「はあ……はあ。うっぐうぅ」


 万象はついに体力が底を突き、地面にばったりと倒れ込んだ。

 羅殺としては久しぶりの相手だったので、ゆっくりと、出来ることなら1時間くらい追いかけっこをしたかったが、結果的には10分も経たないうちに終わった。

 こんなものかと思いつつ、羅殺は万象に近づく。

 最も分かりやすい形で、死が近づいてきていた。

 万象は荒い呼吸と回る視界の中考える。


 ――どうすれば生きられる? 


 答えは簡単。どうやっても生きられない。

 万象はあきらめた。

 随分簡単にあきらめたものだと思われるかもしれないが、実際に羅殺にこうも積極的に命を狙われたら誰でも分かる。

 不思議と納得する。

 それはこれもやはり食物連鎖の一種だからだろう。

 自分より上の生物に殺されるのだから、当然の結末だ。

 今度、万象は自分が死んだ後のことを考えた。


 ――俺が死んだら、どうなるんだろうな?

 あの人たちもこの男か、あるいは狼に殺されたんだろうし。

 龍炎たちはこの先……龍炎? いや駄目だ!!


 万象はあきらめた。あきらめることをあきらめた。


 ――ここで俺が死ねば、全部龍炎の思った通りになるじゃねえか。

 それだけは駄目だ。絶対に。あの野郎をびびらせなきゃいけないねえ!!


 万象に生きる意思がみなぎり、ここへ来た目的を思い出す。

 同時に、自分に残されている最後の手を思い出した。

 全くの未知数。可能性があるとすればこれしかない。

 全ての希望を込めて、万象はあの球を羅殺に向かって投げつけた。

 羅殺は別に驚かない。

 これまで何度も見てきた、死に際のくだらない抵抗だ。

 回避行動もしない。その意味は全くもって皆無だった。

 投げつけられた球はそのまま、羅殺の体に当たる。

 しかし、いつまでも地面に落ちることはない。

 それは、すうっと羅殺の体の中に沈み込んでいった。

 さすがの羅殺も、これには驚かずにはいられなかった。

 繰り返し手を開いて閉じて、自分の体に異常がないことを確認する。

 一方で、万象は今度の今度こそあきらめていた。


 ――やっぱあれ以上は何も起きねえか。くそっ。


 目を閉じて、尊敬する人たちの元へ行く覚悟を決めた。

 同時に、死後龍炎に笑われる覚悟も。

 しかし、続く羅殺の行動は万象にとどめを刺すことではなく、質問をすることだった。


「今のはいったい何なんだい?」


 何と聞かれても、万象に言えることなどたかが知れている。


 ――待てよ。


 だがこのとき、万象はある考えを閃いた。

 再び生への思いを取り戻す。


「その球はすべてで5つあって、命を繋げるものだ」


 万象は口から出まかせを言うが、羅殺としてはそれを聞くしかない。


「命を繋げる?」

「そうだ。その球が体内に入った人間の誰かが死ぬと、残りの4人も死んでしまう。そして、俺の体内にもその球が入っている」

「そうすると何だ? おれの体内にもその球が入ったことで、おれと君の命は繋がったってことかな?」

「その通りだ。俺や、俺の他に球が体内に入っている行雲 龍炎や師々 孫々を殺せば、お前も死ぬ」 


 万象は凄んだ。

 もしこの後、自分を追いかけて龍炎や孫々がここに来たとき(可能性は低いが)彼らが羅殺に殺されることのないよう、2人の名前を強調した。


「行雲 龍炎に師々 孫々? ふ~ん、あんまりいい名前じゃないな」


 案の定、羅殺はそれらの名前を記憶するようにする。

 羅殺はにやりと笑い、倒れている万象の目をじっと見る。


「何だかどうも、君に随分都合がいい話だね。おれがそんな簡単に騙されると思ったのかい?」

「嘘だと思うのもお前の勝手だ。殺したければ殺せばいい」


 さすがに万象の話に疑問を持つ羅殺だが、万象は目を逸らすことなく、羅殺の視線に応えた。

 その後、しばし2人のにらみ合いが続き――先に折れたのは羅殺の方だった。


「分かったよ」

「分かっ……た?」

「ああ。騙されておいてあげるよ。おれを相手にそこまで生きようとしたのは、あきらめなかったのは、君が初めてだからね」


 万象は全身の力が一挙に抜ける。

 未だに自分の命が助かったことへの実感が持てず、言葉が出てこない。

 羅殺はそんな万象を見下ろしたままに、独り言のように言う。


「そうは言っても、これが本当は何なのかも知らないといけないからね。今更だけど、こちらの国に行こうかな」


 羅殺は言いながら、視線を北へ向けた。

 その言葉に万象は反応し、体をがばっと起こす。


「こちらの国!? この島に別の国があるのか!?」

「ん? ああ。こちらの国の人間は、確か国が列島だと思い込んでいるのか。実際は半島だよ。この山で2つに分断されているんだ。おれは便宜べんぎ上、北側をこちらの国、南側をあちらの国と呼んでいる」

「あちらの国?」

「そう。こちらの国の何十倍も大きい大国。おれの生まれた国さ」


 自分が生まれた国をあちらの国と遠回しに呼ぶのは、本人も気づいていない羅殺の何らかの思いの表れだった。

 万象は考える。そして1つの可能性を思いつく。

 ひょっとしたら、龍炎たちの両親は生き延びていて、あちらの国にいるのではないかと。


「羅殺」


 万象は初めて羅殺の名を呼ぶ。


「何だい?」

「そのあちらの国に俺を連れて行ってくれ」


 羅殺は万象が何を考えているか分からなかったが、それを承諾した。


「しょうがないね。なにせ、おれは君に騙されることにしたんだから、君に生きてもらわないと困る」


 南狼は羅殺と一緒にいる限りは襲ってこない。

 羅殺はあちらの国の入り口まで万象を送った。

 神羅 万象は『南の魔物』相手に奇跡的に生き残り、さらに南下。龍炎たちの両親に会うため、あちらの国に入国した。

 悪鬼 羅殺——『南の魔物』も山を下り、自分の体に入った球のことを調べるため、北上。こちらの国に入国した。

 少なくとも記録に残っている中で歴史上初めて、因果応峰を超えた2人。

 そんな歴史的瞬間を、2人に全く気付かれることなく見ていた1人の白い男が、そこにいた。

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