行雲 龍炎 対 神羅 万象
壱
『神々の
それは10年前、この国で起こった大戦争。
この国に住むもので、その戦争の存在を知らないものは1人としていない。
いや正確には、ほとんどの人間がその『存在』のみしか知らない。
戦争があった『事実』は知っていても、その『実情』は知られていない。
そもそも、どこの国とどういう理由で戦ったのかさえ、知られてはいない。
歴史に残り、記録に残り、しかし記憶には残っていない。
わずかに知るものがいても、それを語るものは誰もいない……。
◆
その日はいつもと何の違いもなかった。
村人たちの
国の最南端に位置する村の、さらに最南端に位置する建物。
お世辞にもきれいとは言えない剣術道場。
数名の門弟たちの気合いの入った掛け声も竹刀の打ち合う音もいつも通り。
その音を不愉快そうに聞きながら、屋根の上に大の字になって寝ている少年の姿があるのも、いつもの光景だった。
そんな当たり前の日常から、記録にのみ残り、誰の記憶にも残らない大戦争の幕が開ける。
「
屋根の上で寝ていた少年の耳に、稽古の音以外の音が届く。
孫々と呼ばれた少年はそれに反応して体を起こし、門口にいる長身の少年を見た。
「
「まあな。
「いつも通りだよ。今は……お昼寝中かな?」
屋根の上の少年、
そして、再びごろりと寝転がった。
「おいおいおいおい、寝るな、寝るな! お前まで寝てどうする!?」
長身の少年、
依然、孫々は寝転がったままである。
龍炎はそれを見ると、はあ――と嘆息する。
「お前それでも、この剣術道場の師範代、次期後継者かよ? いつもいつもサボってばかり」
説教を言い始めた龍炎の声を不愉快そうに、それこそ、稽古の音以上に不愉快そうに聞き、顔をしかめながら寝返りを打つ。
「うるさいな。部外者のお前にそんなことを言われる筋合いはない」
「そうはいくか。この道場には俺の大事な弟を預けているんだぞ。ったく。お前のサボり癖が龍水に
「『大事な弟』っていうんなら、オレなんかに預けるなよ」
「ぐっ……そ、それは」
痛いところを突かれ、龍炎は言葉に詰まる。
それから、なんとか言葉を見つけたのか、弁解するように言う。
「仕方ないだろ。龍水はまだ2歳なんだ。一緒に連れて行きたくとも、連れて行けねえよ」
孫々は顔を逆さに屋根から垂らし、龍炎の顔を見た。
「いい身分だよな、お前は。両親が死んでから、気ままに一人旅とは。この道場に縛り付けられてるオレとは、えらい違いだ。結局それが生まれの差か……。嫌な世の中だ」
「またそのセリフかよ」
心底聞き飽きたと言いたげな、龍炎の表情。
「普通に見れば、お前の方がいい生まれだろうが。俺は貧乏農民。親父とお袋が死んでから、今日着るもの食うもの住むところに困る有様だ。その点お前は道場の跡取り。門弟さえ集まれば、生きるに困らねえだろ? 羨ましいぜ、まったく」
「だけど、お前は自由でオレは不自由だ。オレだってお前が羨ましいさ。それに、お前の両親は優しかったしな。オレはお前の家に生まれたかったよ」
「どこの親だって一緒だっての。お前の両親だって俺には優しかったし、俺の両親は俺には厳しかったし……」
行雲 龍炎、14歳。師々 孫々、15歳。
彼らは2人とも、すでに両親を亡くしている。
死因は不明。正確には生死不明の行方不明である。
そしてその原因こそが、この国の最大の謎の1つである。
曰く、『南の魔物』。
今2人のいる剣術道場。これより南には大きな山がそびえ立っている。
その名も
国の中央に位置する
そして、その山に向かったものは誰一人として戻ってはこない。
その現象、あるいは因果応峰にいる『何か』を指して、『南の魔物』と呼ぶのだ。
2人の両親は、その正体を突き止めようと山に向かい、『南の魔物』の餌食になった。
「来年にはオレも
龍炎にとっては、両親のことはあまり口にしたいことではなかった。
それは嫌っていたからではなく、むしろ逆。
龍炎は何とかこの話題を回避しようとする。
「そうだな。俺もせいぜい今の内に遊んどくか」
と、話を合わせると
「そういえば孫々、
と、話を変えた。
「万象? えっと確か、今は用事があるとかで伯父さんのところに行っているはずだけど、それがどうした?」
孫々はさすがに疲れたのか体を起こし、首をコキコキと鳴らしながら答える。
同時に、首をかしげることで、龍炎の不意の質問に対する疑問を示した。
孫々の伯父というのは
この道場の師範を務めているが、それは名目上のもので、本人に剣術の心得は全くない。
前師範だった孫々の父親――つまり怪々の義弟――がいなくなった後、成年している親族が誰もいなかったため(師範となるには年齢制限がある)止む無く師範となったのだ。
だが道場そのものに対しては何の関心も持たず、この村から程遠くの西端の村で刀を造り続けている。
妹と義弟を亡くしたショックから――ではなく、元々かなり気難しい人物で、滅多に人と会おうとしない。
龍炎も話には聞いているが、会ったことは一度もない人物だった。
そして万象というのは、
年中真っ黒な法衣に身を包んだ僧である。
何でも旅の途中で行き倒れていたところを龍炎と孫々の両親に世話になり、それからこの村に居ついたらしい。
彼らの死後、龍炎と孫々の兄貴分、もとい保護者として、2人のことを気にかけている。
頻繁に道場の門弟たちと遊んでくれる万象のことを、孫々は慕っている。
しかし、龍炎は両親のことを殊更神聖視し、彼らのことをよく口に出す万象のことを、あまり快く思ってはいなかった。
万象は特に龍炎の父親の世話になっていて、ことあるごとに龍炎と比較する。
それに道場によく顔を出すことで、龍水が万象に(自分よりも)なついていることも、龍炎の嫌悪感に拍車をかけていた。
その万象が怪々に用事と言うのは不可解なことだった。
少なくとも、孫々の母親を通して面識くらいはあるかもしれないが、いったい何の用なのか見当もつかない。
何だか嫌な相談でもしているのか? でも、俺のことより孫々のことを話している可能性の方が高いか――と龍炎は思った。
とにかく、万象は不在であることを知り、龍炎はにんまりと笑った。
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