第4話 エロゲーと独身男性

 化学メーカーの研究者と言うのが僕の肩書だ。研究者と言うとすごく知的な仕事を想像する人がいるかもしれないけれど、実際はピンキリで僕の場合はそんな頭を使うような仕事ではない。例えばある薬品を誰かが開発する。それは実験室の小さなフラスコで作ったので量も少ないし時間もお金もかかっている。売物にするにはもっと安く作る必要があるので、フラスコの代わりに大きなタンクを準備する。実験室の小さなフラスコとタンクでは、熱の伝わり方や中の液体の動き等いろいろと違うから、温度を変えたり、原料の比率を変えたり、そもそも使う原料まで変えたりと、いろいろ条件を変えてタンクでベストな条件を探す必要がある。それ僕の仕事だ。一応の理論はあるけれど、基本的にはいろいろな条件をしらみつぶしに試していく。必要なのは根気だけだった。

 僕の仕事がとにかくいろいろな人と話をする。製品を作った研究者、大量生産をする工場の人、営業だとか本社の人間は製品をこれだけ売りたいから、そのための設備を作れと言いに来るし、製品の原料を調達する資材部の人間にもっと安く買ってきてお願いをしに行ったりする。とにかくいろいろな人と会い、いろいろな人と話をした。仕事の話はもちろんするし、長く付き合えばプライベートの話もする。しかし僕ほどテレビゲームを熱心にやる人間はほとんどいなかった。

 多くの人は家族の相手で大変だ。家族と出かけたり、子供の相手をしたり、家事をしたりだとか、とにかく家族と過ごす時間が大きくなる。独身者でも研究者は休みの日でも論文を読んでいるような人種だし、工場の若者は風俗と博打大好きだ。営業の人間は飲み会ばかりで、なぜか調達部門はうつ病患者が多かった。

 そのようなわけで、社内で同好の士を見つけることは難しかった。学生時代は周りに似たような人間ばかりだったから気が付かなかったけれど、僕は社会全体で見ればかなりのマイノリティなのだ。

 何かのおりに私もゲームをやりますよ、と話に乗ってくる人はいたけれど、だいたいはポケモンだとか、モンハン、スマブラだとか一時的にブームとして流行ったものばかりで、僕がやるようなゲームをプレイする人はあまりいなかった。普通の人々にとってゲームとはコミュニケーションツールの一つなのだろう。誤解を恐れずにいうのならただ皆がやっているものをやる。ゴルフやTV番組のように誰かと会話するときの共通の話題になればいいのだろう。コアゲーマーのような、生き方の中心にゲームであるわけではない。別にそのようなゲームの在り方が悪いわけではないし、それが娯楽との付き合い方としては当たり前だけれども、そういう人たちとの会話は、なぜか僕には少し息苦しかった。

 だから多くの僕のような人種は、会話に飢えていたし、同好の士がいればすぐに打ち解けることができる。田所はそんな仲間の一人だ。十近く年は離れているけれど、最新ゲームはもちろん、僕が学生の頃にプレイしていたゲームにも精通している。彼にとっては骨董品でありよほど興味がなければプレイはしない。つまり彼は数少ない僕と同じ種類の人間だった。

「俺が学生の頃の秋葉原はエロの街だったんだ。」

 昔話が多くなるのは年をとった証拠だなと、思いながらも僕は昔話をしていた。

「今だってそうでしょう。メイド喫茶とかコスプレイヤーとか。」

「いや、あんなもんじゃなかった。中央通りなんてエロゲーやらアダルトビデオののぼりとかポスターとかが道に面したところにバンバンあったんだぜ。中央通りがアダルトグッズやアダルトコンテンツの店だらけだった。」

「想像できないですね。観光地のイメージしかない。あとはシュタゲの舞台。」

「秋葉原でないと買えないものっていうのはなくなったよね。昔は下品な街だったんだ。その頃はさ。毎週金曜になるとエロゲーを買い行ったんだ。ゲームを買うと店舗毎にグッズがついてさ。キャラクターのテレカとかね。グッズ目当てで何本も同じゲームを買う奴もいてさ。」

「エロゲーはダウンロード販売で買っちゃいますね、僕は。」

「あんな便利なものはなかったよ。」

 エロゲーとは、文字通り性的な描写があり、18歳未満はプレイが禁じられたゲームだ。開発会社は資本力のない小さなメーカーが多く、メーカーができては消えを繰り返していた。ノベルゲーム、つまり絵と音楽、キャラクターのボイスがついたストーリーを読み進めるようなタイプのゲームが多く、紙芝居なんて言い方をする人もいる。時折大手のゲームメーカーでも出せないような、アイデアに溢れ挑戦的なゲームを出す会社があり僕はそういう変わったゲームをプレイするのが好きだった。音楽で言うのならインディーズであり、それゆえにコアなゲーマーに刺さるものが少なからずあったが、ほとんどはたいしたものではなかった。

「ねえ、江上さん、ちょっと真面目な話いいですか?」

 今日食事に行こうと誘ってきたのは彼のほうからだった。

「俺はいつだって真面目だよ。」

「いやあ、本当に真面目な話なんですよ。」

「わかったよ。」

 僕は少し居住まいを正したけれど、彼にそれが伝わったのかはわからなかった。

「江上さんは何でこの会社で働いているんですか?」

「労働時間のわりに金がいい。」

「仕事は楽しいですか。」

「仕事に楽しさは求めないさ。」

「金があったら働かない?」

「今すぐにも辞めるね。」

「僕ははっきり言って仕事嫌いなんですよ。嫌な言い方ですけど、実家はわりと金持ちだし、家もあります。世間体を気にしなければ僕働かなくても暮らしていける。」

「うらやましい。」

「仕事はつまらないし人間関係最悪だし、やる気が最近ぜんぜんないです。」

「真面目だね。」

「そうですか。」

「人に相談するってことはさ、働かないことにうしろめたさがあるんだろう。俺が君の立場だったら、誰にも相談せずにすぐにやめているよ。」

「そうですかね。」

「俺は金が溜まったら、退職して死ぬまでゲームやるよ。でもきっとそういう人って世間的には可笑しな人扱いだろう。そういうのに抵抗を感じるだろう?」

「確かに。」

「ちゃんとしたいんだよ。それはすごくまともなことさ。社会の規範になる。だって世の中みんなが俺みたいな人間になったら、社会が回らないじゃないか。」

「確かに。」

「そこは否定するところだよ。いやあ、先輩も真面目ですって。」

 彼は少し笑った。

「彼女はいるんだっけ?」

「ええ、一応。」

「付き合って何年?」

「もう四年ですね。」

「その子と結婚する?」

「多分。」

「なら、ちゃんとその子と相談したほうがいい。君が良くても相手がいやかもしれないから。」


 30を超えた頃からなぜ結婚しないのか、と問われるとこかが多くなった。逆に僕は、どうすれば結婚できるのかと問いたかった。しないのではなくできないのだ。

 僕がそのように答えると、今度は努力が足りないと言う人がいる。もっとファッションに気を使えだとか、女性が興味を持ちそうな話題を集めろだとか、いろいろ言うのだ。確かにその通りなのだろう。僕はそういう努力にずっと無頓着だし、あまり興味がもてないことも事実だ。しかし何某かの努力をしてまで恋人を作りたいとは思わない。

 例えばブラッドピットやレオナルドディカプリアのセックスアピールが100だとするならば、僕のセックスアピールは多く見積もって2程度であり、それが努力をして2.1になったところで何かが得られるようには思えなかった。だいたい同性の友人であっても片手で数えられる程度にしかいないのだ。何事にも才能があるように人付き合いにも向き不向きがある。僕には誰かと一緒に何かをするという才能が乏しかった。これは別に自分を卑下しているわけでもなく客観的な事実だった。

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