肆
「はあ……はあ。うっぐうぅ」
万象はついに体力が底を突き、地面にばったりと倒れ込んだ。
羅殺としては久しぶりの相手だったので、ゆっくりと、出来ることなら1時間くらい追いかけっこをしたかったが、結果的には10分も経たないうちに終わった。
こんなものかと思いつつ、羅殺は万象に近づく。
最も分かりやすい形で、死が近づいてきていた。
万象は荒い呼吸と回る視界の中考える。
――どうすれば生きられる?
答えは簡単。どうやっても生きられない。
万象はあきらめた。
随分簡単にあきらめたものだと思われるかもしれないが、実際に羅殺にこうも積極的に命を狙われたら誰でも分かる。
不思議と納得する。
それはこれもやはり食物連鎖の一種だからだろう。
自分より上の生物に殺されるのだから、当然の結末だ。
今度、万象は自分が死んだ後のことを考えた。
――俺が死んだら、どうなるんだろうな?
あの人たちもこの男か、あるいは狼に殺されたんだろうし。
龍炎たちはこの先……龍炎? いや駄目だ!!
万象はあきらめた。あきらめることをあきらめた。
――ここで俺が死ねば、全部龍炎の思った通りになるじゃねえか。
それだけは駄目だ。絶対に。あの野郎をびびらせなきゃいけないねえ!!
万象に生きる意思が
同時に、自分に残されている最後の手を思い出した。
全くの未知数。可能性があるとすればこれしかない。
全ての希望を込めて、万象はあの球を羅殺に向かって投げつけた。
羅殺は別に驚かない。
これまで何度も見てきた、死に際のくだらない抵抗だ。
回避行動もしない。その意味は全くもって皆無だった。
投げつけられた球はそのまま、羅殺の体に当たる。
しかし、いつまでも地面に落ちることはない。
それは、すうっと羅殺の体の中に沈み込んでいった。
さすがの羅殺も、これには驚かずにはいられなかった。
繰り返し手を開いて閉じて、自分の体に異常がないことを確認する。
一方で、万象は今度の今度こそあきらめていた。
――やっぱあれ以上は何も起きねえか。くそっ。
目を閉じて、尊敬する人たちの元へ行く覚悟を決めた。
同時に、死後龍炎に笑われる覚悟も。
しかし、続く羅殺の行動は万象にとどめを刺すことではなく、質問をすることだった。
「今のはいったい何なんだい?」
何と聞かれても、万象に言えることなどたかが知れている。
――待てよ。
だがこのとき、万象はある考えを閃いた。
再び生への思いを取り戻す。
「その球はすべてで5つあって、命を繋げるものだ」
万象は口から出まかせを言うが、羅殺としてはそれを聞くしかない。
「命を繋げる?」
「そうだ。その球が体内に入った人間の誰かが死ぬと、残りの4人も死んでしまう。そして、俺の体内にもその球が入っている」
「そうすると何だ? おれの体内にもその球が入ったことで、おれと君の命は繋がったってことかな?」
「その通りだ。俺や、俺の他に球が体内に入っている行雲 龍炎や師々 孫々を殺せば、お前も死ぬ」
万象は凄んだ。
もしこの後、自分を追いかけて龍炎や孫々がここに来たとき(可能性は低いが)彼らが羅殺に殺されることのないよう、2人の名前を強調した。
「行雲 龍炎に師々 孫々? ふ~ん、あんまりいい名前じゃないな」
案の定、羅殺はそれらの名前を記憶するようにする。
羅殺はにやりと笑い、倒れている万象の目をじっと見る。
「何だかどうも、君に随分都合がいい話だね。おれがそんな簡単に騙されると思ったのかい?」
「嘘だと思うのもお前の勝手だ。殺したければ殺せばいい」
さすがに万象の話に疑問を持つ羅殺だが、万象は目を逸らすことなく、羅殺の視線に応えた。
その後、しばし2人のにらみ合いが続き――先に折れたのは羅殺の方だった。
「分かったよ」
「分かっ……た?」
「ああ。騙されておいてあげるよ。おれを相手にそこまで生きようとしたのは、あきらめなかったのは、君が初めてだからね」
万象は全身の力が一挙に抜ける。
未だに自分の命が助かったことへの実感が持てず、言葉が出てこない。
羅殺はそんな万象を見下ろしたままに、独り言のように言う。
「そうは言っても、これが本当は何なのかも知らないといけないからね。今更だけど、こちらの国に行こうかな」
羅殺は言いながら、視線を北へ向けた。
その言葉に万象は反応し、体をがばっと起こす。
「こちらの国!? この島に別の国があるのか!?」
「ん? ああ。こちらの国の人間は、確か国が列島だと思い込んでいるのか。実際は半島だよ。この山で2つに分断されているんだ。おれは
「あちらの国?」
「そう。こちらの国の何十倍も大きい大国。おれの生まれた国さ」
自分が生まれた国をあちらの国と遠回しに呼ぶのは、本人も気づいていない羅殺の何らかの思いの表れだった。
万象は考える。そして1つの可能性を思いつく。
ひょっとしたら、龍炎たちの両親は生き延びていて、あちらの国にいるのではないかと。
「羅殺」
万象は初めて羅殺の名を呼ぶ。
「何だい?」
「そのあちらの国に俺を連れて行ってくれ」
羅殺は万象が何を考えているか分からなかったが、それを承諾した。
「しょうがないね。なにせ、おれは君に騙されることにしたんだから、君に生きてもらわないと困る」
南狼は羅殺と一緒にいる限りは襲ってこない。
羅殺はあちらの国の入り口まで万象を送った。
神羅 万象は『南の魔物』相手に奇跡的に生き残り、さらに南下。龍炎たちの両親に会うため、あちらの国に入国した。
悪鬼 羅殺——『南の魔物』も山を下り、自分の体に入った球のことを調べるため、北上。こちらの国に入国した。
少なくとも記録に残っている中で歴史上初めて、因果応峰を超えた2人。
そんな歴史的瞬間を、2人に全く気付かれることなく見ていた1人の白い男が、そこにいた。
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