アイラが孫々に対し繰り出した第一撃は、ひざカックンだった。

 ひざカックン。

 非常に避けにくく、決まれば相手を精神的にどん底に陥れられる――武術最高峰の精神攻撃と言ってもいい。

 しかしながら、いかに優れた技とはいえ、手の内が読まれていればそれはもろい技となる。

 ひざカックンは、指を立てた状態で肩を叩き、振り返った相手の頬に指を刺すというあの技と並んで、子供なら誰もが一度は経験している。

 もはや、大人になるための通過儀礼の1つと言っても過言ではなかった。

 孫々は15歳。来年には元服げんぷくを控えている。

 ひざカックンなど、幾度も見てきた技だった。

 そして何より、ひざカックンは不意打ちで放ってこそ、最も威力を発揮する。

 アイラは孫々が自分を追い抜き、背を見せた瞬間にその技を放った。

 孫々はアイラが臨戦態勢を取っていること、そしてその動きから、下半身を狙っていることを事前に知っていた。

 ひざカックンがくると分かっていれば、後は簡単、アイラの動きに合わせ、自らひざを曲げればいい。

 アイラのひざは空しく空気を突き、それによって彼女の上体は不安定となる。

 孫々はそこを狙った。右手の裏拳で、アイラの顔を攻撃する。

 それは見事にアイラの右頬を捉えた――が。

 アイラは微動だにしなかった。

 孫々としては本気で放った拳である。

 少女の小柄な体躯だ。軽く吹っ飛ばすぐらいのつもりでいた。

 いくら服が水を吸い、多少重くなっているとはいえ、それだけでそこまでの重みになるわけはない。

 しかし、アイラは微動だにしない。

 確かに手ごたえはあったが、それは何のダメージも与えていなかった。

 アイラは一端後退し、距離を取った。

 そして、全く効いていないにもかかわらず、ノリなのか何なのか、口元をぐっと手で拭う。


「少しはやるじゃないですか、孫々さん。でも、勝負はまだまだこれからですよ」

「…………………」


 いつの間に勝負が始まったんだ?――と孫々は思う。

 アイラは戦う気が満々のようだった。

 孫々としては、戦う意味もないし、男ならともかく相手が女ともなれば、尚更戦いたくはなかった。

 無視して自分の部屋へ向かう。

 アイラは今度、言葉ではなく攻撃でそれを遮った。

 アイラの第二撃、それは驚愕の攻撃だった。

 ひざカックンとは桁違いの、子供だろうと大人だろうと経験することのない攻撃だ。

 周りの土、あるいは木が2人を取り囲む。

 前後上下左右、土壁とつたによる、即席のリングが出来上がった。

 孫々は呆れ返る。


「お前……。戦闘では力を使いたくないんじゃないのか? しかも、オレに対しては水だけ操るのがポリシーなんだろ?」

「問題ありませんよ。攻撃じゃなくて場を整えるために使ったんですから。それにポリシー? 何ですか? おいしいんですか、それ?」

「自分の言ったことに少しは責任を持て」

君子豹変くんしひょうへんと言うでしょう。わたしはあなたのためなら、自分の信念さえ投げ出すのです」


 たった1回しか守らなかった(しかもそのときは信念でもなんでもない)のだから、これほど安っぽい信念もなかった。

 孫々は土壁を観察するが、かなりの厚みがあるようで、素手での破壊は厳しかった。


「逃げようとしても無駄ですよ。そうだ、いいこと思い付きました。壁に触れたら、つたが攻撃するようにしましょう。電流デスマッチみたいで面白そうです」


 ばりばり力を攻撃に使う気だった。

 孫々はため息をついて、ひらひらと手を振った


「降参。オレの負けだ」

「ふざけないでください! ちゃんと戦ってくださいよ!!」

「この戦いに意味なんてないだろ。こんなもん、勝っても負けても同じだ」

「戦うことに意味があるんです。またそうやって逃げるんですか? ずっとそうやって生きていくんですか? 何に対しても興味ないなんて言って、才能におんぶにだっこで。だけど、いつまでも逃げてはいられないんですよ。いつか、立ち向かわなければいけないんですよ。今日のあなたは逃げられません。わたしが逃がしません!!」


 言って、アイラは孫々に突進する。

 右の正拳、続けて足払い、左の肘鉄――すべて回避する。

 が、その結果孫々は土壁まで追いやられ、そこから伸びたつたが、彼の体を強かに打った。

 アイラの追撃。孫々は何とか避け、体を入れ替えて今度はアイラを壁に打ち付ける。

 つたがアイラを襲う。

 アイラは馬鹿正直に、自分が土壁に触れた場合もつたで自分を攻撃した。あくまで公平に。公正に。

 孫々は思う。――馬鹿な奴だ……。

 思いながら、戦った。立ち向かった。

 アイラは叫ぶ。繰り出される攻撃よりも激しく口撃する。


「あなたは昔は稽古が好きだったでしょう!? お父さんが、お母さんが好きだったでしょう!? どうして、そうなっちゃったんですか!?」

「オレは気付いたんだ。全部無駄だって。稽古なんてやっても、これ以上強くなっても。どうせ今の時点で誰もオレに勝てない。それなら、これ以上は意味がない」

「意味がない意味がない、興味ない興味ないって言いながら、味気ない人生を送るんですか!?」

「そうだ。オレの人生なんだからどう過ごそうとオレの勝手だ」

「わたし、天界からあなたを見ていてずっ~と言いたかったことがあったんですよ……調子に乗んなあ――――!!」


 次の瞬間繰り出されたアイラの攻撃。

 第何撃か分からないが、その攻撃はあまりに速く、あまりに強く、人間ではどうしょうもなかった。

 その一撃で、孫々は倒れた。土壁が、一気に崩壊する。


「誰も勝てないって? 負けてるじゃないですか。わたしより弱いじゃないですか」

「今の勝負は……体術……だ。オレが……やっている……のは……」


 何とか声を絞り出す孫々。アイラはそれを鼻で笑う。


「剣術だろうと、体術だろうと、負けは負けです。剣術を極めたんだとすれば、次は体術をすればいいじゃないですか。ひょっとしたら、剣術以上に体術の方が強くなるかもしれませんよ。それも極めれば、今度は弓でもやればいいじゃないですか。でかい口を叩くのは、そのすべてでわたしに勝ってからにしてください!」

「馬鹿か? 二兎を追うものは……一兎も……得ずってことわざを……知らない……のかよ」

「あなたはこれまで、一兎だって追いかけてないじゃないですか。二兎を追って二兎を得ろとは言いません。だけど、一兎も追わないままなら当然一兎も得ないんですよ」

「それならどっちも同じ……だろ? 一兎も……追いかけない方……が……疲れなくて……いい」

「違います。二兎を追う方が、走って体力がつくだけましです」


 その言葉を聞いて、孫々は笑った。

 無感動でもなく、無感情でもなく、さながら目の前の少女のように。

 アイラもそれを返すかのように笑う。


「どうですか? 久々に戦って、立ち向かった気分は?」

「悪く……ないな。ゆっくり、寝られそうだ」

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