無風

 ――哀しき無、風は吹か無い


            ◆


 あれから500年。

 花鳥風月と一無二唯は約1000歳、茎怒アイラは満500歳である。

 今、彼らが何をしているかというと……


「風月、見っけ! 1、2、3!!」


 唯は足元にある缶を、数字に合わせて3回踏みつける。

 そのコンマ1秒後、花鳥の足がその缶に達し、缶は大きく転がった。

 唯はバランスを崩し、その場で花鳥と折り重なる。

 その不恰好な状態のまま、唯は勝ち誇ったように笑い出した。


「ははははは。今のはノーカンだよ。僕の方が、少し早かったからね」

「分かってますよ。しかし、唯」


 立ち上がりながら、花鳥は言う。


「ん? 何、風月?」


 缶を拾いながら、唯は答える。

 花鳥はあきれ果て、見下げ果てた表情でその缶を見る。


「今更ですけど、我々の年で缶けりなんてして、面白いんですか?」

「面白いよ。缶けりはいくつになっても面白いものさ」

「…………唯」

「何?」

「いえ……もう何も言いません」


 唯は花鳥の言動を不審に思いながらも、すぐに缶けりに思考を戻した。


「さてと、残るはアイラだけだな」

「そりゃそうでしょう。3人しかいないんですから」

「山の方か、海の方か……どっちだと思う、風月?」

「私は一応アイラの味方ですからね。ノーコメントです」

「こんなときばかりは、500年前の雲だけの世界のほうがよかったな。絶対見つけられるし」

「その場合、缶けりなんてそもそもしないでしょう」



 唯と花鳥が生まれた1000年前から、アイラが生まれた500年前まで、ここは雲のみが広がる世界だった。

 だが、今では荘厳そうごんたる大自然が広がっている。これはアイラの持つ力によるものだった。

 アイラの力は、あらゆる自然物を操り、さらには創り出す。加えて彼女は、世界のすべてを見通すことができるのである。

 そんな彼女にしてみれば、雲だけの世界を大自然にするのも朝飯前、三食抜いてもできることだった。

 空き缶だって簡単に創ることができる。多分……。

 唯はアイラを探しつつも、会話を続けた。


「でもさ。アイラが生まれてからの、この500年間は楽しかったよね。まさに雲泥の差! ちゃんと泥もあるしね」

「そんな得意げに言うほど、うまくもないですよ。というか、逆ですしね」

「本当、全部アイラのおかげだよ。アイラがいたから、つまらなかった世界が面白くなったし、アイラがいたから、退屈だった時間が楽しくなったし、アイラがいたから……」

「うるさいですね。アイラ、アイラと。すごいのはアイラではなくて、アイラの『力』でしょう」


 決して怒鳴り声ではなかったけれど、怒りを必死に押し殺している花鳥の語気に、唯は一瞬たじろぐ。

 缶けりからは完全に意識を外し、その意識は花鳥だけに向けられた。


「その『力』も、神から与えられただけ。私やあなたにその『力』があったら、あなたはそんなにアイラに傾倒してはいないはずですよ」

「いや、それは……そうかもしれないけどさ。でも、風月。今の言い方はさすがにとげがあるよ。そんなに『力』を強調しなくても。まるで、アイラ自身に何の価値もないみたいじゃないか」


 冗談交じり、苦笑いでの唯の言葉に、しかし花鳥は、真剣そのものの面持ちで答えた。


「ええ。そう言ったんですよ」


 時間が止まったかのように、風すら無く、ただ沈黙のみがあった。

 どれくらいたったか、汗が気持ち悪く頬を伝う感触を感じつつ、ついに唯が口を開いた。


「風つ……」

「もらったですっ!!」


 そのとき、その静寂を打ち破る声が響き渡った。

 言うまでもなく、アイラが缶を狙って飛び出してきたのだ。

 唯と缶との間にはだいぶ距離がある。それ以前に、今の唯はそれに反応できる精神状態ではなった。

 たとえ足元に缶があったところで、結果は同じだっただろう。

 思いっきり蹴飛ばされた缶は、森の奥深くまで飛んでいき、見えなくなった。


「ありゃりゃ。強く蹴りすぎましたね。これじゃあ、続きはできそうにありません。ということは、風月さんとわたしの勝利ですう。パチパチパチ~」


 アイラは止まることなくしゃべりながら、2人の方へと近づいていく。


「いやあ、油断しましたね、唯さん。こ~んなに缶から離れて、風月さんと談笑してるなんて。隙だらけじゃないですか」


 唯はアイラの言葉で我に返り、アイラ、次いで花鳥を順に見る。


「は、ははは。何だ、今のは作戦か。まんまとやられちゃったよ」


 唯の言葉に、アイラは首をひねるが、花鳥は微笑で応じる。


「フフフフフ。まあ、そういうことです。少々タチが悪かったですけどね」

「全くだよ。本当かと思ったじゃないか」

「まさか。そんなわけ、ないじゃないですか。フフフフフ」


 唯と話しながら、花鳥はちらりとアイラを見る。

 2人の会話を聞き、未だに首をひねっていた。


            ◆


 それからしばらくしたある日。


「風月。お~い、風月~」


 1人木の上で昼寝していた花鳥の下に、唯が興奮しながら走り寄ってくる。

 右手でなにやら大きな道具を抱え込み、空いた左手を花鳥に向かって振っていた。

 花鳥は木の上から飛び降り着地する。と同時に、唯も到着した。

 相当に息が乱れ、しばらくは顔を上げられそうもない。


「どうしたんですか、唯?」


 花鳥が尋ねる。


「はあ、はあ、はっ、は~。風月! これ見て!!」


 唯は抱えていた道具を前に突き出した。

 楕円だえん状の盾とブーメランが鎖でつながっている武器のようだ。

 花鳥には見覚えのないものだった。


「なんですか、これは? またアイラに頼んで変なものを……」

「違うんだ。聞いてよ、風月。これは神からもらったものなんだ」

「神から?」

「そう、神から。啓示があって、その場所に行ったらこれがあったんだよ」


 花鳥は半信半疑のままに質問する。


「それで、これは一体何なんですか?」

「うん。これは陰刀いんとう月地つきち』っていって、裏浦島の逆玉手箱みたいなことができるんだ」

「なるほど。じゃあ、その武器はトキタダレ花の果肉から創られているんですかね。って、こんな例えではマニアックすぎて誰も分かりませんよ。少しは読者のことを考えてください」

「要するに、他人の年齢を奪うことができるってこと」

「奪う……ですか」


 花鳥の目が妖しく光ったのを、唯は見逃さなかった。


「どうかしたの、風月?」

「いいえ。どうもしませんよ。それで、神は他に何と?」

「ああ、うん。なんか、この陰刀『月地』の他にもう1つ、記憶を奪うことのできる武器があって、それを他の『神の申し子』に渡したってさ」

「つまり近々、私にその武器が渡されるということですか」

「いや、『渡した』って言っていたから、多分……その……」

「それは唯の聞き間違いですよ。だって最初に創られたのは私とあなたです。私を差し置いて彼女が……」


 途端、花鳥の口が止まった。

 ただ、自分の目の前、唯の背後にあるものを凝視している。

 唯は振り返り、そこには彼の予想通りの光景があった。

 大きな手裏剣を小脇に抱えたアイラが、こちらに向かって歩いていた。

 花鳥は動揺のままにつぶやく。


「いや、まだ……あれが神から渡されたものと決まったわけでは」


 アイラが2人に気づいた。

 そして、手を振り、笑い、口を開く。


「どうも、唯さんに風月さん。見てください、これ。陽刀ようとう太天たいてん』っていうらしいです。さっき、神からもらっちゃいました」


 その瞬間!!

 地が割れ、空が裂け、世界の何もかもが崩れ始める。

 翼を持たない3人は、なすすべもなく落下していく。堕ちていく。

 アイラはこの現象そのものを楽しみに笑い、唯はようやく時がきたことに喜び笑う。

 そんな中、花鳥は1人、天に向かって絶叫した。


「神よ!! どうして、なぜ私には何も……何もくれない!? なぜだ!? なぜアイラだけが……」


 崩れさる世界。

 その轟音に声がかき消され、彼の最初で最後の祈りは、唯にもアイラにも聞こえることはなかった。

 あるいは、神にさえも……。

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