第2話 死にゲーと大人の在り方
「今日空いてない?合コンやるんだけど、一人これなくなってさ。」
職場の独身の先輩からお声がかかるときはだいたいこのような誘いだった。
「ちょっとプライベートで用事が。」
「合コンより大事な用事って何?ついに彼女でもきたの。」
「そんな訳ないでしょう。」
僕を誘った先輩はもてる男だ。僕より四つ上だが、未だ独身である理由は、相手が多すぎて選べなかったという噂もある。一方で僕は本当にもてないので、三十越えても結婚どころか恋人もいなかった。もし彼に、今日はゲームの発売日なのでに行けないです、なんて言ったらどう思われるだろう。彼でなくともほかの人だって頭のおかしいやつだと思うかもしれない。価値観というのは多様であって、それを認め合うことができてこそ大人であるということだと思うけれど、僕の経験上、僕の職場にそれは望むべくはなかった。よくも悪くも僕の会社は古き良き日本企業であり、そこで働く人々はテレビゲームなんて小中学生の遊びとしか思わない至極真っ当な人々だ。そこであえてその話題を出すことは得策とは言えなかった。
理由はぼかしたまま午後は半休をとった。自分で言うのもおかしな話ではあるけれど、僕の勤務態度はとても真面目だし、最高とは言えないかもしれないけれど、文句を言われない程度の成果は出している。加えて特段忙しい時期ではなかったので上司は何も言わずに許可をくれた。もちろん休みをとった理由はゲームをやるためだ。半休に加えもう一日休みもとり土日とくっつけたので、都合三日と半日はゲームの世界に引きこもることできる。つまりその分の食料が必要だ。
ほかの人がどう思うかはわからないけれど、このようなとき本当に独身でよかったと思う。やりたいことをやりたいだけやり込める。気絶するまでゲームをやって、栄養バランスがめちゃくちゃの食事をして、昼夜逆転もして、そんな生活をしていても誰も文句を言わない。買いこむものは、まずは今日の夜食べる弁当、そして翌日以降に食べる保存が利くもの、カップ麺、レトルトカレーみたいなものだ。もちろん間食も必要でポテトチップスにチョコレート、グミ、あとは箱買いでアイスとドリンクを何種類かを籠に放り込む。もし足りなくなったらデリバリーのピザでも頼むかと考えながら僕はスーパーのレジに並ぶ。逸る気持ちを抑えながらレジを通過し、そそくさと我が家に向かった。
僕が学生の頃には考えられなかったけれど、ショップでロムやカセットを買うことはほとんどなくなった。インターネットからのダウンロード販売が主流だ。発売日にゲーム屋に並んだり、説明書を読んでにやにやするだとか、そういうことはもうしなくなった。それは少し寂しくはあるけれども、いろいろとメリットも大きいので、僕は今はもっぱらダウンロード派だった。業界的に今は過渡期であり、メーカーはダウンロード販売もパッケージ販売も並行して行ってはいるけれども、それらもいずれダウンロードに一本化されるのだろう。そんな時代の子供達のゲーム体験は、きっと僕らが子供だったときは異なるのだろう。こういうことがあるたび世の中は確実に進歩をしているのだなと考える。
僕は家に着くと即座にPS4の電源を入れ、クレジット―カードでゲームを購入する。ゲームのダウンロードに少し時間がかかりそうだったので、手早くシャワーを浴び、夕食とスナックを準備する。酒は飲まない。ゲームがプレイできなくなるからだ。丁度諸々の食料の準備が終わるころにダウンロードが完了し、僕は部屋着でテレビの前に着席した。
僕が金を掛けるものは四つある。椅子とAV機器とゲーム機、そして眼鏡だ。何時間もプレイし続けるには快適な椅子が必要でAV機器とゲーム機は言わずもがな、そして長時間、快適にプレイするためには軽くて、目に優しい眼鏡が必要だ。
目の前には42型テレビにPS4、傍らにはスナック菓子とドリンク、完全な布陣だった。「おお、今回もなかなか歯ごたえがある。」
僕はゲーム画面を見ながら独り言をつぶやいた。一人暮らしをしているとだんだん独り言が増える。僕が購入したゲームは、敵を倒したり罠をかいくぐったりしてゴールを目指す3Dのアクションゲームで、僕が中学生の頃から、ずっと贔屓にしているメーカーの久しぶりの新作だった。このメーカーは難易度が高いゲームが多く、気軽にプレイできるようなタイプではない。「死にゲー」などと呼ばれており、何度も何度も根気よく続けなければクリアはできず、比較的コアゲーマー向けだった。その繰り返しすら飽きさせないような独自の工夫と、様々な苦労とステージをクリアした際との爽快感のバランスが絶妙で、はまる人間は徹底的にはまるゲームを出してくる。そしてそれは今回も期待できそうだった。
「ふう。」
ゲームが一区切りついたところで、僕はため息をつき傍らのペットボトルのお茶に口をつけた。気が付くともう六時間もプレイをしており、時計は21時を指している、さすがに腹がすいた。
僕はスーパーで買った弁当を冷蔵庫から取り出し電子レンジで一分温めテーブルに置いて食事を始めた。ふと、自分は一体何をしているのだろうかと思った。もしかしたら今頃、会社の先輩は合コン相手の女の子とうまくいって繁華街のホテルで女の子とよろしくやっているのかもしれない。あるいはその逆であまりいい子がいなくてふてくされながら電車にのっているのかもしれない。
奥井のやつに数週間前に会ったとき、やはり奥方の実家でゲームをプレイするのは心象が悪いらしく、ゲームは諦めた、言っていた。きっと今頃は奥方とデートでもしているのだろう。かつて一緒に遊んだ友達も皆がどこか遠くで彼らの生活を営んでいる。結婚して子供がいたり、恋人と週末遊びにいったりしている。ゲームをやっている時間なんてないのかもしれない。三十代男性のどれだけの割合の人が、休みの日に誰とも口を利かないほどにゲームに夢中になっているのだろう。僕の職場の人が今の僕の姿を見たらきっと異様な姿に見えるだろうなと、弁当のごはんに載った薄いトンカツを咀嚼しながら思った。
皆が皆、それぞれの勤め、それぞれ生き方をしているなかで、僕だけが三十年以上もの間、同じ場所をぐるぐる回っているような気分になる。どこに行けないし、何にもならない趣味だ。例えばこんなことを続けて十年たったとき、僕は一体どこにいるのだろう。おそらくまだゲームをやっているのだろう。そしてそのときどのような環境に置かれているのだろう。そんなことを考えると幾何かのむなしさを感じるものの、かといって自分が結婚していたり、子供がいたりする姿を想像することがさっぱりできなかった。
時計は十時を指していた。胸に去来した漠然とした不安を打ち消すように僕は再びコントローラに手を伸ばした。コントローラを握っている間は、僕はいろいろなことを忘れることができた。
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