後の結果は驚きでも何でもない。

 孫々は避けるどころか見切るどころか反応すらできず、そのわき腹に深く深く矢が突き刺さった。

 当然倒れ込み、当然血があふれ出て、当然矢は真っ赤に染まる。


 龍炎としてはこう解釈するしかなかった。

 かなり厳しい、ぎりぎりの解釈ではあったが、一応の筋は通る。

 あの少女は球のことを知っていて、どういうわけか孫々が同族であることを知った。

 そして少女にはどうしても世界を創り変えたい理由があって、あるいは自然物を操る力が必要だった。

 確信が持てないながらも一か八か、同族を殺すことで球が出る可能性に賭け、孫々を殺そうとした。

 そのために少女は道場を襲撃して、道場は崩れてしまった。

 あの真面目な門弟たちが1人も見当たらないのも、少女の襲撃におびえて逃げたからだろう。

 もしくは孫々が逃がしたのかもしれない。

 最悪の場合、あのガレキの下に門弟たちの死体がある可能性もある。

 少女は外側から道場を壊したが、孫々はいつものように屋根の上にいたから無事だったのかもしれない。

 孫々は神の力なんて知っているわけもなく、剣もガレキの下で、止む無く素手で交戦した。

 その結果が、これというわけだ。


 龍炎は考える。

 手持ちの武器は無銘の日本刀と神の力。

 剛覇の城からここまでの道中、自分の力が火であることは確認済みだ。


 ――どうする? 孫々はまだ助かるはずだ。

 この少女は俺が同族だと分かってはいない……かは分からない。

 何にせよ、最悪俺が死のうとも、龍水だけは助けないといけない!


 そうして戦う決意を固めた龍炎。

 しかしその龍炎の気勢を削ぐように、話しかけてきた少女の声は穏やかだった。


「あ! 龍炎さん」

「何だ? お前、俺の名前を知って……」

「ああ~、本当はこんなことしている場合じゃないんですが簡単に自己紹介します。初めまして。わたし、茎怒アイラです。アイラちゃんって呼んでください」

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