肆
アイラが孫々に対し繰り出した第一撃は、ひざカックンだった。
ひざカックン。
非常に避けにくく、決まれば相手を精神的にどん底に陥れられる――武術最高峰の精神攻撃と言ってもいい。
しかしながら、いかに優れた技とはいえ、手の内が読まれていればそれは
ひざカックンは、指を立てた状態で肩を叩き、振り返った相手の頬に指を刺すというあの技と並んで、子供なら誰もが一度は経験している。
もはや、大人になるための通過儀礼の1つと言っても過言ではなかった。
孫々は15歳。来年には
ひざカックンなど、幾度も見てきた技だった。
そして何より、ひざカックンは不意打ちで放ってこそ、最も威力を発揮する。
アイラは孫々が自分を追い抜き、背を見せた瞬間にその技を放った。
孫々はアイラが臨戦態勢を取っていること、そしてその動きから、下半身を狙っていることを事前に知っていた。
ひざカックンがくると分かっていれば、後は簡単、アイラの動きに合わせ、自らひざを曲げればいい。
アイラのひざは空しく空気を突き、それによって彼女の上体は不安定となる。
孫々はそこを狙った。右手の裏拳で、アイラの顔を攻撃する。
それは見事にアイラの右頬を捉えた――が。
アイラは微動だにしなかった。
孫々としては本気で放った拳である。
少女の小柄な体躯だ。軽く吹っ飛ばすぐらいのつもりでいた。
いくら服が水を吸い、多少重くなっているとはいえ、それだけでそこまでの重みになるわけはない。
しかし、アイラは微動だにしない。
確かに手ごたえはあったが、それは何のダメージも与えていなかった。
アイラは一端後退し、距離を取った。
そして、全く効いていないにもかかわらず、ノリなのか何なのか、口元をぐっと手で拭う。
「少しはやるじゃないですか、孫々さん。でも、勝負はまだまだこれからですよ」
「…………………」
いつの間に勝負が始まったんだ?――と孫々は思う。
アイラは戦う気が満々のようだった。
孫々としては、戦う意味もないし、男ならともかく相手が女ともなれば、尚更戦いたくはなかった。
無視して自分の部屋へ向かう。
アイラは今度、言葉ではなく攻撃でそれを遮った。
アイラの第二撃、それは驚愕の攻撃だった。
ひざカックンとは桁違いの、子供だろうと大人だろうと経験することのない攻撃だ。
周りの土、あるいは木が2人を取り囲む。
前後上下左右、土壁とつたによる、即席のリングが出来上がった。
孫々は呆れ返る。
「お前……。戦闘では力を使いたくないんじゃないのか? しかも、オレに対しては水だけ操るのがポリシーなんだろ?」
「問題ありませんよ。攻撃じゃなくて場を整えるために使ったんですから。それにポリシー? 何ですか? おいしいんですか、それ?」
「自分の言ったことに少しは責任を持て」
「
たった1回しか守らなかった(しかもそのときは信念でもなんでもない)のだから、これほど安っぽい信念もなかった。
孫々は土壁を観察するが、かなりの厚みがあるようで、素手での破壊は厳しかった。
「逃げようとしても無駄ですよ。そうだ、いいこと思い付きました。壁に触れたら、つたが攻撃するようにしましょう。電流デスマッチみたいで面白そうです」
ばりばり力を攻撃に使う気だった。
孫々はため息をついて、ひらひらと手を振った
「降参。オレの負けだ」
「ふざけないでください! ちゃんと戦ってくださいよ!!」
「この戦いに意味なんてないだろ。こんなもん、勝っても負けても同じだ」
「戦うことに意味があるんです。またそうやって逃げるんですか? ずっとそうやって生きていくんですか? 何に対しても興味ないなんて言って、才能におんぶにだっこで。だけど、いつまでも逃げてはいられないんですよ。いつか、立ち向かわなければいけないんですよ。今日のあなたは逃げられません。わたしが逃がしません!!」
言って、アイラは孫々に突進する。
右の正拳、続けて足払い、左の肘鉄――すべて回避する。
が、その結果孫々は土壁まで追いやられ、そこから伸びたつたが、彼の体を強かに打った。
アイラの追撃。孫々は何とか避け、体を入れ替えて今度はアイラを壁に打ち付ける。
つたがアイラを襲う。
アイラは馬鹿正直に、自分が土壁に触れた場合もつたで自分を攻撃した。あくまで公平に。公正に。
孫々は思う。――馬鹿な奴だ……。
思いながら、戦った。立ち向かった。
アイラは叫ぶ。繰り出される攻撃よりも激しく口撃する。
「あなたは昔は稽古が好きだったでしょう!? お父さんが、お母さんが好きだったでしょう!? どうして、そうなっちゃったんですか!?」
「オレは気付いたんだ。全部無駄だって。稽古なんてやっても、これ以上強くなっても。どうせ今の時点で誰もオレに勝てない。それなら、これ以上は意味がない」
「意味がない意味がない、興味ない興味ないって言いながら、味気ない人生を送るんですか!?」
「そうだ。オレの人生なんだからどう過ごそうとオレの勝手だ」
「わたし、天界からあなたを見ていてずっ~と言いたかったことがあったんですよ……調子に乗んなあ――――!!」
次の瞬間繰り出されたアイラの攻撃。
第何撃か分からないが、その攻撃はあまりに速く、あまりに強く、人間ではどうしょうもなかった。
その一撃で、孫々は倒れた。土壁が、一気に崩壊する。
「誰も勝てないって? 負けてるじゃないですか。わたしより弱いじゃないですか」
「今の勝負は……体術……だ。オレが……やっている……のは……」
何とか声を絞り出す孫々。アイラはそれを鼻で笑う。
「剣術だろうと、体術だろうと、負けは負けです。剣術を極めたんだとすれば、次は体術をすればいいじゃないですか。ひょっとしたら、剣術以上に体術の方が強くなるかもしれませんよ。それも極めれば、今度は弓でもやればいいじゃないですか。でかい口を叩くのは、そのすべてでわたしに勝ってからにしてください!」
「馬鹿か? 二兎を追うものは……一兎も……得ずってことわざを……知らない……のかよ」
「あなたはこれまで、一兎だって追いかけてないじゃないですか。二兎を追って二兎を得ろとは言いません。だけど、一兎も追わないままなら当然一兎も得ないんですよ」
「それならどっちも同じ……だろ? 一兎も……追いかけない方……が……疲れなくて……いい」
「違います。二兎を追う方が、走って体力がつくだけましです」
その言葉を聞いて、孫々は笑った。
無感動でもなく、無感情でもなく、さながら目の前の少女のように。
アイラもそれを返すかのように笑う。
「どうですか? 久々に戦って、立ち向かった気分は?」
「悪く……ないな。ゆっくり、寝られそうだ」
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