思い知らされる


「鶏肉も玉ねぎも安いし、シチューにしようかな」

「いいですね、楽しみです」

「あっ、ルークの好きだったマリネも作るね」


 私は今、ルークと手を繋いで近くの市場に来ている。当たり前のように繋がれるそれに、慣れてしまったのはいつだっただろうか。


 ……今日仕事が休みだというルークは、朝起きてすぐに私の部屋へとやって来た。そして私が断れなくなる、いつもの子犬のような瞳でじっと見つめながら言ったのだ。


「この間言っていたお願い、してもいいですか?」

「うん、何がいいの?」

「今日一日、サラと昔みたいな生活をしたいです」


 そのお願いの可愛さに、涙が出そうだった。大人になっても再現したいと思ってくれる程、彼にとってあの頃の生活は楽しかったということなのだから。


 そしていたく感動した私は、今日一日は全力で三年前の休みの日の生活をすることにした。



 朝ごはんは既に用意されていたものを頂き、私たちは支度をすると、歩いて市場へと向かった。いつも私の休みの日には、二人で朝から一週間分の買い物をしに行っていたのだ。


 流石に今日は一週間分も買わなかったけれど、あれもこれもと買っているうちに、たくさん買ってしまっていた。


 当時は買った荷物を二人で半分こして持っていたのに、今やルークは一人で、それも片手で軽々と持ってくれている。なんだかとても頼もしい。


「あら、お似合いの夫婦だねえ! これ、オマケしとくよ」

「えっ」

「ありがとうございます、妻が好きなんです」

「つ、つつつ……!?」


 そして帰り際、果物屋さんに立ち寄ると、気の良さそうなおばちゃんがオマケと言って苺を何個か付けてくれた。ちなみに苺は私の大好物だ。


 さらりと妻、なんて言ったルークを驚き見れば、彼もまた少しだけ照れたような表情を浮かべていて。いつものようにからかわないで、とは何故か言えなかった。


 私やルークの年齢で手を繋いで買い物なんてしていれば、夫婦にも見えてしまうのだろう。昔は「可愛らしい姉弟だねえ」なんて言われていたのに。ひどく不思議な気分だった。



 そのまま散歩がてらゆっくりと市場を回っているうちに、昼前になっていた。家に帰るとすぐ、私はキッチンを借りて料理を始めた。夕食に気合いを入れるつもりだから、手軽に作れるパスタにしたけれど、それでもルークは美味しいと何度も言って、喜んで食べてくれた。


 それからはルークの部屋で、昔のようにカードゲームをしたり、本を読んだりして過ごした。当時はほとんど私が勝てていたゲームも、今日は全敗だった。悔しがる私を見て、ルークは子供のように笑っている。


「サラは、何でも顔に出すぎなんですよ」

「そんなにわかりやすい?」

「はい。心配になるくらいには」


 確かにそれは、元の世界でも昔からよく言われていたことだった。意識しても、なかなか治らないから困る。


 私とは違い、ルークはいつも変わらない笑顔を浮かべていて、何を考えているか全く読めなかった。


「ルークは何を考えてるか、全然わからなかったな」

「俺はサラのことしか考えてませんよ」


 そんなことを言う彼に、一生勝てる気がしなかった。



 夕方になり、私はエプロンをきゅっと締めると、ルークの好きなメニューを作り始めた、けれど。何故か私の背中にぴったりと、ルークがくっついていた。


 しかも顎を私な肩に乗せているのだ。近い。近すぎる。


「あ、あの、離れてくれませんか」

「昔はよくこうしていたじゃないですか」

「そ、それと、これとは……!」


 確かにルークは当時、私がキッチンに立っていると、腰周りにいつも抱きついてきていた。それがとても嬉しかったのも覚えている。けれど、今はもう別物だ。


 やっと手を繋ぐことに慣れたレベルの私にとって、このスキンシップは完全にキャパオーバーだった。料理どころではない。完全にパンクしている私を見て、ルークは何故か満足げに笑うと、ようやく離れてくれた。


 彼はキッチンにあった椅子に腰掛けると、それからずっと料理をしている私の姿を黙って見ていた。これはこれで、落ち着かないうえに恥ずかしい。


 その後、なんとか料理は完成し、二人でテーブルを挟み向かい合うようにして座った。そしてルークが出してきてくれた、お高そうなシャンパンで乾杯をする。当時はりんごジュースで乾杯していたのが懐かしい。


「とても美味しいです、サラは本当に料理上手ですね」

「本当に? よかった」

「サラさえよければ、これからも手料理を食べたいです」

「うん、いつでも作るよ。任せて」

「ありがとうございます。……俺は本当に、幸せ者ですね」


 そう言って、ルークはひどく幸せそうに微笑んだ。


 今日一日戸惑うことが多かったせいか、そんな笑顔を見るだけでドキドキしてしまう。なんだか、今日の私は変だ。



 それからはお互いお風呂に入って、寝る支度をして。二人で広間でお喋りをしているうちに、眠くなってきた私は「そろそろ寝るね」と声を掛けて、立ち上がったけれど。


 何故かルークに、がしりと腕を掴まれた。


「ルーク……?」

「では、寝ましょうか」

「えっ? ふ、二人で?」

「もちろん。そこまでが一日ですよ」

「ちょ、ちょっと待って! さすがにそれは、」


 慌ててそうは言ったものの、ひょいとルークに抱き抱えられ、彼の部屋へと連れていかれてしまった。あまりにも簡単に持ち上げられてしまい、どきりとした。


 やがてベッドに下ろされた私は、そこに座ったまま固まってしまっていた。いつも遊びに来ているルークの部屋のはずなのに、緊張が止まらない。


 ルークはそんな私を見て微笑むと、ベッドに寝転んだ。そして「おいで」とでも言いたげに、ぽんぽんと隣を叩く。


「サラが早く寝てくれないと、俺もいつまでも眠れません。明日も朝から仕事なのに」

「そ、そんな……!」


 仕事の話まで持ち出すのは反則すぎる。その上、あの日ルークが魔力供給で味わったであろう痛みや苦しみを思うと、断れるはずなんてなく。


 私は覚悟を決めると、ルークから少し離れた場所に横になった。とは言え同じベッドの上なのだ、距離はかなり近い。


 恥ずかしさに耐えきれず、もちろん私はルークに背を向けていたのだけれど。


「サラ、こっちを向いてください」

「む、むりです」

「……昔はこっちを向いてくれていたのに」


 そんな寂しそうな声で言われてしまっては、無視をする訳にもいかない。結局、寝転がったまま向き合う形になった。


 部屋の中は薄暗いとはいえ、ルークの顔がまともに見られない。どうして、こんなことになってしまったのだろう。


「サラ、今日一日どうでしたか?」

「……すごく楽しかったよ。けど、昔と全然違った」

「当たり前です」


 小さく笑うと、ルークは手を伸ばして私の長い髪に触れ、そっと梳いた。まるで宝物に触れるようなその手つきに、心臓はこれ以上ないくらい、早鐘を打っていく。


 ちらりと視線を向ければ、ルークはやっぱり、満足そうに微笑んでいた。そんな彼は悔しくなるほどに格好よくて、何故だか泣きたくなる。


「俺はもう、子供じゃありませんよ」


 ……今日一日で、私はそれをひどく思い知っていた。


 何をするにも、昔とは全然違うのだ。子供の時のルークはどうだったかを思い出せなくなるくらい、あっという間に大人になった彼に、全て塗り潰されてしまって。


 それが彼の狙いだったなんて、私が気付けるはずもない。

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