師々 孫々 対 茎怒 哀楽

 行雲 龍炎が北へ、神羅 万象が南へ行き、1人道場に取り残された師々 孫々。

 言い知れようのない疎外感を感じつつ、いつも通りに屋根の上で眠っていた。


 ――やっぱりうらやましいよな。龍炎も万象も。行きたい場所に好きに行けるんだから。


 吹き抜ける風が心地よく孫々の頬を撫でる。

 下からは相変わらずの稽古の音。


 ――師範代のオレがこうしてサボっているっていうのに、毎日毎日真面目に稽古するなんて、馬鹿な奴らだな。


 本当ならば、もっと感謝すべきなのだ。

 孫々は門弟の金で生活しており、まるで稽古をつけてくれないにも関わらず、門弟は1人も辞めないのだから。

 言うなら門弟たちは、練習場所を得るためだけに金を払っているようなものだった。

 しかし、孫々にその門弟たちに対する感謝など微塵もない。

 ただ馬鹿な奴らだと、そう思うだけだ。

 それは門弟たちの努力や誠意を嘲笑あざわらう行為ですらない。

 無感動にそう思うのだった。

 きっと門弟たちが辞めたところで、孫々はやはり無感動に奴らも賢くなったと思うだけだろう。

 なぜ彼らは、そんな割に合わないことをしているのか?

 その理由は前師範、孫々の父親にあった。

 孫々の父親は孫々と違い、とても真面目な人物だった。

 かと言って、堅苦しいわけでもなく、明るく人当たりもいい人だった。

 そんな師範の下で稽古を続けた門弟たちも、その人柄に触れて彼の門弟であることに誇りを持つようになった。

 だからこそ彼が死んだ後も、門弟たちは辞めることなく、毎日稽古に取り組むのだ。

 辞めることは彼に対する裏切りであり、サボることは彼に対する冒涜ぼうとくだと、そう考えているのだ。

 彼が死んで2年が経ち、師範が輝々 怪々へと変わった今でも、門弟たちの心の中での師範は変わらず、孫々の父親のままなのだ。

 それを知って、孫々はやっぱり


 ――馬鹿な奴らだ。


 と思うのだった。


 ――父上がどんな人間だったところで、死んでしまえばそれまでだ。

 死人に口なし。目もなし、耳なし、鼻もなしだ。

 いくら頑張ろうがサボろうが、どっちでも同じだ。

 死んだ人間に今のオレが見えるわけはないし、見えたところで、オレからは見えない。

 百歩譲って父上が今のオレの姿を嘆き悲しんでいたとしても、そんなことオレには関係ない。


 現実的な考え方だろう。

 しかしどこか、悲しい考え方でもあった。

 孫々だって、父親を何とも思っていないことはことはないのだ。

 嫌々稽古していたわけでも、父親を迷惑に思っていたわけでもない。

 もしもそうなら、こんなことは考えもしないのだから。

 稽古の音がうるさくて中々寝付けない孫々は、自分のこれまでの人生を振り返った。


 孫々は恵まれた人間だった。

 すばらしい父親とすばらしい母親の下に生まれ、その住んでいる村もすばらしく、道場の跡取りという出自も、そこに通う門弟たちもすばらしかった。

 質実 剛覇のようにどこかの城主の子供ということはないものの、十分に並以上の暮らしができていた。

 それでも彼は昔から、自分の生まれに不満があった。

 それは子供なら誰しも思うことだ。いや、大人になってからでもふと思う人もいるだろう。

 あの人の家に生まれていれば、自分は今頃こういった人生を歩んでいるのに、と。

 とにかく、本人がどう思っているかはさておけば、孫々は客観的に、あるいは統計的に見て恵まれた生まれだった。

 友達である行雲 龍炎や神羅 万象も多少変わったところはあったが、やっぱりすばらしい人間だった。

 周りの人間関係や環境だけでなく、彼は自身の能力的にも恵まれていた。

 何をやっても人並み以上にこなし、剣を取ればそれは強かった。

 9歳のとき、彼は自分の父親を打ち負かし、以降は一度も負けなかった。

 師範よりも強い師範代となったが、それでも父親のことを心から尊敬していた。

 幼少時から、どこか冷めたところはあったが、両親への尊敬と剣への情熱だけは人一倍強かった。

 そんな、人から反感を買いそうなほどに恵まれた人生を送ってきた彼だったが、しかしあるとき不幸が訪れた。

 2年前。両親の死。親友の両親の死。因果応峰。『南の魔物』。

 両親が死んだとき、彼は思ったのだ。思ってしまったのだ。


 ――馬鹿な親だ、と。

 わざわざ死にに行くなんて、何を考えているんだ?


 そして


 ――そんな親を尊敬していたオレは、もっと馬鹿だ。

 こんな平和な国で剣術をやり続ける意味なんて、そもそもない。


 こうして、彼は唯一持っていた感情だった両親への尊敬と剣への情熱をも失った。

 結果、稽古をサボるようになった。空っぽの天才が出来上がった。


 振り返るうち、いつの間にかうとうととまどろみかけた孫々だったが、道場の敷地内に入ってくる何者かの足音でやはり寝付けなくなる。

 何者かとは言ったが、門弟たちは下で稽古しているし、それ以外で黙って道場に入る人間は3人しかいない。

 行雲 龍炎、神羅 万象、輝々 怪々の3人だ。しかし、後者2人の可能性は無視していいくらいに低かった。


 ――龍炎? やけに早い。というか、早すぎる気がするが……。


 ここから剛覇の城までは約1週間。往復では2週間かかるはずだ。

 しかし、龍炎が旅立ってからまだ4日しか経っていない。

 どうせ万象のことが心配にでもなって、途中で引き返したきたんだろうと孫々は結論付けた。

 せっかく気持ちよく眠りかけていたところだったので、わざわざ起きて確認することもせず、孫々は今度こそ寝ようと意識を外界から外す。

 しかし、気にしないようにすればするほど気になるものだ。

 ざっざっと、足音はこちらに近づいてくる。

 そしてしばらく音が途切れたかと思うと、やがてカチャンと、かわらが動く金属音がする。

 屋根の上に下りた音だ。音が途切れていたときは、側の木に登っていたのだろう。

 それからカチャカチャと、やはり足音は孫々の方へ迫っていた。


 ――龍炎の奴、オレが寝ていると思って何かいたずらでもする気か?

 ふん。逆にびびらせてやる。


 そう思って寝たふりを続ける孫々。

 龍炎(とおぼしき人物)の気配はとうとう孫々のところまで到達する。

 それから、じっと見つめられているのを、孫々は感じた。

 かなり近距離まで顔が近づいていることを悟る。孫々の寝顔をのぞき込んでいるようだ。


 ――いやいや、近すぎるだろ。何考えているんだ?

 もしかして龍炎じゃないのか? まさか龍水? 

 いや、あの子はまだ1人でここまで登れないはずだ。


 とうとうその視線に耐えられなくなった孫々は、そ~っと片目を開ける。

 すると……。


「うわっ!!」


 孫々は驚きのあまり、屋根の上から転げ落ちた。

 幸い大きな怪我はなく、すぐに起き上がる。


「あの~大丈夫でしたか?」


 屋根の上からそう聞いてきたのは、見知らぬ少女だった。


「初めまして。わたし、茎怒くきど アイラです。アイラちゃんって呼んでください」

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